しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

実験記録:血気盛んな男子70名を密室に閉じ込めると何が起きるのか…?!

論文を書くぞーということで過去の文献を漁っているといろいろと面白いものも出てくる。今日はその1件を紹介する。

密閉した地下室に70人の男性を閉じ込めて数時間、何が起きたのか…?!!

煽るのはこれぐらいにして真面目に紹介すると、空襲に備えた防護室(いわゆる防空壕)で、人は何時間くらい耐えられるのかという実験。1937年4月、スペインで悪名高い「ゲルニカ爆撃」があった。日本も上海事変や日中戦争で大規模な空襲を開始し始めるころで、また空襲を「受ける」側になりうることもすでに想像力の範囲に入っていた。実験はこの年の9月に実施されている。

実は真夏の最中に行ふ予定でございましたが、準備などの都合で遅れまして、9月11日に行はれたのでございます。(…)目的は申すまでもございませぬが、防護室に逃げ込んだ時に、一体何時間耐へられるであらうか、温度、湿度、炭酸瓦斯等の条件が非常に悪くなりますから、さう云ふ悪い条件の下に於て人間がどの位耐へられるであろうかを試さうと云ふ訳であります。

なかなかヒドイというか無茶な実験である。実験場は鉄筋コンクリート造の地下室。出入り口と窓をいずれも密閉し、板張りをした。排気ダクト等も厳重に目張りをしたという。密閉したのは毒ガス弾を打ち込まれたときを想定しているため。こうして、35平方メートルの密閉地下室に70人を詰め込んだ。

実際座って見ますともうぎっしりでありまして、左右人と人とが摺合ふ、膝と膝とがくっ附く位で非常に窮屈な思ひをした訳であります、(…)年齢は19歳が最年少で、65歳迄、平均が36歳になります。(…)皆男子でありまして、血気盛んな人が入って居ったと云ふ訳でありますが(…)

想像するだけでも蒸し暑くなる。英独で同様の実験がすでに行われたらしいが「多くても30人」だったそうだ。ドイツでは地下室に4時間粘って、室温が19度から26,7度に上がったという。ドイツの実験では二酸化炭素濃度2%を限度とせよという結果だった。

此の実験に先つて計算致しますと相当大きなパーセンテーヂに達しますが、人命には差支えないだらうと云ふ風なことも衛生方面のことから分かつて居りますので敢へて行った訳であります。

ドイツの実験よりも条件をさらに悪くしているが、まあ大丈夫だろうということで決行。「差支えないだろうと云ふ風なこと」という歯切れの悪い書き方が気になる…。

 

実際の温度と湿度の変化のグラフも示されているが転載はやめておく。実験は13時30分入室、35分に密閉、16時35分に終了した。この日は外気温自体が27~8度と高く「朝の会った挨拶が、今日は蒸し暑いな、と云ふような挨拶を交して居る位でありまして」という状態だったらしい。うわー、参加したくないなぁ。

気になる室温は29度からすぐに32度に上がり、最高で33度。湿度は97%を超えるぐらいだが

実際入って居った時の感じを申し上げますと100パーセントを超えて居ったやうに感じました。と申しますのは配管からぽたぽた垂れて来ますし、天井からもぽたぽた垂れて来て、色々な記録用の用紙が全部びしょびしょになって参りますし、扇子を使って居りましたが、それもびしょびしょになって使ひ途にならない、全部紙と云ふ紙がびしょびしょになって居りまして、実際は九十七八パーセントとしか表はわれて居りませぬが、感じは100何パーセントと云ひたい位であります。

コミケ雲と同じでは…

 

酸素は20%から15%へ低下。二酸化炭素は実験終了時には5%近くになっていたという。「(ドイツの実験では)防護室には2パーセントに制限して居るのでありますから、したがって此の実験には1時間半以内に止めなければならないと云ふやうな有様でありました所を三時間迄頑張った訳であります」。頑張らずに中止してほしかった。

 

参加者の感想も30分ごとに記録していたという。ここらへんは綿密な実験計画だ。

最初の30分では「蒸し暑い」「発汗が甚だしい」が、次には「汗は出方が前より減った」「頭が重い」という感想が出てくる。次いで頭痛は減って、「息苦しい」という感想が増える。立ち上がると非常に苦しかったという。「身体に相当の変化があるやうでありますが、暫くしますと落付きますが、其の中に空気が非常に悪いので、又段々総てが悪くなると云ふやうな状態であります」。

