しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

時代とちょこまか

時が経ち、時代が移り変わってゆくという感覚がいまひとつ自分の中に無いような気がする。

たとえば、昭和初期の都市や田舎の風景を撮影したフィルムの映像を、テレビやネットで見ることがある。

白黒の焦げたような陰影のなかを、当時の人々がちょこまか動き回っている。現代ではもう使われなくなった道具や、古い街並みが映っている。それは確かに「古い」。過去の時代の風景であるとわかる。


ところが、現代の、今日の、まさに今の目の前の風景を眺めているとき、人々の立ち居振る舞いや広告やら、その他わちゃわちゃした営みが、70年前、80年前の映像ときわめて別種のものであるというかんじを持つことができない。

この風景を撮った映像を80年後に観たとき、それを昭和初期の映像と区別できるだろうか。もちろん区別できるのだけれど、それは映っている個々の事物をいちいち判別しているからであって、そうした判別をいったんストップしたとき、はたして根本的な区別がそれでも現れるであろうか。それでも区別される部分も見出すことはできるだろうけれど、そうでない部分の方に自分はより引き付けられる。移り変わってゆくものを重ねて透かし見ると、もとの流れがある。

言いかえると、「時代」や「変化」という言葉にわたしはどれくらい信を置くべきだろうか。こういう、変な疑問がある。「時代」という言葉をことさらに意識せねばならないという不思議な時代であるのではないか。結局、ちょこまかわちゃわちゃ動き回っているだけではなかろうか。時代の変化ということをさかしらに言い立てるよりも、ちょこまかの細部をひとつずつ見ることのほうが実は必要なのではなかろうか。


神戸と霧

 科研提出したメンバーでアメリカに調査に行くぜ!という流れになる。具体的な旅程の相談が始まってから、パスポートが切れているのに気づく。

 仕事が最近立て込んでいた。それがいったん区切りとなり、今日は午前中振替休日にしていた。充電のため。その休みを使ってパスポート取得の申請をすることに決める。

 申請するためには戸籍謄本が必要。まず区役所に取りにいく。すると大阪が本籍地なら大阪に行かなきゃダメですよと窓口で言われる。そんな基本的なことも知らなかったのかわたしは。

 そこで今日のパスポート申請をあきらめ、三宮駅ドトールでコーヒーとチョコレートケーキを食べる。午後のタスクをすこし整理して店外に出ると献血の旗が目に入る。近くのビルの15階に献血ルームがある。どうせ午前中は休みなので献血しようと決める。

 献血ルーム窓口で「直前に食事されましたか?」と職員さんに聞かれて「チョコレートケーキを食べました」と答える。「えっ、いつですか」「五分前…」と、よくわからないやりとりをしてしまう。

 

 ビルの15階から神戸の市街地を東に向けて俯瞰する。濃い霧が斜面にかかっていて、空も何層も灰色に塗り重ねられている。神戸といえば海!山!空!港!ショッピングビル!という雰囲気が宣伝されるけれども、わたしはこの灰色の濃い霧がかかった秋や冬の風景がいちばん神戸らしいのではないかと思う。ナイフで切りとれそうな霧。

 陽が落ちてからその中を歩くと、細かな水滴が大気から顔やコートに移し取られてゆく。街灯が黄色い光の珠を柱の先に吊り下げる。音の反射の具合がいつもと違い、近くの音はいっそう近くに、遠くの音はいっそう遠くに聞こえる。陰鬱さ、というよりも、部屋の中や路上にいるひとを、ひとりずつにくるんでゆく雰囲気がある。ひとりぼっちであることを街が許してくれるような。海から離れた阪急の線路の近くまでも、船の汽笛が届いてきて、それはなにかの契約の証のように聞こえる。世界がずんずん進んでいるのに、霧にくるまれた街だけが取り残されている。あるいは街のなかで霧にくるまれた自分だけが取り残されている、その確認のしるしのように。そうして六甲山の側から冬が沈んできて、歳が暮れて明けるころ、街のひとびとはあの永遠なものを受け取りなおすための準備ができる。

