生後7週が過ぎ、縦抱っこの時間が以前よりも増えている。1ヶ月ころまではほとんど横抱っこだった。ミルクの後のげっぷとんとんの時だけ肩に担ぎ上げた。初めて担いだときは、こどもの頬や顔の熱がこちらの顔に触れて、なんとも嬉しかった。ただ、先に書いたように(首よ座れ - しずかなアンテナ)、首が座らないうちは指や腕が足りず、肩担ぎも縦抱っこも機会は少なかった。
ここ数日は横だっこをやや嫌がる傾向にある。こちらの想像を投影しすぎるのは避けたいが、どうも横に抱かれるのはこどもにとって「つまらない」ようだ。
ベッドに寝ているときや横抱っこをされているとき、こどもの後頭部は布団や腕に接し、顔面は水平になって目は天井を向く。親の顔がときおりにょっきりと視界を覆い、そうでないときは天井や壁の一部が見えていることになる。こうした上方への視界は確かに「つまらない」ものだろう。天井に模様が無いからというより、視線方向の空間に奥行きや広がりが無く、探索や観察の可能性がきわめて少ないからだ。天井が無く青空のみであったとしても基本的には同様で、雲や鳥が視界の端から端へ横切るのをたまに見るほかなく、開け放たれた空間に視線が吸収されてしまう。首と目を左右上下に振ってスキャンするぐらいで、見る側の身体運動も狭められてゆく。
これに対して、肩担ぎや縦だっこの状態では顔面が大人と同様に地上に対して垂直になり、水平方向に視線が伸びてゆく。視線の伸びは壁や扉でいったん止まるが、その横や裏側に再度動き出し、空間がどこまでも立体化・構造化してゆく。なにより、興味を惹く諸々のモノや動きは顔に対して水平方向に配置されている。
生後2週目の時点ですでにそうだったように記憶しているのだが、肩に担がれたときのこどもの表情が、横だっこの時と明らかに切り替わる。横だっこの時はおおむね安心し、表情もまどろんでいる。顔とからだが縦にされると、とつぜん視界がかれの顔から放射され、焦点を求めて眼の動きが変わる。(もっとも、これはかれが目覚めているときの話で、授乳後のげっぷとんとんの時間は満腹になってまぶたが閉じていることの方が多い)
縦抱っこの時間が増えてきたのは、こうした興味・関心の拡大によるところが第一かもしれない。しかしそれに先立って、なにより首の発達がある。およそ5週目を過ぎたころ、頭部全体の揺れに対して首に力を込め、揺れを抑えようとする所作が生じてきた。まだ「首が座る」には至らないけれども、自分の頭の重さに対抗して、それを持ち上げつつ、ゆらゆら支えようとする。
面白いことに、この首の「持ち上げ」とほぼ同時期に、少し離れたところへ視線が合い始めた。それまでは周囲1m内外の空間を黒眼がぼんやりと漂っていたのが、突然、1.5m-2mほど離れた相手に対してもくっきりと眼が合うようになった。一昨日くらいからは、呼びかけに応じて眼が合うだけでなく、こどもの方から音や動きの対象を把握し、こちらに視線を「投げてくる」。(昨日はにゅっと向こうから視線を合わせてきて思わずわたしの方が目をそらしてしまった)
首の持ち上げと視界の拡大は連動しているようにおもえる。首が安定するからこそ視線も安定する。こどもが遠くまで見るようになったのは、首の発達があったからだろう。しかし、縦抱っこ時の表情の変化は首の安定よりもずっと先だった。首が不安定な時期でも、こどもは可能なかぎり自分の立体的な視界を確保しようとしていた。
首と眼の発達のいずれが先ということではなく、それぞれの発達が互いを刺激しつつ、水平方向への視線を維持するという共通の目的を深化させているのかもしれない。首が安定することで、視線が安定する。視線が安定することで、より遠くのものを見続けるという無言の目的が生じ、身体に浸透する。その浸透によって眼球や首の動きの制御が高度化し、次の目的が可能となる。こどもと間近に接していると、この身体と目的の発達サイクルを実感する。身体だけが強固になってゆくのでもなく、抽象的な目的が最初からインストールされているのでもない。からだと目的がお互いを深めあっている。新生児期におけるそのサイクルの軸は視界と首である。おとなはそのサイクルをだっこの工夫で支えていたのだな、といまごろになって気づいた。なお、次の軸はおそらく「把握」と「移動」だろう。興味のある方へ腕を伸ばしてみる、脚をキックして前へ進もうとする、という衝動の素体がぼんやりと生じている。ただしまだこのレベルについては身体も目的も曖昧で、腕が招き猫のようにぶんぶん回り、前進ではなく頭突き運動にすぎないのだが。
抱っこが次第に横から縦になってきたのは、こうした過程においてである。それは親の動きの発達でもある。昨日、わたしは初めてこどもがうまく腕のなかにはまりこんだ縦だっこに成功した。横だっこも確かにだっこなのだけれど、縦だっこはより明瞭にこどもといっしょにいるんだなという感覚がある。こどもの腹がじぶんの腹に接し、額や顔をこどもがこちらの肩口に押し付けてくる。腕や肩の高さを調節して、やわらかく抱き込む。あ、こういうことか、という身体的な納得がある。納得が固まると、次の動きの模索が可能になる。けさ、妻がうえでこどもをうつ伏せ気味に置いてみると、首元から肩にかけて力を入れて顔を持ち上げている。バランスを取るだけでなく、頭の重量自体を首と肩(さらに背中も使っているのだろう)で支え上げ、顔を縦に保とうとする。重力と引き換えに、じぶんの力で視界を手に入れている。