しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

Tochka Nisshi

今日はまるごと部屋にいた。わりと仕事をした。

 

 コロナ禍は災害だと多くのひとが言う。そうだと思う。ただ、政府の対応に関しては、自然災害より太平洋戦争に似ているなと感じる。特段の根拠があるわけではない。なんとなく、自分の頭の中にあるアナロジーの宛先が、過去の自然災害ではなく、太平洋戦争になってしまう。

 二度目の緊急事態宣言がなんとなく解除されて、そのままなんとなく大方の予想どおりにリバウンドが始まって、同時に聖火リレーも予定どおり始まった。次のオリンピックは比島決戦なのだなと考えると、自分のなかでわりと腑に落ちた。

共通テストでマスクをしなかったひとのこと

大学入試の共通テストでマスクを鼻にまで掛けなかったひとが逮捕されたりした。試験監督のひとにも、同じ教室にいた受験生にも、たいそう迷惑なことだったとおもう。とはいえ20年くらい経ってこのニュースを読み返したひとは、喜劇とヒステリーが入り混じったものを読み取るかもしれない。

いろいろな人生があるけれども、マスクが鼻の穴の下にあるか上にあるかで前科が付くというのは(いや、もちろん医学的には重要なことだけれども)、なんとも不思議なことだ。

 

それにしても不器用なひとだ、とおもう。試験監督の6度の警告に従わず、別室受験という素晴らしい代替案も受け入れることができず、最後は大学のトイレに立て籠もって警察に逮捕された。他の多くの受験生からやや離れた年齢が全国に報道されて、失笑と罵倒の的にされた。

このひとの心理状態はただ想像するしかないけれど、なんとなくはその動きを追跡できるような気もする。こだわって、意固地になって、抵抗して、戦ってしまう。どこかで矛を収めることができず、ここで退いたら全世界が自分という支えを失って崩れてしまうのではと考えてがんばってしまう。そうして自滅する。

おそらく、かれには彼なりの「分」や理由があったのだろう。あるいは自分に歯向かってくるものを自分の正論や闘争で返り討ちにしてやりたいという「構え」があったのかもしれない。とにかく、なにかこだわらなければならないものが彼にはあった。そのとき、それは具体的にはかれの鼻の穴の下と唇の中間にあった。そこがかれの最終防衛ラインだった。

多くのひとは損得勘定をする。自分に「分」や理由があると思っていても、それを守ることでより大きな損が出るのならば、自分の正義はすっと引き下げてしまえばよい。そういう余裕がある。それは合理的な判断であったり、いわゆる「長いものには巻かれろ」式の処世術であったり、あるいは全く素朴な「勝ち目が無い」という判断であったりする。

かれはおそらくそれが許せない。そういう損得勘定で動く人間は自己の正義を持たない愚かな畜群であるとおもっている(いや、あくまで想像なのだけれど)。かれにとって、大学入試という場は、そうした畜群の中から自分を選り分けるためにある。だからなおのこと、この戦いで妥協することはできなかった。一瞬の恥を次の大勝利につなげるという工夫も不可能だった。ところがよりによってその大学入試の場で、なぜか自分だけが、自分の抵抗線を集中攻撃されている。追い詰められた岬の端っこで手榴弾を握りしめるような構図になる。

かれは全く勘違いしていて、大学入試やその後の選別プロセスが重視するのは、あるものを捨ててあるものを得る柔軟さなのだった。大学や世間は、スクワットができない人や肝臓の数字が少し悪い人や表情が硬いひとにはそうキツくは当たらないけれども、彼のような「こわばり」には滅法きびしい。そして抵抗すればするほど、どんどん追い詰めてゆく仕組みになっている。かれはその仕組みに戦いを挑みたかったのかもしれない。何かが許せなかったのだろう。これからも許さないだろうか。同室の受験生や試験監督にはかれは謝ったほうがいいと思うけれども、なんとも生きにくい世の中にしてしまっていることで申し訳ないねぇ、という思いが自分にはちょっとあります。