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くらいなー

 

公務員の肩書がわからない

いまの職場は公務員のひとたちと接する機会が非常に多い。名刺もいただく。名刺にはいろいろと肩書が書いてある。その肩書の意味が、なかなかわからない。

 

審議官と参事官では、審議官の方がエライのか、参事官の方がエライのか。エライエラクナイのヒエラルキーとは別の概念なのか。「参与」と「参事官」は違う概念だと思うのだけれど、なんで「参与」には「官」がついてないのか。

「主任主事クラス」という単語を聞くのだけれど、「主任」と「主事」が別にいるのか、それとも「主任主事」で一単語なのか。主任と主事と主任主事がいるのか。

 

さらにわからないのは、「階級」と「職位」の区別である。

軍隊ならば両者はわかりやすく区別されている。少尉とか中佐とか大将とかが「階級」で、「連隊長」とか「参謀次長」とかが職位である。階級と職位は基本的にリンクしているが(たとえば連隊長なら大佐クラスが務める)、人事異動で職位が変わっても階級はその人に貼り付いたままである。

 

ところが、公務員のひとたちの名刺は、これがよくわからない。

「主任」や「主事」は階級っぽい。一方で「課長」は職位である。「課長補佐」も職位のはずだけれど、同時に階級のような使われ方もしているような気がする。

 

「部長」「局長」「~~監」はどれもエライ人たちだが、エラサの順番は自治体ごとに微妙に異なるようでもある。「局」と「室」では局の方が大規模だと最近学んだ。したがって同じ自治体であれば「~~局長」は「~~室長」よりもエライはずである。他方で県や省庁の「局長」「室長」と、市町村の「局長」「室長」は、必ずしもパラレルではないだろう。(…そしてけっきょく、部と局の違いは何なのだろう…)

 

エライ・エラクナイでこちらが大きく態度を変えなければいいだけのことであって、その点はそこまで悩まなくて良いのだけれど(なので今日までなんとなくの理解で放置している)、「エライ人に話してからエラクナイ人に話す」「エラクナイ人に話してからエライ人に話す」という順番の選択によってものごとがうまく回ったり回らなかったりすることがあるようで、そうするとエラサの階梯を理解するのもそれなりに必要になるらしい。むずかしいものだ。

目分量の生活

洗濯は朝と決めている。乾燥もしてくれるので洗濯ものを放り込んでスイッチを入れるだけなのだが、洗剤は自分で毎回投入しなければならない。「0.3」とか「0.5」とか、洗濯機が洗剤の量を教えてくれる。

ところがどうも自分はその指示に従っておらず、なみなみと洗剤のキャップに注いだり、そこそこで済ませたりしている。ということに気づいた。その日の気分というか、一日のやる気に比例して洗剤を投入しているらしい。

 

出勤すると自分のブースの窓のブラインドを上げる。この開け方は最近自分で決めた。元気の量が少ない日はブラインドをたくさん開けて、元気な日は少なめにする。

 

ザワークラウトを久しぶりに作った。去年作ったときは、塩の量が適当だった。美味しかったけど。今年はもっとキチンとしようと思い、器具をアルコールで除去して、塩の量も秤で正確に計った。ところが発酵せず腐ってしまった。なんでだろう。

 

JAICAの食堂は世界の民族料理が毎月特集されていて、いろいろと珍しい食材を使っている。でも、きょう行くと、厨房から小学校の給食室の匂いがした。国際的なはずなのに給食室の匂い、なんでだろう。それにしてもよく給食室の匂いなんか覚えてたな。

伊藤野枝と電車内の記述 その2 大正時代の痴漢

伊藤野枝集』を読んでいたら、もう一箇所、電車内についての記述が出てきたので書き抜いておく。

 

