しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

ロスト・ワールド、ロスト・おなか

 GWいっぱいで育休を終え、連休明けから復職した。

 毎日子どもと奥さんとずっといっしょにいる生活から、朝にすこし抱っこして夜帰宅するとまた抱っこして寝る生活に変わった。復職初日、帰宅して抱っこするとこどもがおどろいたような顔でわたしを見つめた。そういやおまえおったんか…! でも誰やっけ…? というような。

 復職して強く感じたことは、からだの使い方が全く違う、ということである。復職して数日間は頭に血が滞留する感覚があった。育休期間中も学会関係や共同研究など広義の仕事はけっきょく続いていたのだが、身体の負荷の大半が「頭」に集中するこの感覚は久しぶりだった。

 育休期間中はどのようにからだを使っていたのかと顧みると、活躍していたのは指や手首に加えて「おなか」だったようにおもう。横抱っこをしているとき、こどもの左の脇腹とわたしのおなかは数枚の衣服を挟んで密着していた。縦抱っこになると接する面積は飛躍的に増えた。左腕がおしめと太ももに、右腕がこどもの肩や背中をつつみ、右の頬がこどもの頭や側頭部に触れた。そしておなかと胸がこどものおなかや胸と向き合って接している。

 そのとき、おなかは感覚器官だった。目や耳や指先でこどもの状態をセンシングしていると思っていたが、こどもの状態のダイレクトな直感はまずわたしのおなかが把握していた。耳目や指のように、相手を「そこにあるそれ」として対象的に捉えるというはたらきかたではないけれど、体温や消化の様子、呼吸の調子、眠たさやぐずり具合をおなかは「受け止めて」いた。受け止めながら探りとり、またおそらく、こちらのおなかからこどものおなかへ、なにほどかを伝えていた。そうしておなかが把握したことの一部はわたし自身の意識に昇り、一部は意識を介さずにからだの他の部分に伝わって姿勢や指先の動きとして現れ、あるいは動きや態度に表して妻に無意識的に共有していたかもしれない。そのときわたしのおなかは、こどもの体重と体温をまず包み、支えるだけでなく、わたし自身の消化や生命のはたらきであり、そしてこどもをそこにあるものとしておだやかにおぼろげに捉え、わたし自身を安心させ、こどもとのコミュニケーションの媒体であり界面であった。それはじっとだまって地味であったけれど、それだけに指先以上に鋭敏で表現ゆたかな器官ないしは場所であったとおもう。

 そのおなかが、突然にほぼお役御免となった。それは派手に言えば、世界の捉え方と、その現場へのからだの参画の仕方の大幅な組み換えだった。からだ全体をゆみなりにしてこどもを抱きかかえていて、おなかはそのもっとも中心のぬくい焦点だったのが、いまや世界は頭頂部に移された。視線と聴覚と表情のわずかな動きが世界を切り裂いてゆく。おなかは捉えるべきもの、かかえこむべきもの、接するべきものを突然うしない、世界への感覚と体温の結びつきが解除されてしまった。おだやかにあいまいに、そのうえで鋭敏にわたしを包み返していた世界が立ち消えて、胴体まるごとがどこかにいってしまった。あとには、頭を支える構造材としての首と背中と腰だけが、そしてそれぞれの荷重だけが残っている。

 こうしたわけで、出勤時と帰宅時にからだと世界の感覚がいまがらっと変わるぞおーという体験をくりかえしている。こどものおどろいた顔も、そのモードのきりかわりに巻き込まれていたからかもしれない。

「非常勤講師」の経歴詐称

 この事件、「盛る」のは良くないのだけれども、「盛ってしまう」感覚もややわからないでもない。なので、「経歴詐称」という表現はちょっと過剰かなともおもう。

 