危機管理が失敗するとき

 じぶんは自然災害の危機管理(業界用語では「災害対応」と言う)の研究をミッションとした部署にいる。この部署は「失敗する危機管理」のコツを組織知として蓄積している。失敗のコツというのも奇妙な言い方だが、「これをすると成功する」という要素だけを集めてもうまくいかず、むしろ「これをすると失敗する」という要素を丁寧に調べると説得力が増すようである。

 自然災害において「失敗する危機管理」のコツはいくつかあるが、代表的なひとつは「現状の推移を見守ること」である。これは個人レベルにおいても企業や自治体組織レベルにおいても同様である。現状の推移を見守ること、いまなにが起きているのかをじぶんの目でじっと注視することは、危機管理がすでに失敗している状態である。

 

 水害時の川の水位が一つの例である。豪雨のとき、増水した川の水が堤防から溢れ出すのではないかと堤防の水位をじっと観察してしまう。じーっと見ていると、たしかにじわじわじわじわと水位が上がっているようである。この間、水位がどこまで達したらどういった行動を取ろう、と頭のどこかでは考えているつもりである。だが意識の大半は川の水面に注がれている。脳の処理能力の大半が、現在の視界を受け取ることに占められてしまっている。現在に釘付けになって未来が消えている。

 そうして川の水位がついに堤防を越えたとき、その推移を見守っていたひとは「たしかに溢れた!」と確認して、直後に洪水に飲み込まれてしまう。

 やや戯画的に記述したが、実際の災害時の避難の遅れ・対応の遅れの何割かはこういった仕方で生じているはずである(もう何割かは「完全に甘く見ていてそもそも現状を何も知ろうとしなかった」と、「老齢や心身の障碍等でもとより物理的に移動がほとんどできない」であって、とくに後者は悲劇である)。

現在起きていることの把握に行動の起点を置くと危機管理は失敗する。現在起きていることから近い将来を大雑把に予測し、それを回避するために行動すると危機管理は成功する。それは要するに賭けに出るということである。賭けであるから、外れることもある。洪水になるかと思って避難したら大丈夫だったという、いわゆる「空振り」が生じる。空振りはたしかに怖い。しかし賭け金をずっと手元に置いておくのは空振り以上の惨禍をもたらす。「現状を見極める」「現在への釘付け」こそが、もっともやってはならないことである。

 

 この考え方を現在のパンデミックに応用すると、毎日の感染者数が何人だ、何人だと言っていることは、まさしく堤防の水位をじっと見守る川岸の住民の態度である。

 

室戸台風は当初「室戸台風」と呼ばれていなかった

 それでは、なぜ室戸台風は室戸台風なのか。

(…)中央気象台は『気象要覧』第421号(9月分・10月末発行)を出した。これが、われらの室戸台風を、まさしく〈室戸台風〉と名付けた最初の文献となるのである。(…)

 ところで、こうしたせっかく室戸台風と呼ばれることになったにもかかわらず、世間一般には、そのネーミングが使用されたわけではなかった。被災直後から数年間に刊行された多数の災害誌・記念誌のたぐいをみても、室戸台風の呼称が使われている例は、わたしの知るかぎり、ひとつもない。官公庁をはじめ、学者・研究者、新聞社その他のジャーナリズムのすべてが、たとえば

〈昭和9年9月21日関西大風水害〉というふうに呼び慣わしたのである。(…)

 ちなみに、気象庁に勤務する大谷東平が、昭和15年に岩波新書で『暴風雨』という本を出したとき、そのなかの随所で〈室戸台風〉なる呼称を使っている。これからすると、この語が一般に広く知れ渡り、使われるようになったのは、それからあとのことに属するのかもしれない。

(上村武男『災害が学校を襲うとき ある室戸台風の記録』創元社、2011年、pp.36-39)

 

