しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

戦史叢書(43)ミッドウェー海戦

このように各種の条件が変化してきたが、わが海軍は依然として邀撃作戦一本槍で進み、ひたすら艦隊決戦に勝つことを目差して精進を続けてきたのである。/この各種条件の変化により、わが海軍が期待している艦隊戦闘が果たして生起するか、その艦隊戦闘で戦争終結が期待できるような戦果が見込めるのか、その戦果が戦争週末にどのように貢献できるのか、そのうえ邀撃作戦以外にさらに適当な方策はないのかなど、再検討を要する問題がでてきた。(略)/しかし軍令部は、従来から艦隊戦闘の勝利をいかにして戦争終末に導くかの重要問題については、具体的な検討に欠けるところがあったようである。(pp.5-6)

 

この際英国も米側に立つであろうが、このようにして米国に対し堅固な長期持久の態勢を固めたのち、わが国は英国の崩壊を促進する作戦を行い、欧州戦局の進展と相俟って、まず英国を崩壊させ、これに伴う米国の戦意喪失を期待しようとした。(p.7)

 

これを要するに、長期戦となる公算はきわめて大きいという判断はみな一致していた。そのようになった場合、長期戦には確たる自信が持てず、と言ってこれを短期戦に導く方策も見付からないというのが実情であった。ただわが国は、欧州戦局の進展に伴い英国の脱落を期待し、これにより短期戦に導きうる可能性があるとみていた。(p.12)

 

大本営政府連絡会議は、昭和16年11月15日、実質的に戦争指導方針といえる「対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」を決定し、上奏裁下を得た。開戦前わが国には、正式に”戦争指導方針”は、決められていなかった。(p.12)

 

こんな状況で開戦したところ、開戦後各方面から華々しい戦果が報じられてきたので、わが陸海軍軍人ばかりでなく、国民全般が狂喜乱舞するとともに、これまでの緊張が一挙に緩んでしまった。そしてわが国内には程度の差こそあれ、戦争の前途を楽観し、極端なものは既に戦勝気分となってきた者さえみられるに至った。これは陸海軍部の国民指導が大きな原因となっていたともいえる。この傾向は、戦争や作戦を指導する政府や陸海軍部内にも、現れていたようである。(p.19)