しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

自分なりの整理

コロナのことについて、1年あまり考えたり書いたりしてきた。予想したことが外れたり、考えを発展させたり、従来からの考えをより補強したりした。その整理をしてみる。

 

予測や思い込みが外れたこと: 医療崩壊は静かに起きる

「医療崩壊」はもっと強烈な、社会全体がひっくり返るような破局だと思いこんでいた。ある日ついにすべてが破綻して、あらゆる都市が恐怖と暴動でひっくり返り、死体があふれる…というようなイメージを知らずしらずのうちに持っていた。ある瞬間に堤防が決壊するかのように、「そのとき」の前と後で全てがガラリと変わる現象をイメージしていた。だがそうではなかった。決壊というよりは内水氾濫に似ていて、ひたひた、ひたひたといつのまにか水位が上がっていて、そして気づいたら既に始まっている。

 

新たに知ったこと: 都道府県の強さと重要さ

過去、これほどまでに各都道府県の知事の動向が注目され、全国知事会の提言が重視されたことは無かっただろうと思う。都道府県が自律的に危機に対処している。

個々の対策や結果の善し悪しは当然あるが、ほとんどの知事は落ち着いており、最善の危機管理を続けている。非常時の指揮官としての姿勢がある。東京都と大阪府は除く。

 

新たに知ったこと: 政府の意志決定の鈍重さ

他方、政府の意志決定とオペレーションの鈍さは特筆に値する。次の2つの原因を推測する。

1:第2次安倍政権が長期政権であったため、組織がレジリエンスを失ったこと。トップの意志を十全に推測し実現することに特化した組織として完成したため、経験外の事態に対して情報収集・将来予測・意志決定の仕組みを機敏に組み替えることができなかった。誰が言ったことばであるか忘れたけれど、「ウイルスは忖度しない」は名言である。

2:官僚機構の人員不足と疲弊。

 

従来からの考えを強めたこと: 現実認識より文書表現を優先させる態度

これは大日本帝国陸海軍からの旧弊である。それが政府の意志決定になお顕れている。仮に現実が「医療崩壊」と言うべき状況であったとしても、首相や大臣や内閣が文書や記者会見でそれを用いない限りは「医療崩壊」は起きていない、と考える姿勢である。現実に接してことばを探すのではなく、現実を文書表現に合わさせるのである。平時の官僚機構の回転にはこの姿勢が効率が良い。有事には不適切である。現実と意志決定がどんどんとズレてゆく。帳尻合わせが最後に起きる。太平洋戦争では3000万人の死者と戦後の預金封鎖によって帳尻合わせが行われた。

 

従来からの考えを強めたこと: ことばの劣化

コロナ対策に対する不満や批判や建設的議論が深まる前に、「コロナ脳」といった罵倒表現・レッテル貼りが先行した。これは、この20年間の日本社会の言語感覚の劣化を端的に表すものだとおもう。自分と対立する立場のひとびとを「認知能力が根本的に欠落しているグループ」としてまとめ、議論の開始を最初から拒絶する姿勢である。いきなり二元的な断絶・拒絶から始め、あとは罵倒に終始する。おそらく20年前であれば、こうした稚拙な罵倒表現が先行することは無かった。