しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

関東大震災に教育界はどう反応したか(平野・大部2017)

 東日本大震災の後、やはり防災教育は大切だということで、ちゃんと学校で防災を教えましょうという方針が国で固められた。(文科省内のページ:学校安全<刊行物>:文部科学省に答申や参考書がまとめられている)

 防災教育は東日本大震災(2011年)のあと初めて発想されたのではなく、阪神大震災(1995年)後から研究や事例の模索が始まっており、基本的なアイデア・理論・事例は2011年以前におおむね揃っていた。

 じゃあ阪神大震災より前はどうだったのかというと、ざっくり言って、何も無かった。授業中にサイレンが鳴って校庭に出るというお決まりの「避難訓練」だけだった。(防災教育は自然災害のメカニズムについて正確な科学知識を身に着け、子どもが自分自身で判断できる力をつけるのが目標であるから、避難訓練だけでは防災教育にはならない。)

 阪神大震災以前に防災教育が存在しなかったのは、これもざっくり言って、大きな災害がほとんどなかったためである。伊勢湾台風(1959年)があるのだけれど、その後に防災教育の重要性を確認するような世論は生まれなかったらしい。その理由はいずれ調べておきたい。

 しかし実は戦後すぐ、教育改革のなかで防災教育をきちんとやりましょうという方針が一度は立てられていた(城下・河田2007:https://www.jsnds.org/ssk/ssk_26_2_163.pdf)。ところがすぐにうやむやになってしまい、結局、阪神大震災まで「防災教育」は日本に存在しなかった。

 

 以上はやや長い前置きである。東日本→阪神淡路→終戦直後と遡ると、関東大震災後はどうだったのかということが気になる。この問いに関して、とても面白い論文があった。ので紹介したい。

 

●CiNii 論文 -  大正期教育雑誌に見る関束大震災後の教育主張と実践

 

関東大震災後の、教育家・学校教員の理論的・実践的教育言説をとりまとめて検討したもの。詳細は上記リンクからPDFを読んでいただくとして、以下で自分なりに要点をまとめておく。

第一に、教育者の言説にも天譴論が色濃く現れたということ。天譴論とは、自然災害を人間社会の退廃や政治の腐敗に対する神様からの罰だとする解釈のこと。天譴論の広がりを批判する教育者もいたが、「訓育的意図のもと、それを教育効果を持つ”教師の言葉”に利用しようとした例が存在した」(3頁)。

第二に、「防災教育の視点」はほとんど生まれなかったこと。わずかな例外として佐藤保太郎による避難の参考になるような具体的記述が紹介されている。また、木下竹次というひとが、「子供の自主性と自律性」を言っているのがおもしろいとわたしはおもった。孫引きする。「現時の教育者は多く知識を与へ教師の判断を児童生徒に承認させて居るが之では平時でも非常時でも不都合である。如何にしても児童生徒が自ら判断し自ら実行する様にせねばなるまい」。

第三に、「震災を契機とした修身教育論」は盛んだったということ。学校から御真影を命がけで救出したエピソードや教員と青年が互いに励まし合って一夜をのりこえたエピソードなど、いわゆる哀話美談の類が好まれ(これは教育界だけでなく当時のメディアが全体的にそうだった:成田龍一さんの論文が詳しい)、震災体験記が「生きた修身教材」(5頁)として用いられることになった。

第四に、こうした修身教育の方向性が、「国民精神作興に関する詔書」に合流してゆく。「詔書」は上述の天譴論を背景としたうえで、国家の復興を国民の「忠孝勇儀ノ美」に求める。それを修身の授業で先生が子どもたちに教えてゆく、という流れになっている。

 

ここからは論文の主張ではなくわたしの考え。単純な結論として、防災教育は関東大震災後に生まれなかった。そういうことをしよう、と言うひとすら少数の例外を除いてほとんどいなかった。その代わりに、国家や道徳といったもっと大きなものに同一化しようという流れに教育界もはまってしまった。防災教育の根本は、ひとの命を守ることにある。根本の根本をつきつめれば、子どもを含めて人間の命を守るということ、それ以上でもそれ以下でもない。一方で、崇敬すべき指導者のもと一丸となって国民みんなでがんばろう、復興しようという動きが生まれるのも無理のないことだけれど、歴史的事実としてはそのまま戦争に向かっていった。生命は鴻毛より軽いということになった。

 この岐路はどこにあったのか。関東大震災があったからといって、それで「命を守る防災」の方向に転換したのではなかった。戦争が終わって、命は大事だということになったけれど、災害のことはなんとなく忘れられて経済発展に目が向いた。そして阪神大震災東日本大震災が起きて、どこかへ向かっているのは確かなのだけれど、どこへ向かっているのだろう、とおもう。100年後、150年後のひとに、「阪神大震災東日本大震災があったのに、なぜ当時のひとはああいう方向に向かってしまったんだろう」と思われてしまってはいかんなとおもうのだけれど、さて、どうしたものか。

