しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

都道府県のスケール感

いまの職場に入って、自治体職員の方と関わることが少しずつ増えている。

そこで気づいたのが、「都道府県」という組織の圧倒的な巨大さ、スケール感だ。

 

市町村は基礎自治体である。住民にとって、日々の行政サービスのなかで出会うのは基本的に市町村という行政機構であり、その職員である。だから市町村という自治体が何をやっているところなのか、それなりにイメージしやすい。

スケール感も把握しやすい。数千人の村もあれば、100万人を超える政令指定市もあるが、おおむね人口なりの行政機構がイメージできる。

 

都道府県はそうではない。普段の市民生活では関わることが少なく、イメージしづらい。なので私はよくわかっていなかったのだけれど、実は都道府県という単位は、きわめて「巨大」なのである。

都道府県は、市町村と国の中間結節点なのではない。市町村の「親玉」と言うと語弊があるが、市町村と比較すると恐るべきパワーを持っている。そして災害対応などにおいては、都道府県は最終防衛ラインである。もちろん東日本大震災レベルの大災害では県も半ば麻痺状態となり、他の都道府県の対口支援を必要とする。しかし市町村が災害を受けて行動不能になるとき、都道府県のサイズの巨大さはきわめて特異である。市町村が猟犬なら、都道府県は象くらいのパワーがある(大阪市大阪府、神戸市と兵庫県となるとまたこの比較が微妙になるが)。そして都道府県の責任を負うのは都道府県であって、国が肩代わりしてくれることはない(国庫から予算措置はされるけれども)。

 

その巨大な都道府県が、日本に47ある。図体のデカイ国であるのだな、という感想がある。