私はよくこみ合う電車の中などで、こみ合うのをいい幸にして、わざと身体をすりよせて来たりする不都合者に時々出遭います。そんな場合には、どうも表立ってとがめる訳にゆきませんから、何時もその男の顔を見ながらわざわざ足を踏んでやるとか、できるだけ強硬にひじを突っ張って押し返してやるとか、黙って、出来るだけしかえしをしてやります。

(…)

 或時、私は電車の中で、品のいい二十ばかりのおとなしそうな娘さんと一緒に乗り合わした事があります。その時には電車の中の半分は空席でした。すると或停留所から一人の酔っぱらいが乗りました。それほどひどくよっていたのか、それとも酔ったふりをしていたのかは知りませんが、その酔っぱらいはよろけながらぴったりとその娘さんの傍に腰を下ろして、電車がゆれるたびにその大きな体をかぼそい娘さんの方にもたれかけて行きます。娘さんは、迷惑そうに眉を寄せて少し体をずらしましたが、酔っぱらいはすぐにまたその間をつめてやはりぴったりよりそってしまいます。二三度そういう事をしていました。私はそれを見ていて、よくその娘さんが思い切って他の場所にうつってしまえばいいのに、と思いましたが別にそんな事もなしに、その酔っぱらいの傍に小さくなって何時までも腰かけています。(pp.314-315)

 読んでショックだった。このエッセイが書かれたのは1925年。いまから96年前ということになる。百年近く前から痴漢があった。現代まで、ほとんどなにも変わっていないではないか…。

 

伊藤野枝集 (岩波文庫)

伊藤野枝集 (岩波文庫)

 

 

 

 

伊藤野枝『乞食の名誉』における電車内の記述

 少し前、電車でどこかに「行く」という表現は奇妙だと書いた。そのとき、夏目漱石の小説『坑夫』に、歩いていた主人公が途中で汽車に乗るシーンが出てくるということを、記憶のまま書いた。

 

 その後、電車の車内の書き方ということに少し関心を持っていた。

 岩波文庫伊藤野枝集』を読んでいたら、同書所収の短編小説「乞食の名誉」のなかに市電に乗るシーンが出てきたのでメモしておく。

伊藤野枝集 (岩波文庫)

伊藤野枝集 (岩波文庫)

 

 

 小説はおそらく著者伊藤野枝に強く重ね合わされた主人公「とし子」が、勉強会から自宅への帰り道、子どもへの愛と家庭の抑圧に引き裂かれつつ、アメリカの活動家エンマ(エマ)・ゴールドマンの事績を想い決意を新たにするといった流れになっている。

 電車のシーンはその序盤に位置する。

 

 ようやくに深夜の静かな眠りを脅かすほどの音をたてて、まっしぐらに電車が走って来た。運転手の黒い外套にも頭巾にも、電車の車体にも一様に、真っ向から雪が吹きつけて、真っ白になっていた。電車の中は隙いていた。皆んなそこに腰掛けているのは疲れたような顔をしている男ばかりであった。なかにはいびきをかきながら眠っている者もあった。とし子はその片隅に、そっと腰を下ろした。電車はすぐ急な速度で、僅かばかりな乗客を弾ねとばしてもしまいそうな勢で駆け出した。とし子は思わず自分の背中の方に首をねじむけた。背中ではねんねこやショオルや帽子の奥の方から子供の温かそうな、規則正しい寝息がハッキリ聞き取れた。とし子は安心してまた向き直った。そして気附かずに持っていた傘の畳み目に、未だ雪が一杯たまっていたのを払いおとして、顔を上げた時にはもう四ツ谷見附に近く来ていた。

 四ツ谷見附で乗りかえると、とし子は再び不快な考えから遠ざかろうとして、手提げの中から読みさしの書物を取り出した。けれど水道橋まで来て、そこで一層はげしくなった吹雪の中に立っている間に、また取りとめもなく拡がってゆく考えの中に引きずり込まれていた。(pp.83-84)