リテラシー

大多数の人間が自分よりいくぶん愚かであり、読解力や共感能力に欠け、たいてい政治的に不十分な見解を持ち選挙ではいつも間違った選択をしている…と、大多数の人間が思っている。そういう時代であるような気がする。

マジョリティとは自分より少し未熟なひとびとの集合であり、自分はそこに含まれないがそれを超越するエリートではなく、マジョリティの愚かさを熟知し悲しみ哀れむことができる点で、マジョリティのなかの静かな賢きマイノリティである…という自己規定をするひとびとがマジョリティを構成している。


集団と自己の関係を階級や職種や政治的立ち位置で規定することが難しいため、集団と自己の関係に対する関係という仕方でその立ち位置を規定することになる。そこでたとえば「リテラシー」という言い回しが流行ることになる。リテラシーとは決してある集団や個人の認識能力を客観的に評価する概念ではなく、「自分よりもそれが低い」ひとびとを指し示すための概念であって、要するに集団に対する自己の立場を自ら指し示すための主観的概念である。リテラシーの高いひとびとという集団は原理的に存在せず、それが自分より劣っているひとびとだけが観測される。その集団に所属するひとびとも同様にリテラシーが低い他者を心配する。けっきょく、社会の構成員全員が全員の愚かさに嘆息しているという、不思議な社会的自己認識が完結している。

(こうしてリテラシーという概念についてのリテラシーの低さを嘆くわたしも立派なマジョリティだということになる。自己規定の無限退行)

災害を待つ

生まれて初めて、災害を待っている。

人と防災未来センター」という不思議な名前の研究所に勤めはじめた。

ふだんは研究をしている。しかし大地震津波、またその他水害などが起きると現地支援にゆく。日本中どこでも、基準を超える震度であれば、緊急参集ということになる。

そういうわけで、災害を待っている。災害が来なければいいなとおもっているけれど、来るものは来るのでしょうがない。地震津波・噴火・大火はまだランダム感が強いが、豪雨はもう確実に起こるとおもうほかない。あと雪害と高潮もこわいです。

 

だが、さて、どうやって待ったものか。これがなかなかむずかしいということに気づいた。

「待つ」というのは不思議なことばで、自分ではどうにもならないから消極的に待つしかないのだけれど、来たるべきものに意識を向けているという点では積極的な行為でもある。しかし意識を向ける以上のことはさしあたりできないので(地面を睨んでいても活断層が動くわけではない)、消極的に積極的に待つというのが「待つ」ということらしい。

 

入職して最初の週は異様にビクビクしていた。先輩研究員たちは場数を踏んだ古参兵の趣があるが、こちらは新兵である。4月2日の辞令交付式の途中に南海トラフ巨大地震が発生する蓋然性だってあるじゃないか、とさえ考えた。

それはそれで間違ってはいないのだけれど、いつ起きるかわからないものを「今この瞬間か、今日の夕方か、今晩か」とピリピリしていてもあまり意味はない。ということに2週めの月曜朝に気づいた。いたずらに意識を集中させていても体力を消耗するだけだから、力を抜いて待ち構えるほかない。できる限りの準備をして、勉強をして、体調をきちんと整えて、あとは普段のしごとをする。それを自分なりの最初の前提にした。

 

***

 

そのようにして災害を「待つ」日々をのんびり過ごしている。が、ジャン=ピエール・デュピュイの『聖なるものの刻印』を読むと、もうすこし違う考え方ができるのかもしれないと気づいた。

『ツナミの小形而上学』『聖なるものの刻印』『ありえないことが現実になるとき』などデュピュイの著作は、丁寧な邦訳書が出て東日本大震災後に日本で広く読まれるようになった。(←まるで邦訳が出る前から知っていたかのような口ぶりですが、普通に邦訳書のおかげで知りました)

個人的な考えとしては、デュピュイの本を日本人が読むのはいろいろな点で簡単ではないとおもう。何重にも手続きがいる。そこに書かれていることをそのまま日本の文脈に移し替えて読むこと自体が、ひとつのカタストロフであるかもしれない。たとえば「文明」という概念ひとつとっても、日本人の腹には消化が悪い。

 

とはいえ、本そのものは独特のうねりがあって面白い。『聖なるものの刻印』の序盤で、デュピュイは「目を覚ましていなさい」という福音書の表現を引用して自分の立場を示している。