そりゃそうだろう、そもそもやる前からわかってたんじゃないかと言いたくなるが、英独の実験の数字をそのまま採用して施設整備の計画を立てることもできなかったのかもしれない。熱中症の死者が出なかったのは単なる幸運だったのではなかろうか。

麻婆豆腐のような世界

数年前に沖縄に行ったとき、地元の戦跡・基地ガイドの方と、国道を走るレンタカーの中で、ニューヨーク同時多発テロ以降、世界は見せかけの秩序さえ失って、ひたすらぐずぐずになったように感じる、と話した。その方も深くうなづいておられた。

9.11以前の世界には、いちおうの秩序のようなものがあった。実態として有ったのではなく、秩序のイメージのようなものに過ぎないのだけれど、ともかくもそのイメージがあった。それは何ら強固なものではなく、やはり見せかけで、言ってみればこんにゃくゼリーのようなぶよぶよとしたものだった。ただ、こんにゃくゼリーは一応それ自体でかたちを保っている。アメリカというこんにゃくゼリー、ヨーロッパや中国やインドや南米やロシアといったこんにゃくゼリーがあり、またキリスト教、イスラーム、権威主義、平和主義、資本主義といったもろもろのこんにゃくゼリーがあった。

秩序(のイメージ)を維持するために、ゼリーの内部やゼリー同士の境界面では凄惨な抑圧や暴力が当然に続いていた。だから、9.11以前の世界が「良かった」とはわたしは決して言わない。ただ、表面的で建前にすぎないものとはいえ、秩序がみずからを活かし続けるためには正しさや合理性が必要だということも前提とされていた。どれだけ腐敗したこんにゃくゼリーであっても、進歩や改善は完全には廃棄されておらず、少なくともその建前を論ずる余地はあった。

同時多発テロ以降、このこんにゃくゼリー的な秩序が完全に崩れたように感じる。豆腐同士が衝突していずれもグズグズになり、建前すら消失して先の見えないごった煮になった。世界全体が麻婆豆腐になったようなかんじ。

数機のジェット機がこんにゃくゼリーを麻婆豆腐に転換させたのではなく、その転質はずっと以前から続いていたのだろう。ハイジャック機の突入はその最後の仕上げあるいは引き金にすぎなかった。

麻婆豆腐的な世界のなかでは建前も道理も無くなる。剥き出しの利益追求と情報拡散と排外主義が、自身の行き先がわからぬまま茹で続けられ対流している。その鍋の中で人々は耳目が及ぶ範囲で完結する擬似秩序を求める。正義や理念の支えを持たない、ただルールであるだけのルールさえあれば自分と他人を抑圧するのに足りて満足している。そうして日本はマナー講師だらけになった。

雑巾を絞る

 日本の公的組織における危機管理の特徴として、危機対応業務の質・量が平時業務より大きく変化しても、平時の組織体制や仕組みを温存したまま、各対応機関の能力の余地を使い尽くすことで、その倍加する業務を捌こうとする点が見出される。要するに各機関・各部署で大幅に「無理をする」ことで乗り切ろうとする思想である。

 今回の国内のコロナ対応は全般にこの思想に沿っている。既存の病院の病床を最後の一滴まで雑巾を絞るように捻出する、というのが最初の選択だった。ところがこの思想は、各機関が平時に蓄えていたマージンを使い尽くすものだから、ぶっこまれてくる業務量がそのマージンをも超えれば限界に至る。実際、ドミノ倒しのように病床や保健所の能力が限界に至り、その末端では救急車の隊員が在宅の入院不能患者のもとに酸素ボンベを運ぶといった状況が現れている。

 この思想が一概に悪いとは言えない。平時の体制は極めて効率化されているので、その体制内に温存されていたマージンをまず使うことは、対応能力を迅速に最大化することにつながる。他方で、この方式はやはりいくつもの欠点がある。マージンを使い尽くせばそれまでであり、その臨界点を越えると業務が平時の組織体制全体においてオーバーフローする。堤防の決壊部分のみをなんとかするという対処ではなく、ダムが越水し堤防全体において越流が生じ続けるような状態に陥る。

 また、どれだけ現場が努力してもマージンは平時の能力の数割が限界である。100床の病院が120床まで頑張ることはできても、100床が300床になることはない。さいごに、マージンが払底し、臨界点を超えると、全体の効率が下がることである。余力を使い尽くすことは言ってみれば部分最適化にすぎない。搬送先が見つからず救急車が車内の患者を必死にケアしながら市中をさまよう状況は、全体の効率という観点がすでに消失したということなのだろうとおもう。

