しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

宇宙の音がする

早朝、こどもが寝室に駆け込んできて、手に持った牛乳パックを振った。ごとごとと音がして、こどもが「ふつうのおとがする!」と言う。

「普通の音? 普通の音するねえ…(?)」

「ふつうのおと!」

「普通の音するなぁ…??」

ところがそれはわたしの聞き間違いで、かれが言っていたのは

「宇宙の音」だった。

牛乳パックを振る。中で何かが振られてごとごとと音を立てる。

「うちゅうのおと」

「あー宇宙の音。たしかに宇宙の音してるねぇ…(?)」

普通の音ではなく、宇宙の音。いくぶん抽象度が減じたようだが、よくわからない。

 

こどもは牛乳パックの中に手をつっこみ、中に入っていた何かを握った。取り出そうとするが、拳がつかえて抜けない。

ようやく取り出したものは、以前に何かのガチャガチャで入手した天王星を模したプラスチック球だった。こどもは「宇宙!」と天王星を差し出した。

プラスチックと厚紙が衝突する音にすぎないが、「宇宙の音」という表現に妙な納得を受けた。

 

それからかれは食卓に座り、母親が出したバナナとプルーン片の入ったヨーグルトを見て「おなかぐるぐるぱっぱして!」と言った。

今度は妻が困惑する番だった。

「おなかぐるぐるぱっぱ?」

「ヨーグルトに、おなかぐるぐるぱっぱする」

「おなかぐるぐるぱっぱ…?」

「おなかぐるぐるぱっぱして」

それは整腸剤の粉末をヨーグルトにかけてほしい、という意味だった。

前日、お腹の調子がよろしくないと言って整腸剤を使っていた。「おなかぐるぐるするときに飲む薬」とこどもに説明していたらしい。わたしがそれを言うと妻は翻訳にたどり着いた。

「おなかぐるぐるぱっぱ」の本意をわたしが把握しえたのは、「宇宙の音」の理解がそれに先立っていたからかもしれない。こどもの言語の世界にいちど潜って、その内側から「おなかぐるぐるぱっぱ」を知ろうとしたとき、あービオフェルミンね、という理解があった。牛乳パックの中にヨーグルトの渦があり、バナナやプルーンと共に天王星が混ぜ込まれて撹拌され、そこに整腸剤がぱっぱされる……という音を想像する。不思議なことばの世界が同じ部屋に同居している。

靴に靴紐を通す

インタビュー調査の相手に手渡すための菓子折りを買いに出ようとした。出ようとした玄関で、右の靴紐が足首にもっとも近い穴からふつっと切れた。左手に20センチほどの切れ端が現れた。靴に残った靴紐の切れ端を適当に結びつけて、そのまま外出した。菓子折りを買う前に靴紐を買いにいくことになった。

車に乗ると、昨日、郵便局の駐車場の天井から垂れ落ちたらしい何かの滴の跡がフロントガラスに残っている。ガラスを拭くシートをついでに100均で買うことにする。しかし靴紐はどうだろう。100均で買うと、またいつ靴紐が切れるかもしれないとぼんやり不安を感じ続けるかもしれないと思った。実際に切れるかどうかは知らない。そこでショッピングモールの靴屋で求めることにした。奥さんから、のど飴とカットねぎも買ってきてとLINEが来た。マツキヨの割引QRコード画像が合わせて送られてきたが、レジで出すのを忘れた(これを書きながら気付いた)。

帰宅して玄関で靴紐を靴に通す。切れなかった左の靴も、同じように劣化しているだろうから取り替えた。何度か紐の通し方を間違えながら靴に通していると、座り込んでいるわたしの背にこどもが片方の肩を押し付けるようにして座った。玄関のベビーカーに入れている砂遊びセットの袋から、シャボン玉の入れ物を出してごそごそしている。わたしも靴紐をごそごそしている。背中に、こどもの肩や背が当たったり離れたりする。

いったん靴紐を通し終えて、左右の長さを調節する。「ハル、シャボン玉液こぼしてへん?」と聞くと、「こぼしたのじぶんでふいた」と答えが返ってきた。自分で拭くということがあるだろうか? 何で拭いたのか? シャボン玉液ならそう簡単に拭き取れるものではないはずだ。いったいどうやったのかと思って振り返ると、特に床は濡れていないようだった。「そうかー拭いたんかー」と答えつつ、そもそもこぼしていないのか、だとしたら「自分で拭いた」というのは嘘なのだろうかとも思ったが、まぁどっちでもよいかと思った。それより、靴紐が切れたのが平日の朝でなくてよかったと考えた。