本が手元にないので不正確な紹介になってしまうのだが、要するに文明の根っこにさかのぼって「破局」について考えるためには、時間の捉え方を切り替えなければいけないということを言っているらしい。最後の審判の日、救済の瞬間を、今か今かと期待して待ち構えるのは、救済を自分と歴史の外縁部に置くような捉え方である。救済はそういう平凡な時間の流れのなかで娯楽のように待ち構えられるものではなくて、たぶん、ある意味では既に起きている。かといって数日前や数年前といった意味での「過去」ではなくて、人間だからまだ来ていないものとして待つしかないのだけれど、すでに自分がそれに包まれているような「すでに」として在る。その仕組みのなかで生きているということ自体に眼を開いていなさい、という。

大雑把な言い方では叱られてしまうけれど、論理構造としては親鸞の「地獄は一定すみかぞかし」に近い部分があるかもしれない。

 

***

 

災害を待つことも、デュピュイが引く「目を覚ましていなさい」にちょっと似ている。

災害はある意味では既に起きている。たとえば豪雨で土砂崩れが起きてひとが亡くなるのは、都市化が進み、以前は住宅地として選ばれていなかった山あいの斜面ぎりぎりまで宅地を造成して家を立てるという環境利用が基本的な原因である。全ての種類の災害について同様のことが言えるとは限らないけれど、基本的に、人間が生活環境を高密度化すればするほど災害のダメージは増大する。

すると、災害を待つ(予測する、備える、不安がる)とき、わたしはしばしば自然現象としての大量降雨や地震動に焦点を当てて、その近い将来の発生に意識を向けるけれども、それはあくまで最後の引き金であって、広く捉えればこの生活環境自体が災害である。こうしたライフスタイルを保持している時点で、すでに災害は9割がた発生しおわっていて、完遂しかかっている。

だから災害を待つことは、すでに起きている災害の発生を待つことである。奇妙な表現になるけれど、そういう仕組みに自分をはめ込んでおいて、それでもなんとかなると思い込んでしまうところに私たちの文明の悲しさがあるということをデュピュイが書いてたような気がする。(劇場版パトレイバー2で「始まってますよ、とっくに」と県警本部長に言い放つ後藤隊長は、ちょっとデュピュイに似ている。)

 

***

 

ところが自然災害を待つことの奇妙さ(難しさ?)は、現実にひとが死ぬということにある。デュピュイは基本的にいちばん大掛かりな「文明」を論の焦点に据えていて、気候変動や核抑止といった題材が選ばれている。

一方で、たとえば豪雨災害では5人、10人、100人といった「桁」でひとが亡くなる。ひとりひとりの死がある。今年、梅雨から初秋にかけて、台風・豪雨でひとが一人も死なないということは、まずない。だれかが死ぬ。そのひとは、いまは生きている。もちろん運命が確定しているわけではない。豪雨で死ぬだれかが本当にいまあらかじめ指定されているわけではない。とはいえ、いま生きているだれかが亡くなるということ、亡くなるのはいま生きているだれかであることは、どうしようもない事実だ。

災害は9割がた既に完遂されていると上に書いたけれど、この生と死の落差は「9割」というファジーな表現では捉えられない。それはゼロかイチかである。生は死を含みこんでいるけれど、だからといってひとは従容と災害死にみちびかれてゆくわけではない。逃げようとする。生きようとする。

 

わたしはそれを「待って」いる。

葬儀屋の営業マンが老人ホームや病院の入り口で名刺を配っていたら非難されるだろう。わたしが災害を「待つ」ことは、それとどう違うのだろう。

 

***

 

すでに起きている災害を待つということは、ただ眼前の状況に「眼を覚ましている」だけではダメで、死と生、偶然性と必然性、論理と狡猾さがもつれてゆくところに身を置いてゆくことでもあるのかもしれない。

 

(追記: 話がどんどん脇道にそれてしまうけれど、劇場版パト2は本当に「待つ」シーンが多い作品だなとおもう。PKOの装甲車の車内で柘植が敵の接近を待つ。後藤さんがのんびり釣りをして何かを待っている。南雲さんが車内で渋滞の解消を待っている。柘植との密会の帰りに船を待たせている。駐屯地前でレイバーを寝かせたまま待機する。後藤さんが南雲さんに「おれ、待ってるからさ」と言う。第2小隊のメンバーが地下道で後藤隊長の到着を待っている。柘植が南雲さんを待っている。)

 

ゲーム・オブ・スローンズ Season1の個人的に好きなシーン10選

GoT・Season8が完結する。その復習としてS1から順に観なおしている。

というわけで、あえてSeason1で好きなシーンを挙げてみたい。

 

1.ジョンの初体験未遂を聞くワクワクサム(S1-E4)

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この笑顔である

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中学生か君は

 ナイツウォッチ見習いになった庶子ジョンと、同じく見習い同期生のサム。サムは一応エエトコのボンなのだが、出来が悪すぎて勘当扱いで「壁」に送られた。こいつほっとくとやべーなというかんじでジョンが半ば一方的に面倒を見てあげている。掃除中、ジョンが自分と同じく女性を知らないことを知り、親近感マックスになるサム。だがジョンは「初体験未遂」体験があったのだ!