 「非常勤講師」の経歴を持つと自称しうるパターンはおおむね以下のものがある。

1)ある学期を通して一つの授業コマを全て受け持つ。シラバス執筆、授業(2学期制なら全15回)、試験(レポート、筆記試験、実技試験等)、成績評価、成績評価への異議申し立て対応を一貫して行う。

2)ある学期の一つの授業コマを、複数の講師で分担して受け持つ。シラバス執筆など一連の作業は1)と同じだが、複数講師が分担する。もしくはメインの講師を決めておく。

3)別の先生が受け持っている一つの授業コマの、1回か2回の講義をスポット的に担当する。シラバス執筆や成績評価等は行わないが、その担当回の授業準備は自分が責任を負う。

4)別の先生が受け持っている一つの授業コマの中の1回に、ゲストスピーカーとして招聘され話をする。

 

 このうち、もっとも狭く捉えるなら、「非常勤講師」の経歴として履歴書等に書けるのは1)のみだろう。この場合、「豆腐大学国際麻婆マネジメント学科「豆腐概論1」非常勤講師(2018-2021、前期開講)」と記載すればまず誤解は無い。

 個人的な感覚としては、シラバス執筆に参加していれば2)も非常勤講師の経歴として認めるべきだとおもう。ただ、履歴書に正確に記載するのはやや面倒だ。「「豆腐概論1」非常勤講師(2018-2021、前期開講、内4回分)」などと書くことになるだろうか。年によって分担担当の回数や時期が変わる可能性もあり、履歴書を受け取る側もわかりづらいかもしれない。あまり煩雑になるのもアレだから1)と同じように書いちゃえという方向に傾きそうだ。(Researchmapでは書き分けできるのだろうか?)

 3)は微妙なところで、機能上は部分的に非常勤講師なのだけれど、社会的な経歴としては「非常勤講師」を「やってきました」とはみなしがたい。大学から依頼状は来るが契約書は交わさないはず。おそらくシラバス執筆と最終的な成績評価に責任を持っているか否かで線引きが可能。このあたり履歴書には誤解の無いように書くべきで、「「豆腐概論1」非常勤講師、2022年10月2日」と書けば良いとおもう。スポット担当なのに日付指定が無かったら、個人的には「あかんやろ」判定。

 4)と3)の違いはどこにあるのか。これも微妙なのだけれど、その授業の正式な担当講師が授業時間中にどこまでコミットしているか、によるとおもう。授業開始時に担当講師が最初に話を切り出し、ゲストスピーカーの紹介や前フリの話をして、授業後の質疑応答等の司会やトラブル対応も行うというのが一般的ではなかろうか。この場合、担当講師は授業の「枠組み」を依然として引き受けているわけで、ゲストスピーカーはあくまでその内側にいる。

 今回の議員の事例は、この4)の経験を「非常勤講師」として記載していたものらしい。社会通念上、非常勤講師と聞いて想像するのはほぼ1)だろう。実際は4)なのに1)を想起させる「豆腐大学 非常勤講師」という記載は余りにミスリーディング。せめて日付記載があれば…。

 ただ、1から4まである程度グラデーションがある(その中での明確な線引きは可能)ので、ゼロから経歴詐称をしたのではなく、ちょっとあかんかんじに「盛って」しまったのだろうという理解をした。盛るのは良くないけれど、ちょっと盛ってしまいやすい背景があるねという話でした。

ただふにらふにらぱたぱたしている

こどもと接していると、しあわせとはいったい何であろうなぁと素朴に疑問をおぼえる。

わたし自身は、こどもと接していることはたしかに幸福を感じる。それはたとえば、腕の中でこどもがまどろみつつあったり、体重の増加を確認したり、哺乳瓶のミルクが空になったとき。あるいは、あやしているうちにこどもが満面の笑みを一瞬ほころばせるときや、くぅくぅと何かをこちらに訴えかけるような声を出すとき。沐浴のあとに顔に保湿クリームを塗ったり、首筋にねばりついた皮脂を拭き取るときにも幸福を感じる。写真を見返すことや、妻からこどもの話を聞くことも幸せだとおもう。