 この〈マージン使いつくし〉に対するもう一つの考え方は、危機の事情に合わせて平時の組織体制を大幅に組み換えることである。コロナ対応で言えば「野戦病院」案(これも曖昧な表現ですが…)がこれにあたると思われる。この考え方の要点は、医療資源を一箇所に集中させて、質・量ともにスケールメリットを狙うことである。

 他方で〈大幅組み換え〉にもいくつかの欠点がある。第一に当初は全体効率がいったん落ちるだろうということである。平時の組織体制が持っていた効率性をいったん手放すことになる。次に、対処すべき危機対応業務の総量を見積もることが難しいことである。野戦病院の例で言えば500床が適切なのか1000床なのか、近い将来を見越して良い塩梅の数字を決め打ちすることが必要になる。これはある種のセンスが求められる。また、こうした大幅組み換えはたいていの場合それぞれの現場や意思決定者にとっては初めての試みになるので、そもそもこれはうまく回るのかという当然の疑問が生じる。これを乗り越えるというコストがかかる。

 以上のように、〈マージン使い尽くし〉思想も〈大幅組み換え〉思想も当然に一長一短であって、日本のコロナ対応がおおむね前者に偏っていることそのものは単純に否定されるべきではない。

 本当の問題は、2つの考え方を選択できる状況を確保できなかった(できていない)という点にあるとおもう。〈大幅組み換え〉を発動するためにも、それなりの余力が必要である。オフィスの模様替えをすれば従業員の動線が大幅改善することがわかっていても、繁忙期の真っ只中に模様替えを始めるひとはいない。マージンを使い尽くすこと、最後の一滴まで絞り切ることに専心しすぎて、大幅組み換えが必要とわかっていても、そのための余力がすでに払底している。〈マージン使い尽くし〉方式の本当の恐ろしさがここにある。現場努力で即座に個別最適化することで、全体としてはかえって戦略的な手詰まり状態に自ら陥ってしまう。

 とすると、なぜこのような状態にはまりこんでしまうのか、ということを考えておく必要がある。

「なにものでもなかった」


オリンピックもパラリンピックも全く見ておらず、この車椅子バスケットボールの展開も記事で初めて知った。書き留めておこうと思った。

 

2000年シドニー大会以来のメダルを逃したことに加え、58点差での大敗。厳しい現実は、日本の選手が悲嘆に暮れることすら許さなかった。「悔しいと思うレベルにない。小学生とプロ、くらいの違いがある」。得点源と期待された初出場の32歳、北田千尋の言葉がすべてを物語る。(中略)

代表の主軸である藤井郁美が所属チームの優勝に貢献し、優秀選手にも選出され成果を上げたほか、コロナ禍では強化試合で男子チームと対戦するなど制限下でも工夫を続けてきただけに、今回も成果を示すつもりだった。/「そもそも自分たちは何者でもなかった、ということ」と藤井は言う。

 

わたしは車椅子バスケットボールも、そもそもスポーツ全般に疎いけれど、この総括をした藤井選手は本当のアスリートでいらっしゃるとおもった。「そもそも自分たちは何者でもなかった、ということ」。再起のスタートラインを引くことばで、ちからづよい。甘い悔しさではなくて、ただただ自己認識がある。ものすごいひとであるとおもう。初めてスポーツチームを応援したいと感じた。

目的なき受光

 眼を最初に手に入れた生物はイソギンチャクの仲間であるらしい。ただし眼と言っても哺乳類のそれのような、眼球が動きピントを合わせる超高機能なものではなく、きわめて単純な光センサーにすぎなかった。可視光線を当てられると反応して周囲の細胞に信号を送るセンサー細胞が、ただ一個か数個、イソギンチャクの頂端部にできた。しかしそれは進化史においては重大な変化だった。光センサーを備えたイソギンチャクの上を生物が通ると、影がその下にできる。その光の有無の変化を読み取って、イソギンチャクは触手を引っ込める。すると上を泳ぐ捕食者から身を守ることができる。このような活用方法であれば、単純なセンサーでも十分に生存の役に立つ。こうして光センサー細胞は進化の過程に本格的に組み込まれるようになった。

