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簡単な定義
論文著者と査読者がお互いの名前を知らないまま査読が行われるのを「ダブルブラインド」と言う。査読者は、著者名が伏せられた原稿を受け取り、査読を行う。著者の側も、査読者が誰であるかわからない(学会誌編集委員から知らされない)。
これに対して、論文著者は査読者の名前を知ることができないが、査読者は論文著者の名前を知ることができる方式は「シングルブラインド」と言う。
論点
査読をダブルブラインドとするかシングルブラインドとするかは、いろいろと難しい問題のようである。代表的な論点を挙げる。
- ダブルブラインドを実際に貫徹するのは難しい。
- 研究テーマや方法から著者名が容易に推測できることがある。
- 著者自身の過去の論文を参考文献に挙げることは普通である。そうした記述まで墨塗りすると論文自体が成立しなくなる。
- 学会や研究会での発表は名前を出すのが普通である。次いでその発表内容を論文投稿することも多い。その場合もダブルブラインドは有名無実となる。
- つまりダブルブラインドを維持するためには、1頁目の著者名を伏せるだけでは十分ではなく、編集者による事前チェックが必要となる。これにはかなりの労力がかかる。日本ではほとんどの場合、学会誌編集者は大学教員等が手弁当で担っている。ダブルブラインドを完全に実施するための負荷を彼らに負わせることは難しい。
- ダブルブラインドは、著者の出身・国籍・所属機関・性別等についての査読者のバイアスを取り除くことができる。西欧諸国の査読者がアジアや第三世界の研究者の論文を低く評価したり、男性査読者が女性著者の論文を低く評価する可能性がある。査読者が明確な差別の意図を持っていなくても、著者の属性を知っていることで無意識に評価を上下させるかもしれない。
- 査読の公平性に、ポリティカル・コレクトネスを組み込むことが求められている。(おそらく国際的な一流誌ほど、この観点には敏感になっている)
- シングルブラインドでは著者が査読者の属性を知ることができるので、査読意見の書き方を工夫できる。たとえば大学院生の原稿ならばやや指導的に、バリバリの研究者の原稿ならば真正面から斬り込むように査読意見を執筆する、ということはありうる。これは「甘くする/厳しく評価する」こととは次元が異なる。多くの学会では、研究論文の質を維持すると同時に、大学院生や若手を育成してゆくことも期待されている。ダブルブラインドではこうした書き分けが困難になる。
個人的所見① プレプリントサーバーとブラインド方式
- プレプリントサーバーと査読ブラインド方式の関係も気になる。プレプリントサーバーとは、査読期間中(正確には、投稿から掲載までの途中期間)に、本掲載に先んじて論文原稿を掲載・公表するプラットフォームである。未査読の状態なので内容の検証を受けていない代わりに、最新の情報をとりあえず公開することができる。また、発見の先着順が争われるような分野では、査読期間に関係無く先着を主張することができる。
- プレプリントサーバーでの公開時は著者名もそのまま掲載されるはず。とすると、ダブルブラインド制の雑誌に投稿した原稿をプレプリントサーバーに載せるのは奇妙な状況になる(査読者が検索すれば、著者名付きの同じ原稿がヒットしてしまう)。こうした場合、著者の方がプレプリントサーバーへの掲載を遠慮するのだろうか、それとも雑誌の側がプレプリントサーバーへの掲載を禁ずるのだろうか。
- 日本でもプレプリントサーバーの稼働が始まった。
機構報 第1551号:JSTのプレプリントサーバー「Jxiv(ジェイカイブ)」の運用開始~日本で初めての本格的なプレプリントサーバー~
- このJxivが市民権を得れば、日本国内の学術雑誌はシングルブラインドに統一されてゆくのだろうか。(「うちの雑誌はダブルブラインド方式なので、Jxivへの事前掲載は認めません」という主張は成立しがたい気がする…)
個人的所見② 学会規模とブラインド方式
- 以上のように、ダブルブラインドとシングルブラインドはそれぞれ長所短所がある。学会や雑誌はいずれかの方式を選択しなければならない。その際、学会や雑誌の「規模」が判断の軸になる。すなわち読者・投稿者・査読候補者が格段に多い大規模学会や超一流雑誌か、こじんまり(といっても百~千のオーダーにはなる)した学会か、によって長所短所の効き具合が変わると思われる。
