しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

伊藤野枝と電車内の記述 その2 大正時代の痴漢

伊藤野枝集』を読んでいたら、もう一箇所、電車内についての記述が出てきたので書き抜いておく。

 

私はよくこみ合う電車の中などで、こみ合うのをいい幸にして、わざと身体をすりよせて来たりする不都合者に時々出遭います。そんな場合には、どうも表立ってとがめる訳にゆきませんから、何時もその男の顔を見ながらわざわざ足を踏んでやるとか、できるだけ強硬にひじを突っ張って押し返してやるとか、黙って、出来るだけしかえしをしてやります。

(…)

 或時、私は電車の中で、品のいい二十ばかりのおとなしそうな娘さんと一緒に乗り合わした事があります。その時には電車の中の半分は空席でした。すると或停留所から一人の酔っぱらいが乗りました。それほどひどくよっていたのか、それとも酔ったふりをしていたのかは知りませんが、その酔っぱらいはよろけながらぴったりとその娘さんの傍に腰を下ろして、電車がゆれるたびにその大きな体をかぼそい娘さんの方にもたれかけて行きます。娘さんは、迷惑そうに眉を寄せて少し体をずらしましたが、酔っぱらいはすぐにまたその間をつめてやはりぴったりよりそってしまいます。二三度そういう事をしていました。私はそれを見ていて、よくその娘さんが思い切って他の場所にうつってしまえばいいのに、と思いましたが別にそんな事もなしに、その酔っぱらいの傍に小さくなって何時までも腰かけています。(pp.314-315)

 読んでショックだった。このエッセイが書かれたのは1925年。いまから96年前ということになる。百年近く前から痴漢があった。現代まで、ほとんどなにも変わっていないではないか…。

 

伊藤野枝集 (岩波文庫)

伊藤野枝集 (岩波文庫)