これらはなにものにも代えがたいけれども、しかしそれ以上に幸福を感じるのは、わたしや妻がこどもとじかに接しておらず、こどもがひとりでふにらふにらと手足を動かし、首や視線をゆらがせてただ満足しているのを見るときである。前段の幸福は、自分とこどもの関わりによって生じる幸福である。これに対して、こどもがただ自分自身で居心地ついており、満足して、求めることも欠けることもなく自らを存在している。おそらくこども自身も幸福を感じているけれども、そうした感覚すら必要としていない。むさぼらず、おだやかなままで居る。そうした様子を確認することは、子どもと関わることによる幸福と質がまったく異なるようにおもう。

何が違うのだろう。関わりによる幸福は、求め合い、与え合うような営みから初めて生じる幸福である。これは増大を求める幸福でもある。こどもが笑顔を見せてくれると幸せに感じるがために、笑顔をさらに求めてしまう。あやしたり、かれが心地よくなるように工夫する。相手に期待し、求め、刺激し、そうして生じたものを受け取るという態勢がお互いにある。この互酬関係はこどもの生存には必須のもので、たしかに悪いものではない。しかしそれだけに実利的なものと地続きでもある。プレゼントを渡して好意を得るとか、学生に丁寧に教えて良いレポートを提出してもらうとか、さらにはお金を支払って一定の製品やサービスを享受するといった、損得や実利の「関わり」と本質的には同じ種類であるようにおもう。

それに対して、こどもがひとりで幸せそうにしているのを少し離れたところから見るとき、わたしとかれのあいだに関わりが生じていない。こどもがほのかに微笑んでいても、それはわたしに対して笑顔をみせているのではない。手足を動かしたいから動かしている、近くにあるものを見たいからただ見ている。それで満足している。極楽浄土の蓮の花がただ開いたり閉じたりするのを眺めているような気持ちになる。こどもが、本質的にはわたしたち保護者や制度上・生物学上の親を必要とせず、いま現在の享受においてはかれ自身がかれ自身である。それで済んでいる。それを確認することが、この異質な幸福の核心なのかもしれない。関係による幸福も大切だけれど、無関係ゆえの幸福はさらに特別であると感じている。

なぜに大人はこの赤子のただふにらふにら、ぱたぱたころころしているような幸福をみずから享受することが難しいのだろう。余計なことを考え、心配し、あれこれ手を尽くして幸福の実感をかき集めようとしてしまう。そんなことは何もせず、なにも見つめず、ただ赤子のように、まばたく植物のようにしていればよいではないか。…と思うものの、やはりそれは今更無理なことである。

ところでこどものそうした様子を見ていると、一見無意味にみえる手足の動きや表情が、大人のからだの動きや表情の練習をしているのかもしれないな、とふとおもった。大人が主に夢になかでそうするように、関わりのなかで体験した所作や表情を自分で咀嚼しなおしているようである。そうした動きを身につけることで、おだやかな安息は失われて、かれはより現実的な苦楽を経験するようになってしまうのかもしれない。だから見ていて特別な幸福を感じるけれど、かすかに悲しいような感覚もある。

重力と視界

 生後7週が過ぎ、縦抱っこの時間が以前よりも増えている。1ヶ月ころまではほとんど横抱っこだった。ミルクの後のげっぷとんとんの時だけ肩に担ぎ上げた。初めて担いだときは、こどもの頬や顔の熱がこちらの顔に触れて、なんとも嬉しかった。ただ、先に書いたように(首よ座れ - しずかなアンテナ)、首が座らないうちは指や腕が足りず、肩担ぎも縦抱っこも機会は少なかった。