- こじんまりした学会の場合、やはりダブルブラインドは実質的に不可能。関係者がお互いに顔見知りであるため、常連として発表や投稿を続けている人ほど、キーワードや調査フィールドや引用文献で推測が付いてしまう。また、こうした学会は学会誌編集委員会の事務処理能力も限定的であるため、シングルブラインドを選択することになるかもしれない。
- 一方、学会や雑誌の規模が大きいほど、査読者が投稿者をあらかじめ知っている可能性は減る。これも程度問題で、「常連」であったならいずれにしても推測がついてしまうのかもしれない。だが、一流雑誌の常連掲載者は数が小さいだろうから全体の中では無視できるかもしれない。
- また、大規模な国際学会・雑誌であるほど、人種・国籍・ジェンダー・所属機関等に対するバイアスの除去への圧力が高いかもしれない(こじんまりした学会ではそうしたバイアスが無い、ということではもちろんない)。この圧力はダブルブラインド制を選択する方へはたらく。
- 査読者のバイアスの有無と、投稿者が査読者のバイアスを気にすることは切り分けて考える必要がある。仮に査読者が完全に公正で、著者の属性や個人的存在・関係に全く左右されず査読結果を判定することができたとする。だが、投稿者は査読者がそのように公正であるかどうか、査読結果にバイアスが含まれていないか、投稿前/投稿後に判断することはできない。するとバイアスによって不利益を受けやすいと普段から感じている投稿者ほど、シングルブラインドに躊躇するかもしれない。
- この疑念を晴らすためには、原理的には比較対照実験が必要となるのかもしれない。同じ投稿者の同じ論文を、同じ雑誌で、ダブルブラインドとシングルブラインドで並行して査読を行い、その結果に差が出ないことを証明する、ということになる。この実験が成立すれば投稿者は査読者にバイアスが無いことを確信できる。もちろんこんな実験は厳密には不可能である。特に条件を統制した査読者を2ペア用意することはできない。
個人的所見③ 査読の意味
- そもそも学会・雑誌にとって、査読とは何であるのか。なんのために査読をするのか。査読の本質として何を求めるのか。結局のところ、これらの問いが核心になるように思われる。
- 「研究者同士のピアレビューを通じて投稿論文のクオリティを維持し、その学会や学術分野の研究発展に寄与する」というのが最大公約数的な査読の機能である。
- しかしさらに整理すると、査読を「選別」とみるか、それとも「対話や議論」とみるか、学会・雑誌によって異なる文化があるのではないか。投稿者が膨大にいる一流国際誌などはおそらく「選別」の度合いが強い。100のうち5や10を採用し残りは切るということが出発点であり、劣るとみなされたものは片っ端から否定される。この場合、評価される投稿者の側はバイアスによって不利益を被る可能性に敏感になるため、シングルブラインドには不安を覚えるかもしれない。
- 他方、よりゆったりした雑誌では、査読過程を投稿者と査読者(と編集委員会)の間での「対話や議論」とみなす文化があるように思う。この場合でももちろんバイアスの問題は残るのだけれど、無慈悲に切られることが前提ではないため、シングルブラインドに対して投稿者の側が感じる不安はより小さいかもしれない。
- この考え方を突き詰めれば、つまり査読を投稿者と査読者の真摯な議論の場と捉えるならば、「ノーブラインド」方式もありうるのかもしれない。
拾った記事など。
ダブルブラインド査読選択制の運用開始 | Nature ダイジェスト | Nature Portfolio
- Nature誌では、2015年より、投稿者がシングルブラインドとダブルブラインドのいずれかを選択できる。
- 実際にダブルブラインドを選択したのは、Nature誌では14%(2015-2017)。
- このうち、インドの著者の約32%、中国の著者の22%がダブルブラインドを選択した。フランスの著者は8%、米国の著者は7%。
英国物理学会出版局(IOP Publishing)、所有する全ジャーナルの査読方式をダブルブラインドとする予定であることを発表 | カレントアウェアネス・ポータル
- 英国物理学会出版局は、2020年より、ダブルブラインドからシングルブラインドへ移行。