しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

首都さえ占領すれば戦争は終わる

中林啓修先生が、新型コロナへの対応を「決戦」としてイメージしてはならない、持久戦・遅滞戦である、と春先に断言しておられた。

決戦とは両軍の主力が真正面からぶつかって雌雄を「決する」戦いである。決戦の結果、敗軍は壊走して首都ががら空きになり、勝軍がそこに入城して講和会議が開かれ戦争が終わる。緊急事態宣言が発令される直前か直後のころ、政府を含む多くの組織やひとびとや報道はコロナ対応に「決戦」のイメージを求めた。「いまは苦しいが、ここを乗り切れば戦争は終わる」という雰囲気を与えた。実際のところ、本年の3~6月ごろは、一斉休校、ダイヤモンド・プリンセス号のオペレーション、10万円給付金の配布、緊急事態宣言による都市・商業封鎖、在宅勤務にまつわるあれこれ(各種のツールやノウハウやガジェットの情報交換)、感染者対応の標準フローの普及、統計データやインフラの整備(ココアなど)、「三密」「濃厚接触」「実効再生産率」といった新用語の浸潤など、混乱しつつも多数の出来事が生じ、それはある望ましいゴールへまとまってゆくかのような外観を呈した。そして封鎖の結果、たしかに感染拡大はいったん収束して「第一波」の山を完成させた。

しかし決戦は幻想だった。コロナウイルスという敵軍を決戦で破って敵の首都を制圧したかのように思われたが、現実は長期戦を強いられている。首都を落としたと思ったら、敵国の政府はさらに奥地に退いて戦争を継続したという例は実際の戦争に多々ある。日中戦争時、日本軍は当時の中華民国首都であった南京を攻略したが、中華民国政府は重慶に疎開した。決戦のつもりが決戦にならなかった。ここさえ乗り切れば勝てる、戦争は終わる、国へ帰れるという期待が裏切られた。こうした心理は「戦争の堕落」をもたらすと中井久夫が書いている。

 

戦争初期の熱狂が褪めるのに続いて、願望思考にもとづく戦争の論理が尽き果てる過程がある。(中略)日中戦争における日本軍も、中国軍の意外な抵抗に遭遇した。(中略)第一次大戦のドイツ軍パリ攻撃と日中戦争の日本軍の南京攻略戦(とアメリカ軍のバグダット攻略)に共通なのは、まず、戦争は首都を陥落させれば早期に勝利のうちに終わるという強烈な思い込みである。だからこそ、日本国内では南京陥落を聞いて提灯行列に次ぐ提灯行列が行われたのである。しかし、実際には、相手の抗戦意志を挫かなければ、その首都を占領しても戦勝にならない。(中井久夫「戦争と平和についての観察」、森茂起編『埋葬と亡霊』所収)

 

クラウゼヴィッツ型の決戦志向はあくまで理想型であって、それが実際の戦争で達成できると考えるのは「願望思考」であるが、多くの戦争ではこの願望思考の醸成が開戦に先立つと中井は言う。戦争はそんな簡単にはゆかないという現実認識は、戦争を始める指導部と国民から脱落する。願望思考が破綻すると戦争という事業を維持する心理的な支えが無くなり、国民からは現実感が次第にうしなわれ、前線の兵士は非人道的行為への抵抗が減ってゆく。

今回のコロナ対応についても相似形が見られるようにおもう。緊急事態宣言をピークとして「決戦」が演出され、都市と商業の封鎖によって確かに感染者数は一時激減した。それはあたかも決戦に勝利したかのようだった。だが期待は裏切られた。そうして、中井の言う「戦争の堕落」がじわじわと生じているのではないか。指導部と国民は目標を失い、持久戦を維持するための精密な現実認識が空疎なスローガンの交換によって侵食されてゆく。戦争のような虐殺や規律紊乱は生じないにしても、平時の社会規範は伝染に対する原始的な恐怖と過剰反応に取って代わられてゆく。「決戦」を演出してしまうと、それが戦争終結をもたらさなかった後には統制が取れなくなってしまう。

 

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「勝負の3週間」「年末年始が分水嶺」という戦い方は、その時期にどれだけ善戦したとしても戦略的にすでに敗けている。決戦が成立しないのに決戦を願望しているからだ。

「この数週間が勝負だ」という言説は、仮にその期間に国民全員がお行儀よく過ごしても、つまりその「決戦」らしきものに勝っても負けても、それが終わった後には堕落を生む。長期的な目標を見失うことで、各人が卑近な現実の消化に没頭してしまう。だからそろそろ、決戦志向と願望思考から離れなければならないと思う。持久戦の宣言が必要だろう。「最後の勝利宣言まで5年はかかる」「それまでに最大でXXX人が命を落とす」という、底の底に足を着けた宣言である。この国がおそらく初めて経験する持久戦である。