 ここ数日は横だっこをやや嫌がる傾向にある。こちらの想像を投影しすぎるのは避けたいが、どうも横に抱かれるのはこどもにとって「つまらない」ようだ。

 ベッドに寝ているときや横抱っこをされているとき、こどもの後頭部は布団や腕に接し、顔面は水平になって目は天井を向く。親の顔がときおりにょっきりと視界を覆い、そうでないときは天井や壁の一部が見えていることになる。こうした上方への視界は確かに「つまらない」ものだろう。天井に模様が無いからというより、視線方向の空間に奥行きや広がりが無く、探索や観察の可能性がきわめて少ないからだ。天井が無く青空のみであったとしても基本的には同様で、雲や鳥が視界の端から端へ横切るのをたまに見るほかなく、開け放たれた空間に視線が吸収されてしまう。首と目を左右上下に振ってスキャンするぐらいで、見る側の身体運動も狭められてゆく。

 これに対して、肩担ぎや縦だっこの状態では顔面が大人と同様に地上に対して垂直になり、水平方向に視線が伸びてゆく。視線の伸びは壁や扉でいったん止まるが、その横や裏側に再度動き出し、空間がどこまでも立体化・構造化してゆく。なにより、興味を惹く諸々のモノや動きは顔に対して水平方向に配置されている。

 生後2週目の時点ですでにそうだったように記憶しているのだが、肩に担がれたときのこどもの表情が、横だっこの時と明らかに切り替わる。横だっこの時はおおむね安心し、表情もまどろんでいる。顔とからだが縦にされると、とつぜん視界がかれの顔から放射され、焦点を求めて眼の動きが変わる。(もっとも、これはかれが目覚めているときの話で、授乳後のげっぷとんとんの時間は満腹になってまぶたが閉じていることの方が多い)

 縦抱っこの時間が増えてきたのは、こうした興味・関心の拡大によるところが第一かもしれない。しかしそれに先立って、なにより首の発達がある。およそ5週目を過ぎたころ、頭部全体の揺れに対して首に力を込め、揺れを抑えようとする所作が生じてきた。まだ「首が座る」には至らないけれども、自分の頭の重さに対抗して、それを持ち上げつつ、ゆらゆら支えようとする。

 面白いことに、この首の「持ち上げ」とほぼ同時期に、少し離れたところへ視線が合い始めた。それまでは周囲1m内外の空間を黒眼がぼんやりと漂っていたのが、突然、1.5m-2mほど離れた相手に対してもくっきりと眼が合うようになった。一昨日くらいからは、呼びかけに応じて眼が合うだけでなく、こどもの方から音や動きの対象を把握し、こちらに視線を「投げてくる」。(昨日はにゅっと向こうから視線を合わせてきて思わずわたしの方が目をそらしてしまった)

 首の持ち上げと視界の拡大は連動しているようにおもえる。首が安定するからこそ視線も安定する。こどもが遠くまで見るようになったのは、首の発達があったからだろう。しかし、縦抱っこ時の表情の変化は首の安定よりもずっと先だった。首が不安定な時期でも、こどもは可能なかぎり自分の立体的な視界を確保しようとしていた。

 首と眼の発達のいずれが先ということではなく、それぞれの発達が互いを刺激しつつ、水平方向への視線を維持するという共通の目的を深化させているのかもしれない。首が安定することで、視線が安定する。視線が安定することで、より遠くのものを見続けるという無言の目的が生じ、身体に浸透する。その浸透によって眼球や首の動きの制御が高度化し、次の目的が可能となる。こどもと間近に接していると、この身体と目的の発達サイクルを実感する。身体だけが強固になってゆくのでもなく、抽象的な目的が最初からインストールされているのでもない。からだと目的がお互いを深めあっている。新生児期におけるそのサイクルの軸は視界と首である。おとなはそのサイクルをだっこの工夫で支えていたのだな、といまごろになって気づいた。なお、次の軸はおそらく「把握」と「移動」だろう。興味のある方へ腕を伸ばしてみる、脚をキックして前へ進もうとする、という衝動の素体がぼんやりと生じている。ただしまだこのレベルについては身体も目的も曖昧で、腕が招き猫のようにぶんぶん回り、前進ではなく頭突き運動にすぎないのだが。