 字幕では「やり方を?」「心得てるよ」とわりとお上品に訳されているが、スクリプトを確認すると

Didn't know where to put it?(どこに入れたらいいかわかんなかったの?)

I know where to put it.(どこに入れるかは知ってるよ)

と、おまえら中学生かみたいな会話だった。

 ハァハァ(;´Д`)しながら髪の色や胸のサイズを聞くサムがほんとオモロイ。

 

 この後、娼婦との行為が未遂に終わったのは、自分のような庶子を増やすことになると考えてしまったからだとジョンが説明する。そのジョンがS7でデナーリスと交わることができたのは、かれがデナーリスとの間に庶子や家といった価値観を越えた愛を見出したから、ということなのだろう。ところがそのジョンは実はデナーリスと同じくターガリエンの血筋で…という皮肉で複雑な筋になっている。ここで語られているのはそうした大掛かりな伏線の端っこであるわけで、実は大切な会話なのだった。

 

2.膝立ちから一人で立ち上がれないサム(S1-E7)

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おまえなぁ・・・

 晴れて見習いから正規の守人になり、誓いの祈りを捧げる若者たち。

 膝をついて祈りの聖句を唱えるのだが、そのあと肥りすぎて一人で立ち上がれないサム。手を取って立ち上がらせてやるジョン。ああ、ジョンはこういうところから人々の信望を得てゆくんだなと感じさせると同時に、おまえもうちょっとなんとかならんのかというサムのキャラも際立つ。ほんの数秒の演技だしセリフも入ってないけど、演出が巧いですね。

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先輩もにっこり(まだ平和な時期であった)

 

3.ティリオン・ラニスター捕縛の助力を旗手たちに求めるレディ・スターク(S1-E4)

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 王都からウィンターフェルに戻る途中のキャトリンが、壁から王都へ帰る途中のティリオンと邂逅してしまう。最初キャトリンは顔を伏せようとするが、ティリオンの方から声をかける。ティリオンは自分がブラン転落・暗殺未遂の下手人としてキャトリンから疑われているとは思っていなかったので、そのまま声かけちゃったのだった。宿にいる旗手たち、その臣下たちに威厳をもって声をかけ、ティリオン捕縛の助力を乞う。「剣と魔法」ものファンタジーの王道をゆくようなセリフ回し。ほんとお母さんカッコイイ。

 この宿屋での偶然の出会いとティリオン逮捕が、ラニスター家とスターク家の紛争を激化させてゆくきっかけになる。S1のストーリー全体の流れを決める場面でもあった。1枚目、キャトリンの隣にいるヒゲのおじさん(スターク家の忠臣ロドリック。S2E6でシオンに処刑される)が剣の柄に手をかけ、刃傷沙汰が今から始まりますよと周囲の客に示している。3枚目、シレッと無関係のように眺めてるブロンもいい味出している。S1のなかでも一番良いシーンではなかろうか。

 ちなみにこの直前にキャトリンに歌を披露しようとしている吟遊詩人はこの後のエピソードでジョフリーの命により舌を引っこ抜かれている。

 

4.初見で即ヤバイとわかる高巣城母子(S1-E5)

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玉座授乳という新ジャンルを開拓

 ティリオンを捕縛後、ウィンターフェルに直帰するとラニスターの追手に捕まると考え、妹ライサ・アリンがいる高巣城に向かったキャトリン。久しぶりに会った妹と甥だったが、おそらく10歳は越えている息子に人前で堂々と母乳を与えていた。

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 捕虜のティリオンが「(大丈夫っすかね…?)」みたいな顔でキャトリンを見るのが面白すぎる。S1はこの二人の演技が他から一段上というかんじ。あとはサーセイ役の女優さんも実力派なのだが、サーセイはとにかくキャラが複雑すぎてS1の時点ではまだ入りきっていないようでもある。なので、S1は実質的にティリオンとキャトリンが支えているとおもう。

 アリン公の死後、ライサが精神のバランスを崩していることと、唯一の嫡子ロビンも知的発達に問題があることを示している。このロビン役の子役俳優、目の泳ぎ方などが異様に巧い。

 

