しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

ありえた原罪

『タコピーの原罪』を読んだ。

タルるートくんやラムちゃんも、最初に出会う人間が違っていたらタコピーと同じ運命をたどっていたのかもしれないな、とおもった。

タコピーがしずかちゃんと出会ったのが不幸だったかどうかはまだわからない。これからの物語展開のなかで、何かが変わっていくのかもしれない。ただ、タコピーが出会うのが江戸城本丸や諸星あたるであったなら、全てが平和だった。

ではしずかちゃんの側に責任があるのかといえば、彼女の有り様もまた出会った人間に大きく左右されている。あの父親・母親のもとに生まれ、まりなちゃんと同じクラスになったことは彼女の意志ではない。まりなちゃんの父親としずかちゃんの母親が出会ったことも。

各自の自由意志はたしかにある。まりなちゃんはしずかちゃんをいじめずにいることはできるはずだし、まりなちゃんの両親もなんらかの行動を取れる(パパが風俗に行かずにママと平和な家庭を再建するとか)。ただ、そうした自由意志と行動は、原点となる出会いが生じてのちに示される選択肢に対するものである。出会いそれ自体は自由意志よりも手前にあり、意志によって操作できない。

しずかちゃんもまりなちゃんも、そのようなどうにもならない絆の無力な結節点である。タコピーはその結節点に出会ってしまう。そして自身も結節点になる。