 抱っこが次第に横から縦になってきたのは、こうした過程においてである。それは親の動きの発達でもある。昨日、わたしは初めてこどもがうまく腕のなかにはまりこんだ縦だっこに成功した。横だっこも確かにだっこなのだけれど、縦だっこはより明瞭にこどもといっしょにいるんだなという感覚がある。こどもの腹がじぶんの腹に接し、額や顔をこどもがこちらの肩口に押し付けてくる。腕や肩の高さを調節して、やわらかく抱き込む。あ、こういうことか、という身体的な納得がある。納得が固まると、次の動きの模索が可能になる。けさ、妻がうえでこどもをうつ伏せ気味に置いてみると、首元から肩にかけて力を入れて顔を持ち上げている。バランスを取るだけでなく、頭の重量自体を首と肩(さらに背中も使っているのだろう)で支え上げ、顔を縦に保とうとする。重力と引き換えに、じぶんの力で視界を手に入れている。

色分けされてゆく世界

  • おおまかにロシア側/ウクライナ・NATO側という区別で塗り分けてみた。
  • 先日話題になった「感謝動画」にはエジプトも含まれているらしいが、エジプトからウクライナにどういった支援が実施されているのかよくわからなかったので色は付けていない。
  • 東西陣営が再びくっきりと塗り分けられつつあるのだな、とおもった。日本も当事国。
  • といっても完全な二極化ではない。中印は対ロ非難決議を棄権したが強くロシアに肩入れしているのではない。ブラジルやメキシコは対ロ非難決議に賛成しつつ、西側の経済制裁からは距離を置いている。
  • リデル・ハートの『第二次世界大戦』は「けっきょくスターリンだけが得をした」という一文で締めくくられている。プーチンは逆に、侵攻によって緩衝帯を失い、対ロシア前線を東進させてしまった。
  • あるいはヴィルヘルム2世の「世界政策」の失敗にも似ているかもしれない。
  • HoI2の初心者プレイを観ているような錯覚に陥る。いや現実に人が死んでいるのではあるが。

(追記)タグを付けようとしたら「がんばれプーチン」というタグ候補が見えて暗澹たる気分が一瞬差し込んだ。

サイズアウト・メモリーズ

 新生児用のオムツが1パック余りそうだからもらってくれないか、と妹から連絡がきた。妹の第三子は、わたしのところの子どもの2週前に生まれた。手元の新生児用オムツは体重5kgまでである。断った。うちも、新生児用のオムツを使い切れるかギリギリのレースに入っている。数週間前に軽い気持ちで買い足したが甘かった。こちらの見込みを上回るペースで成長している。平均すると1日50グラムずつ増えている。数日前に測った体重が4.9kgだったので、すでに5kgは越えているだろう。パンパースの「はじめての肌へのいちばん」、高かったのに…。

 サイズアウトが始まりつつある。退院時の写真を見ると、服の袖から手はちょっと見えているだけ、足はカバーオールの中に隠れている。いま同じ服を着ているが、手も足もにょっきりと出ている。

 妻によると、膝の上に座らせているとお尻で留めたカバーオールのボタンがパチパチ弾けて外れたという。北斗の拳かよ。

 着られていたものがどんどん小さくなって、新しいサイズを買わなくてはならない。え、もう入らないの?というこの驚きはあと15年ほど続くのだろう。

 

 体重増加は抱っこ時に直接感じる。「おとといより重たくなったな…?」と数日ごとに感じる。抱き方も徐々に変わる。前回(4/20)の「背中スイッチ」記事では、片手の指先をこどもの首の裏に…といった記述をしていたけれど、もはや指先では支えていない。

