しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

トーチカから出る

街の雰囲気が変わった。お年寄りが多い。ハイキングに行くひとや、お茶や買い物をしているひとたち。これまでできるだけ部屋から出ないようにしていたのかもしれない。見えなくなると、気づかない。

じっとじっと縮こまっていた街が、ようやくようやく息を深く吸って吐いて、産毛をそっと逆立てて、芽を繰り出そうとしている。そんな印象を持つ。街のガイストというか、精神的なぞよぞよしたエネルギーの凝集のような何か。

これからたくさんのことを忘れていくのだろうな、とおもう。カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』のことを思い出す。靄がかかってゆく。ああ、あれでよかったんだ、これまでのやり方は間違ってなかったんだ、という強力なまどろみが脳を包んでゆく。そうしないと現在の説明がつかないじゃないか、という不安に後押しされている。現在と過去が甘くぼんやりとした照り焼きチキンバリューセットに嵌め込まれている。動物的な想起に執着することが習慣になってしまい、混沌とした、ひりひりとした想起は除去される。底の無い、無根拠な現在を無根拠のままに享受することはむずかしい。それゆえに過去を上手に思い出すこともむずかしい。それができないから、過去を靄にくるむ。