 

 市電の運転席と運転手に雪が吹き付けているところは現代の電車やバスと大きく違うが、それ以外は、現代の公共交通機関の様子ときわめて似通っている。こうした空間における居ずまいのジェンダー差も現代と同じで、まばらな「疲れたような顔をしている男ばかり」の車内で「とし子」は「そっと」座席に座る。座っても子供を背負っているから、座席の背もたれに深々と身を預けることはない。子供を押さないように、まっすぐ、あるいは少し前かがみになって座る。そうして子供の寝息を確かめる。他方で男の乗客の中には「いびきをかきながら眠っている者」もある。かれはおそらく背もたれに体重を預けて、市電に体を運ばせている。

 とし子は自宅へ戻るまで2度、市電を乗り換えている。市電に乗り慣れている。しかし市電車内は彼女にとって居心地の良い場所ではない。上記の描写では、市電の車内空間がとし子を一人にさせ、異質なものにくるませてゆく。彼女にとって身近で暖かなものは背中の赤子の存在だけで、ほかは全てが外部世界である。この段落を読む当時の、また現代の読者は、とし子が点在する男性客からちょうど均等に離れた空席にそっと座ったことをすぐに読み取る。乗り合わせた乗客が見知らぬ他人だから疎外感を持つというのではない。むしろ公共の車内が、均等に距離を取るという空間的・測定的な居ずまいを強いるというところに疎外のベースがある。そうした距離感を、この空間の主である市電は全く顧慮せず、「僅かばかりな乗客を弾ねとばしてもしまいそうな勢で」加速する。

 とし子の視線は、運転手、市電の側面の雪、点在する乗客の様子、自分の座るべき座席、背中の子供、そして「気附かずに持っていた傘の畳み目」の雪に移り、さいごにやっと顔を上げる。視線が自分の進むべき目的地へ差し向けられるのではなく、車内のあれこれに指示されて、視線が半ば受動的にさまよってゆく。他の乗客や子供や傘を見ながら、その見回しの中心にいる自分が常にひっそりと意識させられている。ひっそりとした公共空間のなかで、自分の存在が否応なく外部から突き放されて縁取られる。単純な「孤独」とは大きく異る、ひどく人工的な疎外感なのだけれど、それが市電の車内という独特の空間によって規定されている。この感覚と規定は、著者が書き出した1920年から現代までほぼ変わっていないのではないか。

研究用個人データベースを自作する

研究は資料を溜め込んでは編みなおす作業である。溜め込んで忘れてしまっては厚みのある研究はできない。そこでデータベースに類するものが必要になる。しかし決定版の既製品というものは無い。そこで自分でデータベースを自分で作ってみようとおもう。

 

1.過去の失敗(学部~前期課程時代)

書籍を読みっぱなしでは研究にならないことは理解していた。読んだものや考えたことについて何らかの記録を行い、それを再参照することが必要であると。

古典だが、まず影響されたのは以下の2冊である。わかりやすいやつだ。

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 
論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)

論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)

 

 この2冊を読んで、とりあえず京大式カードに読書メモや思いつきを書き込んでファイルするわけだ。

コレクト 情報カード B6 京大式 C-602

コレクト 情報カード B6 京大式 C-602

 

だが、この方式は2ヶ月ぐらいで挫折した。理由はいくつかあった。

1)量が急に増えすぎた。読んだものや思いつきを片っ端からカードにしたら、200枚くらいになった。このペースで増加したらコントロールできないと思えた。すると、カードを増やす気持ちが急激に失せた。

2)人前でカードを出すのが妙に恥ずかしかった。若かったのだろう。「できる人」がやればカッコいいに違いないが、できない自分がかっこつけてやると余計にダサいはずだと思った。カッコいいとか悪いとかそういう問題ではないはずなのだが。

