しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

穏やかな夜に身を任せるな。

いまの職場に入ってから、東日本大震災の映像を見る機会がすこし増えている。

当たり前だけれど、映像の「キツさ」には独特のものがある。阪神大震災の映像はテレビ局によるものがほとんどで、ある種の「落ち着き」がある。プロのカメラマンが肩にカメラをどっしり載せて、あるいはヘリ上から、被写体と一定の距離を保って撮影していることが感じられる。東日本大震災の映像はそうではない。その多くが住民のスマートフォンによる映像だから、ブレるし悲鳴も入るし、撮っている途中で逃げ始めるし、なにより録画している当人にとっての故郷やなじみのひとびとが「被写体」であるので、映像の視界の切り取り方自体になんともいえない痛切さがある。プロの映像が持っている適切な距離感などというものがない。なので、キツい。

 

キツいので、そう繰り返したくさん観ているわけではない。見慣れてしまうこと自体への畏れがある。ただ、意識して折に触れて観ている動画がひとつだけある。

非常に有名な映像のひとつだが、巡視船「まつしま」が相馬市沖合で舳先を立てて津波を越えている様子を映したもの。

最近この映像を観たとき、この船が沖合で津波を越えたこの時点では、まだほとんどのひとが生きていたのだな、と気づいた。当たり前すぎることだけれど。

あの津波で亡くなった方は、この瞬間はまだ生きている。あるひとは避難の準備を始めている。あるひとは油断している。あるひとは他のひとを助けようと必死になっている。あるひとは身動きできないでいる。あるひとは逃げている最中である。ひとりひとりが、とにかく何らかの存在において存在している。まだ生きている。そしてこの十数分後に到達する。

そのひとつずつ、ひとりずつを想像することができるかといったら、できない。また、想像力はときに甘い感傷に転じる。死者への畏敬を失う。だから想像力にもある種の節度が求められる。しかしまた、さいごに残される根本的な道具は想像力である。この映像は、想像力を使う「基準点」をわたしにねじこむ*1。この時点ではまだ生きている。そこから先に起きたことは絶対に取り消すことができない。だれも神様ではないから。取り消せないけれども、(あるいは取り消せないから?)想像する。

 

想像に前後して、映画『インターステラー』で、マイケル・ケインおじいちゃんが引用していた詩を思い出している。この詩についてはいくつかのブログで詳しく紹介されている。

Uncharted Territoryおとなしく夜を迎えるな

映画の名言というか詩の紹介 - かまぼこ日記

ディラン・トマスの詩「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」 : わらびの詩的生活

 元はディラン・トマスという詩人が病床の父に書いた詩だという。映画の字幕では「穏やかな夜に身を任せるな。老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ。怒れ。消えゆく光に」と訳されていた。

 

怒る。

 

人間の感情は多面体で、ひとつの出来事にも複数の感情が生まれる。災害に対しては、痛みや悲しみが強調される傾向があるかもしれない。無感情の時間や、底抜けの笑いといったことがあってもよい。恐怖や不安もある。要はバランスである。その中で、「怒り」は案外忘れられがちなのではないかとおもう。

わたしは怒ることにしている。津波の映像を観たら、自分の怒りを取り逃がさないようにしようとおもう。痛みや悲しみも大切だけれど、きちんとした怒りをもつ。怒らないと、感情がだんだん平坦になってゆく。すると仕事がナァナァになる。そして怒りは、想像が感傷に転ずるのを防いでくれる。

 

ただ、何に向けて怒るのかをある程度はっきりさせておくことは大事だろうなとおもっている。

地震津波そのものに怒るのだろうか。あるいは、その背後に神様のようなものを想定して、それに対して怒るのだろうか。そうした怒りは、自分の感情がなにか実体的なエネルギーに転じて津波そのものを破砕するという錯覚に転じやすい。それは人間には不可能なことだ。

社会一般や、責任あるひとびとに対して怒るのだろうか。だれか特定の個人や組織の襟首をつかまえて怒鳴りつけるような振る舞いは、それはそれで間違っているだろう。また、本当に責任を痛感しているひとは、おそらく自分で自分に最大の怒りを向けているだろう。 

そうではなくて、怒りは、災害で人間の命が奪われることそのものに向けるべきだとおもう。ひとが死ぬ。それは不正義である。いかなるひとであれ、恐怖に曝されながら死ぬようなことがあってはならない。だから怒る。

 

大学院で研究をしていたとき、「眼を開けて祈ること」をなんとなく自分の心の真ん中においていた。いまは防災をミッションとした機関で禄を食んでいる。だから「眼を開けて…」を引き出しのひとつ下の段に入れて、「穏やかな夜に身を任せるな」を自分の新しい指針にしている。ちょっと精神論になってしまったけれど、自分なりのマニフェストのつもりで書いておきます。

*1:ほんとうは、津波の前日、前週、前年、そしてずっと前にまで街やひとのひとつずつひとりずつにじっくり遡るのが真の意味での基準点になるはずだけれど、そうなると個別の物語や歴史に分化してゆくので、また別の話となる。