太陽系を取り出す、着陸船を取り出す

最近、こどもはロケット打ち上げごっこをする。打ち上げるのは基本的にわたしである。こどもがブロックでロケットを作り、わたしがそれを掴んで打ち上げる。秒読みをして、「ドドドド…」と効果音を付けながらロケットを上昇させる。ある程度上がったら、第一段を切り離す。切り離した第一段ロケットがゆっくりと回転しながら下降し、加速する第二段ロケットから離れてゆくさまを再現する。第2段ロケットも燃焼を終了し、衛星を切り離して軌道に載せる。

こどもにはSpace Xの打ち上げ動画をよく見せている。そのため、こどもは燃焼の終わったロケットを地上に着陸させる。ロケットとはそういうものだと理解している。令和の子だなぁとおもう。

ところが最近、こどもが「ちゃくりくせん取り出して?」と要求した。アポロ計画では、いったん司令船+機械船がサターンVロケットから出て反転し、これが月着陸船にドッキングしてロケットから取り出し、月着陸船+司令船+機械船の構成で月に向かう。

いったん着陸船を取り出してから月に向かう(Wikipediaより)

この着陸船取り出しプロセスを再現せよというのがこどもの要求だった。運用が昭和である。

別の朝、こどもが自身の母親に「太陽系取って?」と要求していた。なんとも雅な言い回しであるなと思っていたら、太陽系ではなく「体温計取って?」の聞き間違いだった。保育園に行く前に毎朝体温を測る習慣である。37.1℃の小さな脇からうっかり太陽系を取り出すところを想像した。

直角直角で座る

奥さんがスーパーで食料品を買っているあいだ、こどもとイートインスペースのカウンター席に座って待った。オレンジを絞ってジュースにする自動販売機が隣にあって、さいきんこのオレンジ絞り機はどこにでもあるなぁと思った。初めて見たのはハーバーランドにあったもので、オレンジの皮をぴーっと切って4,5個絞るのだと奥さんに教えられた。こどもはそれを飲ませてもらったという。特別で贅沢なものに思えたが、案外どこにでもあることを知ってありがたみが無くなった。

カウンター席の椅子はこの自動販売機を背にしているので、こどもの視界には入らなかった。奥さんを待つ間、iPadを開いて蒸気機関車のYoutube動画を見せた。それを見ているこどもの座る姿勢が、たいそう折り目正しい美しい座り方だったので、世の中にはこんな正しい座り方が実在するのかと驚いた。太ももと脛が直角、腰と椅子の座面も直角を成している。座り方のイデアが現前しているではないかと思った。しかしそういえば、こどもが普段座る姿勢を気にしたことが実はなかったかもしれない。別にiPadとYoutubeが無くてもたいてい折り目正しく座っているのかもしれない。いま書いていて、気にしていなかったということに気付いた。

ケースに入っている

わたしの転職と引っ越しに伴い、こどもの保育所も転園となった。入園前の健康診断も行き直すことになった。仕事を2時間早退し、こどもを保育所から引き取った。チャイルドシートに乗せて自宅に戻る最中、こどもが泣き出した。ファミレスの駐車場にいったん入ってこどもを車から降ろし、ペットボトルの水を飲ませて気持ちを落ち着かせた。チャイルドシートに一度乗せる・降ろすだけで汗で肌着がへばりつく。このチャイルドシートというもの、こどもにはきわめて理不尽で不快なものなのだろう。わたしは乗ったことがないからわからない。

 

自宅で牛乳を飲ませ、おしめを取り替えてまた車に乗る。小児科に向かう。ぐずり始める。赤信号で停車中、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、最速で検索する……「はたらくくるま」か?「踏切」か?いやここで頼るべきは「アンパンマン」。トップに出てきた動画を選択し、チャイルドシート上のこどもにスマホを渡して運転に戻る。スマホと車がBluetooth接続されているのでジャムおじさんの声が車内に響く。

 

右折、左折、右折、左折、小児科に着く。歩き回ろうとするこどもの頭や肩を押さえつつ問診票を書く。受付に渡し、名前を呼ばれるのを待つ。

母親らしき女性が、3ヶ月くらいの赤ちゃんを待合室の乳児用ベッドに寝かせた。産婦人科にずらっと置いてある、あの透明なプラスチックのケースである。女性は赤ちゃんをケースに寝かせて、自動会計機の操作を始めた。母親の体温が離れたのに気づいて、赤ちゃんはふにゃりうにゃりと泣き始めた。

 

こどもはケースのそばに立って、赤ちゃんを見始めた。不思議そうな表情をしていた。こどもも2年前はこのサイズのケースに寝かされ、眼をしばたたかせたり、しゃっくりをしていた。もうケースに寝かせても収まらない。足がはみ出る。こどもは起きているあいだずっと何かを喋っているのだけれど、ケースの中の赤ちゃんを見ているときだけ、だまっていた。人間という生き物の来歴について熟考していたような気がするが、それは単にわたしの想像である。