5.部下に許嫁を殴らせるジョフリー陛下(S1-E10)f:id:pikohei:20190519193201p:plain

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ロイヤル・ドメスティック・バイオレンス

 ネッドのクーデターを鎮圧後、すみやかに本性を現したジョフリー新王。

 「王は妻を殴ってはならぬと母に言われた」からの、部下に命じる勅令ビンタ。この展開は全く読めなかったぜ。

 このシーンは「母に言われた」とジョフリーが言っているのがミソで、かれの母サーセイは何度も夫ロバートにビンタされていた。だからサーセイは、夫は妻を殴ってはいけない、王は王妃を殴ってはいけないとジョフリーに諭していた(ことがこの一言でわかる)。この教育はサーセイの立場として至極まっとうなものである。彼女もいろいろ業の深い人ではあるが、「あなたの父はわたしを殴った、あなたは父のように妻を殴ってはならない」と諭すのは、どこまでも筋が通っている。サーセイとジョフリーにそれぞれ歪んだ部分があっても、この教育が通じるならば、その部分だけは二人のあいだに「正しいもの」が成り立ったということになる。しかしジョフリーはそれを完全に裏切る。しかも部下に殴らせるという斜め上の方策で。

 

6.母さんにも殴られたことのないジョフリーを殴るティリオン(S1-E2)

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 で、なんでジョフリーがビンタにこだわるかというと(そこまでこだわってもないが)、E2で自分が叔父ティリオンにビンタされてるので、その恨みをとりあえずサンサで晴らすという面も無くはない。サンサを殴らせてもティリオンへの恨みが晴れるわけではないのだが、ジョフリーはそういうやつである。個人に対する恨みとは別に、自分が受けた暴力や恐怖を増幅して別の他人に発揮する。そうすることで自分を守ろうとする。

 

7.三人は死なないと退屈なドスラク披露宴(S1-E1)

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村祭りぐらいの規模

 好きなシーンというか、個人的にずっと問題だと思っているのだけれど、デナーリスが嫁いだ「ドスラク人」の描き方がステレオタイプすぎませんか。「遊牧民」「略奪」「蛮族」「半裸」「暴行」「迷信」が軸で、肌の白い人たちから見た「タタール・アジア的なもの」ばかりで文化が造形されている。〈七王国から見た、野蛮人としてのドスラク人〉と、〈デナーリスやジョラーが内部で見た、独自の文化や価値観をもつドスラク人〉が区別されて表現されるといったこともない。ドスラク人の描き方の陳腐さは、ゲーム・オブ・スローンズという作品の大きな欠点だとおもう。

 

8.ぴちょん君みたいなヴァリス(S1-E8)

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 地下牢のネッドを訪れるヴァリス。の衣装が、黒いぴちょん君で妙にカワイイ。

 

9.レディ・スタークに敬礼する北の王の兵士たち(S1-E10)

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 毅然とした表情を崩さずに陣営を歩くキャトリン。距離を取って深く頭を下げる兵士たち。ネッド・スターク刑死の報がロブの陣営にもたされたことが、前後の説明抜きに観客に伝わる演出。

 

10.偉大なるカール・ドロゴに最後の名誉を贈る「カリーシ」デナーリス(S1-E10)

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 呪い師の治療と呪術で一命をとりとめたカール・ドロゴだが、その霊魂はすでに肉体を去っていた。偉大な王は馬にも乗れず、妻を見ることもない、生きた屍と化した。「カリーシ」は夫の息をふさぎ、黄泉の国に還らせる。 

 個人的に自分はデナーリス役の女優さんがあまり好きではない。キャラ的な表情を場面ごとに切り替えているだけで、サーセイやサンサと比較するとあまりに演技の幅が乏しい。

 ただ考えてみると、女優さんが上手くない・役に合っていないという面もあるが、そもそもデナーリスというキャラに人間的な個性がほとんど与えられていないという点が大きい。彼女は自分の意志を越えた運命に翻弄され、導かれて、東の大陸の巨魁にのしあがってゆく。これは裏返せば、彼女自身の想いや思考や人間味といったことはさほど重要ではない、ということでもある。サーセイは徹頭徹尾、自分の「業」で生きている。デナーリスにはそれがない。いまひとつ裏付けのないカリスマ性と、強いドラゴンと、その場その場でイケメン彼氏がいるだけである。

 しかしこのシーンだけは、デナーリス自身の思考、想い、業がある。自分で考え、自分で決断し、自分で苦しみ、自分で手を下している。そして彼女は炎の中を歩み、ひとびとを畏怖させる。

 

昨年書いたエントリ:

 

 

カール・レフラー考

 さる伝統ある大学の名誉も実績もある教授が、自分の論文に、存在しない神学者の存在しない論文を「引用」した。ということがバレて、クビになった。本も絶版となった。

研究活動上の不正行為に関する調査結果について|東洋英和女学院大学

 