 昭和9年9月に室戸台風が襲来し、その翌月末にすでに気象庁が「室戸台風」と名付けた。が、その名称は全く使われず、昭和15年の岩波新書で使われてから一般化したと著者は推測している。その間に使われたのは「関西大風水害」などである。

 著者は図書館などで「室戸台風」で検索したが当時の記録が全く出ず、「関西大風水害」に検索ワードを変えるとボコボコ出てきたと付記しているが、これはわたしも過去に全く同じ体験をした。

 昨年の台風19号も「東日本台風」と特に名前が付けられたが、周りでそのように呼んでいるひとは一人もいない。「2019年の台風19号」と言って、それから「長野で千曲川が決壊した」などと付け加えることが多い。気象庁が名前を付けたからといってそれがそのまま用いられるとは限らないらしい。あるいは「東日本」は震災のイメージが強いので台風につけると余計にわかりづらいという心理が働くのかもしれない。

 

災害が学校を襲うとき―ある室戸台風の記録

災害が学校を襲うとき―ある室戸台風の記録

  • 作者:上村 武男
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

首都さえ占領すれば戦争は終わる

中林啓修先生が、新型コロナへの対応を「決戦」としてイメージしてはならない、持久戦・遅滞戦である、と春先に断言しておられた。

決戦とは両軍の主力が真正面からぶつかって雌雄を「決する」戦いである。決戦の結果、敗軍は壊走して首都ががら空きになり、勝軍がそこに入城して講和会議が開かれ戦争が終わる。緊急事態宣言が発令される直前か直後のころ、政府を含む多くの組織やひとびとや報道はコロナ対応に「決戦」のイメージを求めた。「いまは苦しいが、ここを乗り切れば戦争は終わる」という雰囲気を与えた。実際のところ、本年の3~6月ごろは、一斉休校、ダイヤモンド・プリンセス号のオペレーション、10万円給付金の配布、緊急事態宣言による都市・商業封鎖、在宅勤務にまつわるあれこれ(各種のツールやノウハウやガジェットの情報交換)、感染者対応の標準フローの普及、統計データやインフラの整備(ココアなど)、「三密」「濃厚接触」「実効再生産率」といった新用語の浸潤など、混乱しつつも多数の出来事が生じ、それはある望ましいゴールへまとまってゆくかのような外観を呈した。そして封鎖の結果、たしかに感染拡大はいったん収束して「第一波」の山を完成させた。

しかし決戦は幻想だった。コロナウイルスという敵軍を決戦で破って敵の首都を制圧したかのように思われたが、現実は長期戦を強いられている。首都を落としたと思ったら、敵国の政府はさらに奥地に退いて戦争を継続したという例は実際の戦争に多々ある。日中戦争時、日本軍は当時の中華民国首都であった南京を攻略したが、中華民国政府は重慶に疎開した。決戦のつもりが決戦にならなかった。ここさえ乗り切れば勝てる、戦争は終わる、国へ帰れるという期待が裏切られた。こうした心理は「戦争の堕落」をもたらすと中井久夫が書いている。

 

戦争初期の熱狂が褪めるのに続いて、願望思考にもとづく戦争の論理が尽き果てる過程がある。(中略)日中戦争における日本軍も、中国軍の意外な抵抗に遭遇した。(中略)第一次大戦のドイツ軍パリ攻撃と日中戦争の日本軍の南京攻略戦(とアメリカ軍のバグダット攻略)に共通なのは、まず、戦争は首都を陥落させれば早期に勝利のうちに終わるという強烈な思い込みである。だからこそ、日本国内では南京陥落を聞いて提灯行列に次ぐ提灯行列が行われたのである。しかし、実際には、相手の抗戦意志を挫かなければ、その首都を占領しても戦勝にならない。(中井久夫「戦争と平和についての観察」、森茂起編『埋葬と亡霊』所収)

 