 

 

 

お砂糖ぽとんする

朝、夫婦ふたり分の紅茶を淹れる。2つのカップにそれぞれティーバッグを入れて、わたしのカップだけ角砂糖を入れ、お湯を注ぐ。

けさ子供がその様子を見て、「ハルもおさとうぽとんしたい」と言った。

角砂糖をカップに放り込むという作業をしたかったらしい。

そうなん、どうぞ、と妻が言って、カップの底から角砂糖をつまみ出し、こどもに持たせると、こどもは受け取った角砂糖を再びカップに落とした。こつん、という音がしてこどもは満足したようだった。そして妻が2つのカップにお湯を注いだ。

 

いちど放り込んだ角砂糖をカップから取り出して放り込み直すというのは無駄ではあるのだが、こどもはそれをやりたかったらしい。とにかく自分でやってみる必要があったのだろう。自分がやってみたら角砂糖がカップの中で浮遊するかもしれないし、別宇宙に消えてしまうかもしれない。それらの可能性はひとつずつ潰す必要がある。いわば、宇宙の挙動を確認する仕事である。ほかのひとには任せられないのだろう。

 

わたしは紅茶を飲んで、東京の大学に就職した元同僚に統計処理のことを教えてもらいに行った。こどもと妻は保育園に行った。

だっこリアル

さいきん神戸市はちょっと正気ですか?というくらいハーバーランドらへんで花火をぼかぼか上げていて、今週はずっとメリケンパークで6時半から15分くらい打ち上げるらしいです。それで先日、奥さんと子供の3人でメリケンパーク近くまで歩いてって、わりと近くから花火を見せた。

打ち上げ花火なんで、弾がひゅーっと風を切る音とか、光の広がりから半拍遅れてドンって音が聞こえるのがなんかリアルやなーって見てた。こどもは後半飽きてきたんだけども、なんかいろいろしゃべったり感嘆の声を上げたりしておった。遠くから光だけ見るのとはまた違って、特に音がリアルなかんじが良くて、連れてきてよかったなぁと思ってスマホで写真しゃこしゃこ撮ってた。

そんで、なにが「リアル」なんかなぁとぼんやり考えてたのですが、戦争映画っぽいなぁ、こういう「音」がするよなぁと気づいた。戦争映画っていうか戦争ってたぶんこういう音もするんやろなぁ、と。弾が風を切る音、半拍遅れる「ドン!」って音とか。地球の別の場所で2箇所で同時にリアルというか本物の戦争やってて、爆弾落としたり打ち上げたり機関砲撃ったり、そういうことをしているのに花火を楽しんでる自分は何なんだろう……とわざわざ意識高いっぽく考えるのも難しくて、まぁ花火も楽しんでこどもも嬉しそうで良かったなという感想と、本物の戦争してるよなというこれもぼんやりした意識が混じり合うことも区分されることもなく漂ってて、戦争してるよなぁ、戦争…という感想にしかならなかった。

そのこどもが昨日、下痢になったんで病院に連れていって、待合室にいるときはあまり考えなかったのだけれど帰宅してから(仕事はほぼできてない)病院に爆弾が落ちて500人死んだとかいうニュースを思い出した。どうもニュースの信憑性が怪しいようだという続報が入り始めたのは今朝方のことで、そのときは病院になぁ、ぼくらも病院行ってたけどなぁ……と、これまたリアルでも妄想でもない感想にしかならなかった。私とこどもが両方巻き込まれてもキルカウント「2」にしかならず、あと250組必要である。

薬局に寄るのを忘れたので、こどもが昼寝から醒めたら商店街を歩いて薬局に行った。半分ほどはこどもが歩いて、半分は抱っこして移動した。さいきん、抱っこ中もこどもの腰が座って両手両足でこちらの体を掴んでくれるので抱っこしやすい。

いま空襲警報鳴ったら、ハマスの浸透兵が銃を乱射してきたら、ロシア軍の機甲部隊が乗り込んできたら、この抱っこの姿勢のままだーっと逃げるんやろなぁとおもう。テレビのニュースに映る避難民もだいたいそういう抱っこをしている。だーっと抱っこしながら逃げるとき、なんかリアルやなぁってぼんやり思うのかもしれない。思わないかもしれない。いまも何にしろぼんやり思ってるだけなんで。津波とか大規模火災とかでも自分はそんなふうに逃げるんかな。そのあとコメダに寄ってアイスコーヒーと小倉食パンを食べた。こどもは食パンを半分みしゃみしゃ食べた。