しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

スズメ議会

 研究室の窓は校舎の中庭に面していて、窓のすぐそばには木が並んで植えられている。日が暮れ始めたころ、スズメだと思うのだけれど、窓から少し離れた木に鳥がたくさんとまって、一斉にちゃきちゃきちかちかと鳴きあい始めた。たくさんとまって、と書いたけれども、姿は見えなくて、鳴き声だけである。

 

 何を話しているんだろうとおもう。人間のように細かなコミュニケーションをしているようには思えないけれど、無意味に声を出し合っているわけでもなかろうともおもう。木のなかで、参席している鳥たちがいっせいに声を出し合っているのが、ふしぎである。

 

 人間でこういうことが起きるのは、なんか混乱した町議会とかだけである。「議長!議長!」「動議提出します!」「党議拘束!」「静粛に!静粛に!」「それだからいけないんだよ!」「議長!」「カエレ!」「静粛に!」。

 スズメたちがこういうことをやっているなら、あの「一斉鳴きあい」もまあ理解できる。しかし、そんなに紛糾する議会を毎晩開催して、飽きないのであろうか。「議長ちゅん!」「党議拘束ちゅん!」「静粛ちゅん!」「それだからいけないちゅん!」「議長ちゅん!」「カエレちゅん!」「静粛ちゅん!」。スズメ議会は議会運営のあり方を自ら問い直し、ちゃんとした民主主義をすべきだ。「人類ごときがうるさいちゅん!」「おまえらも似たようなものちゅん!」「コメでも撒いてろちゅん!」「解散ちゅん!」「総選挙ちゅん!」

 

 人間の場合、「コミュニケーション」は「聞く」「話す」「聞く」「話す」のくりかえしが無いと、成り立たない。聞いてるときは話せないし、話してるときは聞けない。効率が悪いシステムである。もし「聞く」と「話す」が同時にできれば時間は半分で済むだろう。その場合、「ことば」の理解が両者でどのようにつくられてゆくのか、想像もつかないけれど、宇宙のどこかにそうした会話の仕方をする生き物がいてもかまわないだろう。

 

 地球の人類に限って話を進めると、この「聞く」「話す」「聞く」「話す」のやりとりは、ともかく厳然たるルールになっていて、ここからさらに多様なルールが派生して、いわゆる社会をかたちづくってゆく。

 やりとりを絶妙に保つ「間」のようなものが大事だということになる。相手が話し終わらないうちにこちらが話し始めるのはシツレイにあたる、という感覚が生まれる。あるいは、「エライ人」の話はこちらが口を挟まずじっとがまんして聞いていなければならないという雰囲気が成立する。

 こちらの提案を先方が検討して承諾するのを待って次の話をもってゆく、というのもこのやりとりの拡大版である。信号が青になるのを待ってアクセルを踏む、というのもこれの一種かもしれない。