しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

関東大震災に教育界はどう反応したか(平野・大部2017)

 東日本大震災の後、やはり防災教育は大切だということで、ちゃんと学校で防災を教えましょうという方針が国で固められた。(文科省内のページ:学校安全<刊行物>:文部科学省に答申や参考書がまとめられている)

 防災教育は東日本大震災(2011年)のあと初めて発想されたのではなく、阪神大震災(1995年)後から研究や事例の模索が始まっており、基本的なアイデア・理論・事例は2011年以前におおむね揃っていた。

 じゃあ阪神大震災より前はどうだったのかというと、ざっくり言って、何も無かった。授業中にサイレンが鳴って校庭に出るというお決まりの「避難訓練」だけだった。(防災教育は自然災害のメカニズムについて正確な科学知識を身に着け、子どもが自分自身で判断できる力をつけるのが目標であるから、避難訓練だけでは防災教育にはならない。)

 阪神大震災以前に防災教育が存在しなかったのは、これもざっくり言って、大きな災害がほとんどなかったためである。伊勢湾台風(1959年)があるのだけれど、その後に防災教育の重要性を確認するような世論は生まれなかったらしい。その理由はいずれ調べておきたい。

 しかし実は戦後すぐ、教育改革のなかで防災教育をきちんとやりましょうという方針が一度は立てられていた(城下・河田2007:https://www.jsnds.org/ssk/ssk_26_2_163.pdf)。ところがすぐにうやむやになってしまい、結局、阪神大震災まで「防災教育」は日本に存在しなかった。

 

 以上はやや長い前置きである。東日本→阪神淡路→終戦直後と遡ると、関東大震災後はどうだったのかということが気になる。この問いに関して、とても面白い論文があった。ので紹介したい。

 

●CiNii 論文 -  大正期教育雑誌に見る関束大震災後の教育主張と実践

 

関東大震災後の、教育家・学校教員の理論的・実践的教育言説をとりまとめて検討したもの。詳細は上記リンクからPDFを読んでいただくとして、以下で自分なりに要点をまとめておく。

第一に、教育者の言説にも天譴論が色濃く現れたということ。天譴論とは、自然災害を人間社会の退廃や政治の腐敗に対する神様からの罰だとする解釈のこと。天譴論の広がりを批判する教育者もいたが、「訓育的意図のもと、それを教育効果を持つ”教師の言葉”に利用しようとした例が存在した」(3頁)。

第二に、「防災教育の視点」はほとんど生まれなかったこと。わずかな例外として佐藤保太郎による避難の参考になるような具体的記述が紹介されている。また、木下竹次というひとが、「子供の自主性と自律性」を言っているのがおもしろいとわたしはおもった。孫引きする。「現時の教育者は多く知識を与へ教師の判断を児童生徒に承認させて居るが之では平時でも非常時でも不都合である。如何にしても児童生徒が自ら判断し自ら実行する様にせねばなるまい」。

第三に、「震災を契機とした修身教育論」は盛んだったということ。学校から御真影を命がけで救出したエピソードや教員と青年が互いに励まし合って一夜をのりこえたエピソードなど、いわゆる哀話美談の類が好まれ(これは教育界だけでなく当時のメディアが全体的にそうだった:成田龍一さんの論文が詳しい)、震災体験記が「生きた修身教材」(5頁)として用いられることになった。

第四に、こうした修身教育の方向性が、「国民精神作興に関する詔書」に合流してゆく。「詔書」は上述の天譴論を背景としたうえで、国家の復興を国民の「忠孝勇儀ノ美」に求める。それを修身の授業で先生が子どもたちに教えてゆく、という流れになっている。

 

ここからは論文の主張ではなくわたしの考え。単純な結論として、防災教育は関東大震災後に生まれなかった。そういうことをしよう、と言うひとすら少数の例外を除いてほとんどいなかった。その代わりに、国家や道徳といったもっと大きなものに同一化しようという流れに教育界もはまってしまった。防災教育の根本は、ひとの命を守ることにある。根本の根本をつきつめれば、子どもを含めて人間の命を守るということ、それ以上でもそれ以下でもない。一方で、崇敬すべき指導者のもと一丸となって国民みんなでがんばろう、復興しようという動きが生まれるのも無理のないことだけれど、歴史的事実としてはそのまま戦争に向かっていった。生命は鴻毛より軽いということになった。

 この岐路はどこにあったのか。関東大震災があったからといって、それで「命を守る防災」の方向に転換したのではなかった。戦争が終わって、命は大事だということになったけれど、災害のことはなんとなく忘れられて経済発展に目が向いた。そして阪神大震災東日本大震災が起きて、どこかへ向かっているのは確かなのだけれど、どこへ向かっているのだろう、とおもう。100年後、150年後のひとに、「阪神大震災東日本大震災があったのに、なぜ当時のひとはああいう方向に向かってしまったんだろう」と思われてしまってはいかんなとおもうのだけれど、さて、どうしたものか。