3)書いた内容が面白くない。カードを見返しても、そこから生産的なものが生まれるようにはどうしても思えなかった。

要するに経験やセンスが無かったのだろう。何を書いたら良いかわからないままカードの数だけ増やすから、ふやけたカード束だけが積み上がる。システム以前に「たいしたこと書いてない」のだ。そしてまた、PCの検索性を捨ててまで手書きカードにこだわる理由も見いだせなかった。

 

同じ時期、普通のノートやモレスキンやらにこまごま書き込むこともしていた。ノートに書き詰めるのは、思考が集中する実感があった。ただし、ノートを使い終わると検索がほぼできなくなる。この頃はやったモレスキン活用術系のサイトでは、一冊使い終わったら冒頭ページに目次を書き込めなどという悠長な「テク」が紹介されていた。あまりに面倒だし、目次を作っても結局再参照しなかった。個人の志向にもよるが、自分にとってノートは記録と思考の中間媒体だった。目次を作ってそのまま「紙DB化」するのは合わなかった。

とはいえ、この時期の試行錯誤は無駄ではなかったとも思う。システムの形式を模索する過程で、システムの中身に書き込む質を上げてゆかねば意味が無いと気づくことになったし、いま振り返ればその練習を少しずつ続けていた。

 

2)後期課程~現在の環境

上記の時期のもうひとつの失敗は、システムを一つに絞り込もうとしすぎたことだった。既成システムを使い分ければ十分に実用になることに気づいた。

たとえば、いま使っている(頼っている)DBは以下のようになる。

文献管理…Mendelay

自分の論文 …CiniiおよびWord手打ち(元は学振DCの申請書に書いたもの)、原稿はDropboxに整理

その他業績あれこれ…Researchmapおよびエクセル手打ち

フィールド・ノーツ…Wordとエクセル手打ちで管理

 

文献管理をMendelayに一本化したのは大きかった。使いやすいソフトとは言い難いが、それでも自分のリストには1300本ほど論文が登録されており、ざっと検索・再参照するのには役立つ。知り合いに「ああいう論文なかったっけ」と言われたとき、さくっと調べてPDFを送るといったことも簡単にできる。

ただ、全てをMendelayで管理することは不可能だ。新たに必要なものが出てきたら、他の外部サービスやソフトを使うこととして割り切った。これでだいぶ楽になった。

 

3.抜書DBを作ろう(本題)

前置きが長くなった。Mendelayと公的サイトとWordとエクセルを使い分けることでまずまず管理できているのだけれど、一つだけ解決していないものがある。読んだ文献の抜書である。本を読んでいるとき、自分の研究に使えそうな部分や、面白いと思った部分に付箋を貼ったり、鉛筆で印を付ける。だが忘れてしまうので、ノートに書き抜いておく。だがやはり、ノートを使い終わると抜書の存在も忘れてしまう。

Wordやテキストに打ち込んでファイル化しても同じことで、いつのまにかDropboxディレクトリの奥に死蔵されてしまう。そうして結局、論文を書く段階になると、記憶に頼ってノートを探し、また本を探しなおすはめになる。ある程度最近の文献しか覚えていない。

Endnoteは文献にメモを紐付けて記録できる(Mendelayにも類似機能がある)が、 あくまで文献情報とPDFが主体で、抜書やそれについての自分のコメントをうまく入れることができるか不安がある。ちょっと違うだろうな、という勘がある。

 

Tap Formsという簡易DBソフトを使い始めたが、いまひとつ閲覧性に欠けるために使うのを止めてしまった。最近ではEvernoteが流行りだが、試行して数日で止めた。京大式カードと同じ末路を予想した。Onenoteも大量のノートを入れ込むには不安を感じる。

けっきょく自分でゼロから作るほかないと思い、じゃあAccessFilemakerか、という選択肢になっている。(長くなったのでいったん打ち切ります)