しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

危機管理が失敗するとき

 じぶんは自然災害の危機管理(業界用語では「災害対応」と言う)の研究をミッションとした部署にいる。この部署は「失敗する危機管理」のコツを組織知として蓄積している。失敗のコツというのも奇妙な言い方だが、「これをすると成功する」という要素だけを集めてもうまくいかず、むしろ「これをすると失敗する」という要素を丁寧に調べると説得力が増すようである。

 自然災害において「失敗する危機管理」のコツはいくつかあるが、代表的なひとつは「現状の推移を見守ること」である。これは個人レベルにおいても企業や自治体組織レベルにおいても同様である。現状の推移を見守ること、いまなにが起きているのかをじぶんの目でじっと注視することは、危機管理がすでに失敗している状態である。

 

 水害時の川の水位が一つの例である。豪雨のとき、増水した川の水が堤防から溢れ出すのではないかと堤防の水位をじっと観察してしまう。じーっと見ていると、たしかにじわじわじわじわと水位が上がっているようである。この間、水位がどこまで達したらどういった行動を取ろう、と頭のどこかでは考えているつもりである。だが意識の大半は川の水面に注がれている。脳の処理能力の大半が、現在の視界を受け取ることに占められてしまっている。現在に釘付けになって未来が消えている。

 そうして川の水位がついに堤防を越えたとき、その推移を見守っていたひとは「たしかに溢れた!」と確認して、直後に洪水に飲み込まれてしまう。

 やや戯画的に記述したが、実際の災害時の避難の遅れ・対応の遅れの何割かはこういった仕方で生じているはずである(もう何割かは「完全に甘く見ていてそもそも現状を何も知ろうとしなかった」と、「老齢や心身の障碍等でもとより物理的に移動がほとんどできない」であって、とくに後者は悲劇である)。

現在起きていることの把握に行動の起点を置くと危機管理は失敗する。現在起きていることから近い将来を大雑把に予測し、それを回避するために行動すると危機管理は成功する。それは要するに賭けに出るということである。賭けであるから、外れることもある。洪水になるかと思って避難したら大丈夫だったという、いわゆる「空振り」が生じる。空振りはたしかに怖い。しかし賭け金をずっと手元に置いておくのは空振り以上の惨禍をもたらす。「現状を見極める」「現在への釘付け」こそが、もっともやってはならないことである。

 

 この考え方を現在のパンデミックに応用すると、毎日の感染者数が何人だ、何人だと言っていることは、まさしく堤防の水位をじっと見守る川岸の住民の態度である。