 なにより、抱えたときの「むっちり感」がちがう。新生児期は小さくてぐんにゃりしていて、ぎゅっと抱き込んだらこわれてしまいそうで、丁寧に丁寧に抱え込んでいた。いまももちろん丁寧に抱っこしているけれど、全身からむっちりの厚みを感じる。初雪とマシュマロの中間のようだったほっぺたは、変わらずやわらかいけれどもゴム毬のような弾力をもっている。ふとももはちぎりパンと化した。

 ベッドから抱き上げるときやベッドに置くときの所作も微妙に変わる。身長は1ヶ月で5cm伸びた。以前はそのまま置いていたのが、足が引っかかるので腕をクレーンのように持ち上げ直して置いたりする。こどもはからだ全体で成長しているが、こちらもからだ全体でそれを感じ取って対応している。服が変わり、姿勢が変わり、からだが変わり、そうして抱っこというゲシュタルトは維持されている。

 

 こうした目まぐるしい変化のなかで、1ヶ月前の抱っこの感覚がもう思い出せない。当時の写真を見るとなんとなく思い起こせないこともない…のだけれど、ありありとという感じではない。とにかく現在の抱っこの感覚がつねに強烈で、過去をのんびり思い出す余地が無いようだ。

 それはどこかさびしい感覚でもあるけれど、他方で「忘れてしまった」というかんじでもない。これは独特の体験である気がする。1ヶ月前の体重や抱っこの感覚を思い出すことはできないけれど、それは印象が抜け落ちたり忘れ去られたりしたのではなく、お互いのからだに深く沈殿している。あるいはわたしと妻の会話のなかに確実に積層している。その沈殿をたもちつつ、いまの抱っこをしている。「重いなぁ」と感じるとき、過去の「そこまででもなかった重さ」や、いまはもうしなくなった抱き方の記憶が、意識にはっきりとは浮上しないけれどもなお活きている。

 とはいえやはり、思い起こせないことはわずかなさびしさを感じさせる。1ヶ月という時間のあまりの濃密さ。するといま現在のだっこの感覚も、1,2ヶ月先にはもう思い出せないのだろうか。それはやっぱりさびしいな、覚えておきたいな、という感覚が強いほど、1,2ヶ月先の「現在」はより強固になり、いまの記憶を深く沈殿させるのかもしれない。思い出せない積み重ねにからだが支えられていることに、かすかな、透明な満足をおぼえる。

背中スイッチとダンス

 「背中スイッチ」ということばがある。誰が発明したことばか知らないけれど、臨床的な強度を持ったことばだとおもう。体験に裏打ちされていて、無駄が無く、ユーモアがある。「背中スイッチ」と日々戦うひとは、この単語を見るだけでその辞書的な定義だけでなく自身の育児体験をありありと思い浮かべることができる。その戦いの経験を持たないひとも、軽い説明や文脈を加えられるだけで、少なくともおおむねの意味を捉えることができる。

 ここ2週間ほど、背中スイッチと戦いつつ、その核心は何であるのか考えていた。

 この語をそのままに理解するならば、背中がベッドに触れることによって、腕のなかで寝ていたはずのこどもがぐずりだす(スイッチが入る)ことである。しかしもうすこし丁寧に体験を描きなおしてみると、スイッチの具体的なありかは必ずしも「背中」ではない。以下、あくまでわたしとこどものあいだの体験に限定される検討であるけれども、スイッチの「本体」はむしろ頭の裏から首筋にあるようだ。まず、背中からお尻を支えていた片腕をベッドに置いてずらしつつ抜く。この時点では泣かない。次いでもう片方の、首の裏を支えていた手指を抜く。このとき、この手指の甲はベッドに接していて、手のひらの側はこどもの頭の裏をじかに支えている。背中スイッチの勝敗はまさにこの「首筋ジェンガ」に懸かっている。うまくジェンガを抜いてそのまま寝てくれるのは10に1である。うまく指を首から抜いても、45秒ほどでぐずりだすことも多い。時間差背中スイッチである。