 ところで自分が気になるのは、こうした光の変化と触手の筋肉とを連動させる仕組みを手に入れるさらに以前、イソギンチャクはどう世界を見ていたのか、ということである。

 イソギンチャクが、触手を引っ込めたり出したりする機能を既に持っていたとする。そしてまた、突然変異によって偶然に光センサー細胞を手に入れた。その二つのコンポーネントが連動するようになるまでには、さらに長い突然変異と淘汰の過程が必要だったはずである。とすると、その連動が成立する以前の世代のイソギンチャクはどうすごしていたのか。光の有無はセンサーで受け取るけれども、それだけである。どれだけ光があっても無くても、何も変わらない。けれども原始的な眼は世界に開かれ続けており、世界を開き続けている。いやあるいはどれだけセンサーの機能が優れていても、なんらかの目的に連動していなければ無意味かもしれない。目的が無ければセンサーだけがあっても知覚は存在しないと言うべきだろうか。どうだろう。

 ただ見ているだけのイソギンチャクの存在を想像してみると、案外たのしい。何にも繋がらない、行動も生存も招来しない。けれども光を感じ続けている。無意味と言わなくても良い気がする。

 

 

未来の水路

 いつも使っている駅が近頃天井からの漏水に悩んでいる。地下駅なので、雨が降ると地下水が浸み出すようだ。

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臨時の雨樋

 漏水はこの駅の老朽化によるものであろうけれど、そもそも地下鉄は常に溜まる地下水をどうしているのか。検索すると次のような回答があった。

 

地下鉄が浸水した場合、自然に水がひく事はないと思うのですが、全てポンプで汲み出しているのでしょうか?その場合、至る所にポンプを設置できるわけではないと思いますがどのように排水しているのでしょうか? - Quora

 

 自然に溜まるような構造にしておき、一定水位になるとポンプで下水道へ排水するとのこと。うまく考えられているのだなと思った。

 先日、中国の豪雨災害で地下鉄車内に水が入る映像がニュースで流れたが、これもポンプの排水能力を大きく超える雨水が流入したということだろう。

 裏を返せば、ポンプと電気が常時機能しているからこそ地下鉄は水没せずに済んでいるわけで、脆弱な構造でもある。

 電気が全部止まってしまったら、何ヶ月くらいでこの地下路線と駅は水没してしまうのだろうか。それを想像するのは少し楽しい。その後、未来人たちは都市の地下に不可解な水路が張り巡らされていることに困惑するだろう。

批判と悲しみと自衛

先週のことだったか、どなたかが描いた一枚の説明文付きイラストがSNS等で広く共有された。そのイラスト中に、「誰かを批判しても悲しんでも誰も守ってはくれません。近づいてくるのはコロナだけです。」という一文があった。それを首肯するブログ記事も出された。

 

じぶんはこの一文を読んだとき、(大雑把な言い方だが)世代の切れ目といったものを感じた。これも大雑把な考え方だが、ある程度若い年代のひとびとはこの一文に共感し、ある程度老いた年代のひとびとはこの一文に違和感を持つのではないか。切れ目の要点は「批判」の捉え方である。

 

はじめに断っておくと、この切り分け方においては、わたし自身の受け取り方は後者の「老いた年代」のものに属する。現在の破綻的な感染拡大は、この10年間、社会が健全な批判と健全な悲嘆を遠ざけてきたために起きている、とわたしは考えているからだ。しかし上記のイラストが広く共有されたということは、このわたしの考え方とは違う捉え方をしているひとも多いのだろう。

 

さてこの表現の興味深いところは、〈批判・悲嘆〉と、〈自衛・生存〉が両立しがたいものと理解されているところにある。自衛をせよ、という主張自体は全く正しい。政府や専門家が頼りにならない、という態度もわかる。しかし、批判や悲嘆は自衛と独立して行えるはずだろうとわたしは考えてしまう。むしろ健全な批判や悲嘆が無ければ、自衛すべき状況がさらに悪化するという捉え方を当然としてしまう。だがこのイラストの書き手はそうは考えていないようにおもえる。

 

この捉え方にはさらに3つの前提があるように思われる。

第一に、批判や悲嘆には一定のコストがかかるので、それに明け暮れていると自衛・生存にかけるべきコストが減ぜられてしまうという感覚である。

第ニに、体制批判に対する素朴にネガティブな感覚である。やや旧聞に属するが、芸能界出身の自民党の若い代議士が「批判無き政治」というスローガンを掲げて話題になったことがあった。彼女はおそらく「批判」という語に対する若い感受性をそのまま発揮したのだろう。先見の明があった、といえる。「批判」とは、社会や体制全体の回転を妨害し、世の中の秩序を消失させてしまう行為であるという捉え方があるようにおもう。

第三に、第一と第二のものと重なるが、批判は何ら生産的なものを相手や体制から引き出すことはなく、どれだけやってもエネルギーと時間の無駄という感覚である。