 いったいこの事件は、世の中の研究不正のなかでも、とても不思議な事件であるようにおもう。その不思議さを少しかんがえてみたい。

 

研究不正の種類 

 世の中の「研究不正」には主に4種類ある。

1 お金をちょろまかす。

2 他人の論文から出典を明記せずにコピペして、自分が書いたものであるかのようにごまかす。

3 データを捏造したり、画像を加工する。

4 研究に参加したひと(インタビューなどに応じてくれたひと)の人権を侵害する。

 

 大阪大学の若い地震学者が、熊本地震地震計の観測データを捏造したのは3にあたる。小保方事件も3である。

大阪大元准教授、地震論文5本で不正 17本の判定を留保 - 毎日新聞

刺激惹起性多能性獲得細胞 - Wikipedia

 

 2は剽窃と呼ばれる。最近では以下のような事件があった。

『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』 お詫びと回収のお知らせ - 株式会社 勁草書房

 

 文科省は研究不正の「認定」を平成28年度ごろから行っていて、一覧がウェブサイト上で公開されている。

文部科学省の予算の配分又は措置により行われる研究活動において不正行為が認定された事案(一覧):文部科学省

 このリストでは、不正行為の種別として「盗用」「ねつ造」「改ざん」「二重投稿」を挙げている。ざっと見たかんじ、いわゆる文系はほぼ「盗用」で、「ねつ造」「改ざん」はいわゆる理系に集中する。

 

人文学と研究不正

 そもそも人文学者は一般的に研究不正をしづらい。今回の事件は2にも3にもあてはまらない。強いて分類するならば、「データの捏造」に入るのだけれど、一般に科学者が実験データ等を捏造・加工して論文に利用することと、今回のケースである存在しない論文を引用することには、さまざまな違いがある。

 最大の違いは、非常に容易にバレる、ということである。理系の実験データ等の場合、実験や観測で得られた「生データ」は論文の執筆者(研究プロジェクトの関係者)が保管している。論文の内容に疑義があった場合、論文著者はその生データを提出する義務が生じる。したがって追い詰められたら逃げられない。しかし、これは裏返すと、バレなければやりすごせるということでもある。理系の研究不正が明るみに出る事例の多くは、グラフや画像があまりにキレイすぎるとか、どうにも不自然であるとか、他の画像と酷似しているといったことをきっかけにしている。つまり論文の表面から疑義をもたれるということである(もう一つのきっかけは内部告発である)。ごまかし方や加工の仕方が下手であれば見つかるが、巧くやっていればスルーされてしまう。少なくとも「これぐらいならバレないはず…」と勘違いできてしまうという構造になっている。

 これに対して、人文学では基本的に引用する過去のテキストはすべて公開されている。カントでもニーチェでも、批判・校訂済みの全集が公刊されている。どの出版社のいつの全集の何年版の何巻の何ページ、と指定すれば、基本的にテキストの内容が全て確定する。「誰にも知られていないカントの著作」などというものは存在しない。もし存在して、その研究者だけが知っているならすみやかに公刊すべき、ということになる(それはそれで業績として評価される)。だから嘘をつけない。仮に適当なことを言ったなら、すぐさまテキストに詳しいひとが出てきて、その巻のその頁にはそんなこと書いてないはずですが、と詰められる。なかなか堅苦しく見えるけれど、それが人文学の基礎ラインであって、そこはごまかしようがないということを学生・院生は当然学んでゆく。これは理系の実験・観測データがすべて公開されているのに等しい。

 マイナーな学者の著作であっても同様で、印刷されてどこかの図書館に残っているのである限り、引用した元の文献は別の研究者にチェックされる可能性がある。それが大前提である。「すごくマイナーな作家のマイナーな私家本で、うちの書庫にしか存在しません」という場合、まずそのことをかなり丁寧に釈明してから参照する必要がある。

 

動機はどこに?

 このような文化であるから、人文学で研究倫理の指導をされる場合、基本的に2の剽窃が想定される。3については正直想定外である。

 

 ところが、このひとはこれをやった。さすがにカントの存在しない著作をでっちあげたのではなく、ほとんど知られていない神学者の論文という手法だったけれど、それでも同業者が調べれば即座にわかる。

 理解にこまるのは、動機がまったく読めないということである。研究不正の動機は一般的に3種類である。

1 私服を肥やしたい

2 業績を挙げなければというプレッシャー

3 なんとなく業界を舐めている。あるいは感覚の麻痺。

 

 厳しい境遇に置かれた理系の若手研究者がプレッシャーに負けてデータ捏造に走ってしまうという構図は、わかりやすい。許されることではないにしても、その心理自体は了解しうる。