 しかし、背中スイッチの本体が首筋にあるという捉え方もさほど正確ではない。ベッドに近づいて両腕の高度をわずかに下げた瞬間にぐずり出すことも多いからだ。加速度計や慣性航法装置が体内にあるのではと疑っている。こうした場合、「はい、そろそろベッドに下ろし……下ろしませ~ん☆」という動作を反復することになる。

 妻はまっすぐすとんとベッドに下ろすのではなく、左右にゆらーりゆらーりと揺らしつつ徐々に高度を下げ、最終的にベッドに着地させるという妙手を編み出していた。わたしはこれを「秘剣・木の葉落とし殺法」と名付けた。産院に入院していたときから身につけていたようである。体重が一日平均40グラムずつ増えている現在、この秘剣をいつまで続けられるかが課題である。

 つまり、ベッドに背中や首筋が触れることが核心ではなく、両腕に抱かれている状態からベッドに移されること全体が試練である。すると、なぜ・どのように、こどもはベッドより抱かれている方を好むのか、が問題となる。

 単純に考えれば、こどもにとってはベッドに寝かされるより保護者の腕に抱かれている方が心地よいから、ということになるのだろう。しかし、何がどう心地よいのかがわりと謎である。ベッドが硬いのがいやなのかと考えてクッションを置いたが効果はほとんどなかった。一方、膝の上に大人用の抱きまくらを置き、そのうえにこどもを寝かせるとスイッチはあまり入らない。あぐらをかいた膝のうえに載せても大丈夫だった。ベッド上のクッションと、膝の上の抱きまくらと、柔らかさの点ではそこまで変わりはないはずである。しかしモノのうえに置かれることと、こちらが体重をずっしり感じる状況で抱えられることをこどもは区別する。

 おそらく、こどもの身体の微妙な動きや重心の変化に、こちらの指や腕や膝が追随して動き続けることが核心にあるのだろう。すばる望遠鏡の鏡面を支えるアクチュエーターのようなものか。

すばる望遠鏡 大きな鏡を支える細やかな技術 | 科学コミュニケーターブログ

 

 触れながら支えている、触れ続けている。その感覚がじかにお互いの肌に伝わっている。こどもはそれがわかっている。この接触はタオルや服を途中に挟んでいても成立する。この接触感覚が失われるとき、スイッチが入る。
 この接触感覚は、さらに拡大して言えば、身体的接触でありつつ親からの注意力の維持と言えるかもしれない。昼間に抱っこをしているとき、こちらの集中力が途切れてテレビを見たり他のものに意識を向けた途端、ふぃふぃとぐずり出すことがある。それはこちらの視線が移動したことをかれが感知するだけでなく、こどもを抱いている腕や指先の動きの繊細さが消えること、全身で注いでいた集中力が弛緩することが伝わってしまうのだろう。抱っこの最中、わたしの両腕のひじの内側から指先までがかれの背中や首筋に沿い、またこちらの腹とかれの脇腹も接している。じわりと高い体温が伝わってくる。顔はときどきかれの表情をうかがう。こうした全身のやわらかな集中が、こちらの都合で途切れる。それは全身の微細な動きの統合が一挙に崩れる感覚としてこどもには感知されるのかもしれない。このときスイッチが入る。

 反転して見てみると、こちらからの接触や注意の集中をこどもは全身全霊で受け止め続けている。抱っこするという行為はおそらく、この相互の注意の差し向け合いによって成立している。こちらが一方的に抱っこしているつもりでいるけれど、こどもの側からの受け止めがなければ抱っこは続かないのかもしれない。この点で抱っこは二人一組でのダンスに似ている。お互いの接触感覚と注意の差し向け合いのうえに、実際のダンスの繊細な動作が成立し、息を合わせて踊る二人組がそこに現れる。こどもが腕のなかで寝息を立てているときでさえ、抱っこは静かなダンスである。