しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

ロスト・ワールド、ロスト・おなか

 GWいっぱいで育休を終え、連休明けから復職した。

 毎日子どもと奥さんとずっといっしょにいる生活から、朝にすこし抱っこして夜帰宅するとまた抱っこして寝る生活に変わった。復職初日、帰宅して抱っこするとこどもがおどろいたような顔でわたしを見つめた。そういやおまえおったんか…! でも誰やっけ…? というような。

 復職して強く感じたことは、からだの使い方が全く違う、ということである。復職して数日間は頭に血が滞留する感覚があった。育休期間中も学会関係や共同研究など広義の仕事はけっきょく続いていたのだが、身体の負荷の大半が「頭」に集中するこの感覚は久しぶりだった。

 育休期間中はどのようにからだを使っていたのかと顧みると、活躍していたのは指や手首に加えて「おなか」だったようにおもう。横抱っこをしているとき、こどもの左の脇腹とわたしのおなかは数枚の衣服を挟んで密着していた。縦抱っこになると接する面積は飛躍的に増えた。左腕がおしめと太ももに、右腕がこどもの肩や背中をつつみ、右の頬がこどもの頭や側頭部に触れた。そしておなかと胸がこどものおなかや胸と向き合って接している。

 そのとき、おなかは感覚器官だった。目や耳や指先でこどもの状態をセンシングしていると思っていたが、こどもの状態のダイレクトな直感はまずわたしのおなかが把握していた。耳目や指のように、相手を「そこにあるそれ」として対象的に捉えるというはたらきかたではないけれど、体温や消化の様子、呼吸の調子、眠たさやぐずり具合をおなかは「受け止めて」いた。受け止めながら探りとり、またおそらく、こちらのおなかからこどものおなかへ、なにほどかを伝えていた。そうしておなかが把握したことの一部はわたし自身の意識に昇り、一部は意識を介さずにからだの他の部分に伝わって姿勢や指先の動きとして現れ、あるいは動きや態度に表して妻に無意識的に共有していたかもしれない。そのときわたしのおなかは、こどもの体重と体温をまず包み、支えるだけでなく、わたし自身の消化や生命のはたらきであり、そしてこどもをそこにあるものとしておだやかにおぼろげに捉え、わたし自身を安心させ、こどもとのコミュニケーションの媒体であり界面であった。それはじっとだまって地味であったけれど、それだけに指先以上に鋭敏で表現ゆたかな器官ないしは場所であったとおもう。

 そのおなかが、突然にほぼお役御免となった。それは派手に言えば、世界の捉え方と、その現場へのからだの参画の仕方の大幅な組み換えだった。からだ全体をゆみなりにしてこどもを抱きかかえていて、おなかはそのもっとも中心のぬくい焦点だったのが、いまや世界は頭頂部に移された。視線と聴覚と表情のわずかな動きが世界を切り裂いてゆく。おなかは捉えるべきもの、かかえこむべきもの、接するべきものを突然うしない、世界への感覚と体温の結びつきが解除されてしまった。おだやかにあいまいに、そのうえで鋭敏にわたしを包み返していた世界が立ち消えて、胴体まるごとがどこかにいってしまった。あとには、頭を支える構造材としての首と背中と腰だけが、そしてそれぞれの荷重だけが残っている。

 こうしたわけで、出勤時と帰宅時にからだと世界の感覚がいまがらっと変わるぞおーという体験をくりかえしている。こどものおどろいた顔も、そのモードのきりかわりに巻き込まれていたからかもしれない。