 小保方さんは2と3の混合タイプであったように思われる。科学とは厳密なもの、という基礎的な教育を受けないまま、こういうふうにしちゃっていいんだよという感覚で突き進んできた。ただ、プレッシャーだけでなく、名誉欲や自己顕示欲も絡まっていたので、余計に世間の注目を巻き込んだ。(それを利用してさらに突き進んでいったというところに彼女の一種のオリジナリティが無くはない。)

 これに対して、今回の教授は、すでに功成り名を遂げた学者である。少なくとも、この不正をしなければ失職するというところに追い詰められてはいない。本を一冊だそうが出すまいが、給料やポストに影響しない。業績を増やしたければ論文のネタはいくらでもあるはずで、わざわざ今回のような手をこんだことをする必要がない。定年退職を一ヶ月後に控えた銀行員が突然顧客の預金を80万円ほど着服するようなものだ。

 

なにか歪んだもの

 だから、動機が無い。だが実際にやった。これは何なのだろう。大学による調査報告でも動機については書かれていない。

 ぶっちゃけて言うと、この「存在しない著者の存在しない論文をこっそり自分の論文に引用する」という手法は、人文学の研究者なら一度は妄想するのではないかとおもう。少なくともわたしはやってみたら面白いだろうなと思ったことがある。ただ、この面白いというのは文芸としての面白さであって、研究としては上述したようにありえない。いわば「民明書房」ネタである。民明書房は、引用元も本文も全て虚構だということが最初から断られているので許される。これは文芸ですよというサインが明示されているなら問題ないが、プロとしての研究論文では当然許されない。

 

 なぜ文芸として面白いと思うのか。それは一つには、真実を引用して別の真実を作るという構築形式をそのまま利用することで、虚構を引用して虚構を作るということができることにある。非常に精細な存在しない町の地図を製作することを趣味にしているひとがいるが、これに似ている。存在しない論文をいくつも引用して、存在しうるような論文を書くことは、存在しない町役場や学校や川を配置することで、存在しうるような虚構の町を立ち上げることに似ている。箱庭やジオラマを作るような感覚であろうか。

 しかしそれがしたいのなら、文芸としてやればよかったのだった。論文を書いて本にして売っているのだから罪は重い。だからどうにも、虚構の世界を作り上げる面白さ、箱庭を作るようなワクワク感だけが動機であったとも思えない。

 そうした文芸的な面白さをついつい追求して一線を越えてしまったというよりは、もっと確信犯的なものがあるような気もする。つまり、引用と論述という人文学の基礎的なスタイルに対する深い侮辱のような情念である。

 人文学は引用のネットワークによって成立している。Aという著名な哲学者の著作がある。B氏とC氏がAについて論文を書く。D氏が、B氏の論文とC氏の論文を引用して自説を述べる。B氏がD氏の論文を引用して反論する。E氏がそのB2論文とC氏の別の論文を引用し…というように、無限に連鎖してゆく。論文を書くことは、その網目の中に自分を組み入れることである。網目の中には重要な著者も無名の著者もいる。ただ、重要も無名も、そこに連なる網の濃さの違いにすぎない。網目は平面に広がっていて、その平面上の点であることに変わりはない。したがって、ある意味では無名も有名も平等である。ひたすら引用し、(運が良ければ)引用されてゆく。平等になるとは無価値になるということである。人文学を行うことは、自分が引用の網目のなかの平等に無価値なノードの一つになることを受け入れることである。ノード自体に価値は無い。ただ網目の総体にのみ価値がある。そこに学問の謙虚さということが生まれる。

 ところが、この事件のひとは、網目のなかで自分の「価値」を失うことをおそれた。すべてが無価値なノードであるなら、そのなかに虚構を混ぜ込んでもよいのではないかと考えた。そこにはひそかな優越感がある。人文学といったって、所詮は引用の繰り返しじゃないか、という侮蔑がある。それを続けている限り、自分は「本物」ではないという不安であるかもしれない。わたしはそこに空疎さを読み取らざるを得ないような気がする。

(2019/5/15追記 最初「学長」と記していましたが、当該事件の教授は「院長」でした(院長と学長が別々に設置されている)。間違えて書きました、すみません)

 

2019/5/19追記 今回の事件を扱ったものではないが、学術振興会の黒木登志夫先生のスライドがとてもわかりやすかった。

https://www.jsps.go.jp/j-kousei/data/2015_3.pdf

穏やかな夜に身を任せるな。

いまの職場に入ってから、東日本大震災の映像を見る機会がすこし増えている。

当たり前だけれど、映像の「キツさ」には独特のものがある。阪神大震災の映像はテレビ局によるものがほとんどで、ある種の「落ち着き」がある。プロのカメラマンが肩にカメラをどっしり載せて、あるいはヘリ上から、被写体と一定の距離を保って撮影していることが感じられる。東日本大震災の映像はそうではない。その多くが住民のスマートフォンによる映像だから、ブレるし悲鳴も入るし、撮っている途中で逃げ始めるし、なにより録画している当人にとっての故郷やなじみのひとびとが「被写体」であるので、映像の視界の切り取り方自体になんともいえない痛切さがある。プロの映像が持っている適切な距離感などというものがない。なので、キツい。