クラウゼヴィッツ型の決戦志向はあくまで理想型であって、それが実際の戦争で達成できると考えるのは「願望思考」であるが、多くの戦争ではこの願望思考の醸成が開戦に先立つと中井は言う。戦争はそんな簡単にはゆかないという現実認識は、戦争を始める指導部と国民から脱落する。願望思考が破綻すると戦争という事業を維持する心理的な支えが無くなり、国民からは現実感が次第にうしなわれ、前線の兵士は非人道的行為への抵抗が減ってゆく。

今回のコロナ対応についても相似形が見られるようにおもう。緊急事態宣言をピークとして「決戦」が演出され、都市と商業の封鎖によって確かに感染者数は一時激減した。それはあたかも決戦に勝利したかのようだった。だが期待は裏切られた。そうして、中井の言う「戦争の堕落」がじわじわと生じているのではないか。指導部と国民は目標を失い、持久戦を維持するための精密な現実認識が空疎なスローガンの交換によって侵食されてゆく。戦争のような虐殺や規律紊乱は生じないにしても、平時の社会規範は伝染に対する原始的な恐怖と過剰反応に取って代わられてゆく。「決戦」を演出してしまうと、それが戦争終結をもたらさなかった後には統制が取れなくなってしまう。

 

新型コロナ 「勝負の3週間」飲食店も感染対策徹底で営業 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

「かつてない大きさの第3波 年末年始が分水れい」小池都知事 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

 

「勝負の3週間」「年末年始が分水嶺」という戦い方は、その時期にどれだけ善戦したとしても戦略的にすでに敗けている。決戦が成立しないのに決戦を願望しているからだ。

「この数週間が勝負だ」という言説は、仮にその期間に国民全員がお行儀よく過ごしても、つまりその「決戦」らしきものに勝っても負けても、それが終わった後には堕落を生む。長期的な目標を見失うことで、各人が卑近な現実の消化に没頭してしまう。だからそろそろ、決戦志向と願望思考から離れなければならないと思う。持久戦の宣言が必要だろう。「最後の勝利宣言まで5年はかかる」「それまでに最大でXXX人が命を落とす」という、底の底に足を着けた宣言である。この国がおそらく初めて経験する持久戦である。

 

 

 

同期が本を出しました(宮前良平『復興のための記憶論』大阪大学出版会、2021)

大学院時代の同期(研究科も研究室も違いますが)が博論を出版しました。

岩手県野田村での津波被災写真の返却会をずっと追ってきた若手研究者の最初の一冊です。

年明け1月8日発刊で、絶賛予約中です。ぜひお買い求めのうえ、感想・ご批評を著者までお届けください。

 

望ましき崩壊

実のところ、この国のひとびとは医療崩壊ないしは感染症拡大による大量死を心の奥底でかすかに望んでいるのかもしれない。それは個人の生死で帰結する個人的破滅願望とは異なる、根本的にどうしようもなく無責任な集合的破滅願望である。文明や社会なるものがついには古いかたちを保てずに瓦解してしまえばよい、ただし自分はその瓦解から生き延びるだろうという信念である。破れかぶれのリセット願望であり、破滅のあとの「世直し」への期待である。

こうした集合的破滅願望にとって、このたびの感染症が高齢者や基礎疾患を持つひとびとを優先して襲うという事実は都合が良い。崩壊と大量死の後には若く健康なひとびとが残り、介護や医療費の負担が取り払われた国家が到来するという期待を破滅願望にささやきかける。こうした期待があるとすれば、感染拡大と医療崩壊を防ぐ戦いは、優生思想や強者のみが勝ち残って当然という思想との戦いでもある。

個人的な破滅願望は自分の行為が自分の生命に直結するため、自然とブレーキがかかる。それでも止められない破滅願望は稀であるからドラマの題材になる。集合的な破滅願望は自分の行為が自分にすぐさま返ってくるのではなく、文明や社会といったぼんやりしたものを突き崩してゆく。崩壊と世直しは現状の閉塞感を取り払い、なんだかすっきりとした世界をもたらしてくれるというイメージをだれもがぼんやりといだくとき、じめじめとした科学的精神は力を失う。