しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

手を置く

こどもが寝ているとき、息をしてるかなとおもって背中あたりに手を置いてみる。こどもはいつもうつ伏せに寝るので、手を置くための「定位置」は背中になる。すると数秒、呼吸をしている様子がわからない。とおもうとすぐ、呼吸のちいさくて深い響きがかれの身体の奥からつたわってくる。じぶんの手のひらがこどもの背中にやわらかく「貼り付いた」ような感覚が生まれている。そのまま手を置いていると、かなり派手に上半身をすうすうと律動させながら寝ていることにきづく。体温もわかる。

こんなにも動いているのに、はじめに手を置いた数秒間はその動きが捉えられていなかったのだ、ときづく。ふしぎとしか言いようがない。じぶんの右手がこどもの呼吸を捉えるモードになっていなかったのが、こどもの背中に触れていると、そのモードへ引き寄せられ、みちびかれて変わるようだ。それはこちらの手のひらがアクティブに切り替わるというより、こどもの背中がわたしの手を切り替えてくるような感覚でもある。

こどもは、どう感じているのだろうか。寝たままで気づかないだろうか。