しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「論文」、このふしぎな形式

きのうのゼミで、「論文」という形式にどう向きあえばよいのか、といった話になった。 わたしが所属する臨床哲学研究室は、学部生(2〜4回生)が20人くらい、院生も20人くらいいる(らしい)。ゼミは学部生・院生合同である。下は18,9歳の若者から…

カラスを下から呼んではならないという反省

去年の冬休み(年末年始)は至福のときだった。 ひたすら修論を書いた。研究室は(ほぼ)わたしひとりだった。ほとんど何にも邪魔されなかった。疲れると、午後にはコーヒーをいれてひとりで飲んだ。キャンパスもひとかげまばらだった。ひとりであることがあ…

こけること

きのう、迷子とは、迷ったときに対処ができないことだ、ということを述べた。大人も道に迷うことはあるが、たいていの場合は自分でなんとか対処できてしまう。したがって大人は迷子にならない。 道に迷ったときや、親とはぐれたとき、リカバリーする(問題に…

スズメ議会

研究室の窓は校舎の中庭に面していて、窓のすぐそばには木が並んで植えられている。日が暮れ始めたころ、スズメだと思うのだけれど、窓から少し離れた木に鳥がたくさんとまって、一斉にちゃきちゃきちかちかと鳴きあい始めた。たくさんとまって、と書いたけ…

迷子のなり方

迷子になるとは、どういうことだろう。どうやったら迷子になれるんだろう。 ちょっと前、北海道で男の子が山で迷子になって、運良く自衛隊の演習場で発見されたという事件があった。 キャンパス内の理髪店(うちの大学は、生協内で散髪できるのです・・・)…