 

キツいので、そう繰り返したくさん観ているわけではない。見慣れてしまうこと自体への畏れがある。ただ、意識して折に触れて観ている動画がひとつだけある。

非常に有名な映像のひとつだが、巡視船「まつしま」が相馬市沖合で舳先を立てて津波を越えている様子を映したもの。

最近この映像を観たとき、この船が沖合で津波を越えたこの時点では、まだほとんどのひとが生きていたのだな、と気づいた。当たり前すぎることだけれど。

あの津波で亡くなった方は、この瞬間はまだ生きている。あるひとは避難の準備を始めている。あるひとは油断している。あるひとは他のひとを助けようと必死になっている。あるひとは身動きできないでいる。あるひとは逃げている最中である。ひとりひとりが、とにかく何らかの存在において存在している。まだ生きている。そしてこの十数分後に到達する。

そのひとつずつ、ひとりずつを想像することができるかといったら、できない。また、想像力はときに甘い感傷に転じる。死者への畏敬を失う。だから想像力にもある種の節度が求められる。しかしまた、さいごに残される根本的な道具は想像力である。この映像は、想像力を使う「基準点」をわたしにねじこむ*1。この時点ではまだ生きている。そこから先に起きたことは絶対に取り消すことができない。だれも神様ではないから。取り消せないけれども、(あるいは取り消せないから?)想像する。

 

想像に前後して、映画『インターステラー』で、マイケル・ケインおじいちゃんが引用していた詩を思い出している。この詩についてはいくつかのブログで詳しく紹介されている。

Uncharted Territoryおとなしく夜を迎えるな

映画の名言というか詩の紹介 - かまぼこ日記

ディラン・トマスの詩「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」 : わらびの詩的生活

 元はディラン・トマスという詩人が病床の父に書いた詩だという。映画の字幕では「穏やかな夜に身を任せるな。老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ。怒れ。消えゆく光に」と訳されていた。

 

怒る。

 

人間の感情は多面体で、ひとつの出来事にも複数の感情が生まれる。災害に対しては、痛みや悲しみが強調される傾向があるかもしれない。無感情の時間や、底抜けの笑いといったことがあってもよい。恐怖や不安もある。要はバランスである。その中で、「怒り」は案外忘れられがちなのではないかとおもう。

わたしは怒ることにしている。津波の映像を観たら、自分の怒りを取り逃がさないようにしようとおもう。痛みや悲しみも大切だけれど、きちんとした怒りをもつ。怒らないと、感情がだんだん平坦になってゆく。すると仕事がナァナァになる。そして怒りは、想像が感傷に転ずるのを防いでくれる。

 

ただ、何に向けて怒るのかをある程度はっきりさせておくことは大事だろうなとおもっている。

地震津波そのものに怒るのだろうか。あるいは、その背後に神様のようなものを想定して、それに対して怒るのだろうか。そうした怒りは、自分の感情がなにか実体的なエネルギーに転じて津波そのものを破砕するという錯覚に転じやすい。それは人間には不可能なことだ。

社会一般や、責任あるひとびとに対して怒るのだろうか。だれか特定の個人や組織の襟首をつかまえて怒鳴りつけるような振る舞いは、それはそれで間違っているだろう。また、本当に責任を痛感しているひとは、おそらく自分で自分に最大の怒りを向けているだろう。 

そうではなくて、怒りは、災害で人間の命が奪われることそのものに向けるべきだとおもう。ひとが死ぬ。それは不正義である。いかなるひとであれ、恐怖に曝されながら死ぬようなことがあってはならない。だから怒る。

 

大学院で研究をしていたとき、「眼を開けて祈ること」をなんとなく自分の心の真ん中においていた。いまは防災をミッションとした機関で禄を食んでいる。だから「眼を開けて…」を引き出しのひとつ下の段に入れて、「穏やかな夜に身を任せるな」を自分の新しい指針にしている。ちょっと精神論になってしまったけれど、自分なりのマニフェストのつもりで書いておきます。

*1:ほんとうは、津波の前日、前週、前年、そしてずっと前にまで街やひとのひとつずつひとりずつにじっくり遡るのが真の意味での基準点になるはずだけれど、そうなると個別の物語や歴史に分化してゆくので、また別の話となる。