しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

公共的芸術活動のための事前チェックシート

展示内容および企画の意図が、

日本国民の心を踏みにじっていない ☑はい □いいえ

正しい歴史観に基づいている ☑はい □いいえ

捏造された過去の歴史を蒸し返さず、未来志向である ☑はい □いいえ

政権与党の政策や立場を「理解」している ☑はい □いいえ

国民の道徳心向上に貢献している ☑はい □いいえ

国民の愛国心向上に貢献している ☑はい □いいえ

天皇・皇族への崇敬を示している ☑はい □いいえ

国旗・国歌への崇敬を示している ☑はい □いいえ

伝統的な家族観や性別役割を守るのに役立っている ☑はい □いいえ

女性が3人以上子供を産むことを奨励している ☑はい □いいえ

 

また、

匿名の脅迫等があった場合、国民の安全安心のため展示をすみやかに中止します ☑はい □いいえ

上記の諸項目が満たされているか否かの判断を行政府に一任します ☑はい □いいえ

 

上記チェック事項の全てが「はい」であるので、芸術活動を公共空間において行うことの許可を謹んで申請します。また、私的空間での活動および内心においても上記のチェック事項の全てが「はい」であることを誓約します。

 

氏名             

 

自治体・省庁職員の方、および芸術家の方へ。業務効率化のため上記書式をご自由にお使いください。著作権フリーとします。

特別な皮

世の中には膨大なる種類の皮がある。

皮は剥いたり、めくれたり、はがれたり、余ったり、傷ついたりする。

他の言語ではわからないけれど、日本語の「かわ」はすべての「かわ」を意味していて、その範囲は広い。桃の皮も大根の皮もスイカの皮も皮である。動物の皮は漢字の上では「革」が使われることもあるが、まぁ皮は皮である。犬やウサギをなでているとき、そこに「皮」があると意識することはあまりないけれど、焼き鳥屋にいけば鶏皮がある。泳いでいる魚は魚であって、肉と皮を区別しないけれど、河豚やら鱧やらを食べるとなると皮がある。そして人間の皮がある。自分に皮があることを知るのは、皮が皮として現れているときである。現れるときは自分の皮でも他人の皮でも徹頭徹尾皮であって、皮でないものが見方によっては皮であるという半端な現れ方ではない。

そうしたひとつずつの皮をカタログに並べても、いまひとつ共通点や普遍性や本質といったものがあるわけではない。スイカの皮と河豚の皮の共通点を見出すことは難しい。綿密な還元を繰り返せば皮の本質といったものが現れるには違いないのだが、そうした分析を進めている間にもこの体は皮に包まれている。包まれていることを意識しないとき、皮は現れていないが皮膚が剥ぎ取られているのでもない。包まれているという感覚を捨てて、皮を皮として対象化すると皮が現れる。そうしない限り、皮はない。あるのだけれど。

 

このように皮は不可思議なる現象であり、具体的な「皮」は野菜や魚や人間存在の数だけあるけれど、そのなかで歯茎にへばりつく皮はトマトの皮だけである。不思議にもほどがある。

絶句

昼間、このエントリを拝読して言葉を失った。

自分自身が授業料減免制度を利用してきたし、後輩たちもおそらく利用しているからだ。

じぶんは大阪大学で院生をしていた5年間、前期課程2年間と後期課程1年目は半額免除、後期課程の2-3年目は全額免除していただいていた。 とくにD2で全額免除になったのはとても嬉しくて助かった。今年も半額免除だろうと思って判定一覧表を見ていたら自分の番号が無くて焦り、念の為全額免除の表を見たらそちらに載っていた。

リーディング大学院の履修生に採択されていたので、毎月20万円の研究奨励金をいただいていた。半額免除のときは、その20万円から1万7千円ほどを毎月授業料のために取り分けていた。全額免除になるとその分を丸々研究に使えることになった。本を買うなり学会への旅費に使うなり、とにかくありがたかった。

税金から支払われていた20万円から、ふたたび国立大学に授業料を支払うのは奇妙な気分だったけれど、とにかく半額免除も全額免除も貴重このうえなかった。20万円のうち10万円はどうしても生活費になる。そこから社会保険と確定申告分を除いた額が、書籍代や学会費や旅費、フィールドワーク等に使えるお金となる。1万7千円が浮くか否かはかなり大きい。研究奨励金や給付型奨学金の無い院生にとってはさらに言うまでもない。

 

真っ先に研究室の後輩たちの顔が浮かんだ。あるいは、いったん就職したけれど大学院に戻りたいと言っていた学部卒の子たちや、こいつは院進したらオモロイやろなとおもった学部生の存在を思い出した。自分だけ、沈没船から救命ボートに一足先に乗ったような気分だ。

 

理由が全く解せない。

大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。

まず18歳人口比で考えるのが間違っている。大学院進学は社会人教育・リカレント教育・生涯教育の視点で考えるべきだ。新卒就活生養成コースとしてのみ大学院を捉えるのは制度設計としておかしい。

「5.5%に留まっており」という表現もよくわからない。「5.5%にも達しており、多すぎるので抑制するため」という趣旨ならば、賛否はともかく筋は通るのだが。

「短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要がある」に至っては、最悪の理由付けだとおもう。これは授業料減免を、国家から研究者の卵への「施し」「サービス」と捉えていなければ出てこない理由付けだ。

短大・専門学校卒業者の利得と、院卒者の利得を比較するから話がおかしくなる。前者は若いころから稼いでがんばっているのに、後者は自分で稼がず、奨学金もらって好きなことしてる、みたいな。そりゃ短大卒業生の立場から見れば、院生はそのように映るかもしれない。しかしその公平感・不公平感の「バランス」を国家の制度で取るのは最悪だ。社会全体の長期間の利得という視点で考えなければならない。大学院生がいなくなれば、研究者がいなくなる。研究者がいなくなって制度や技術の革新が無くなれば、短大・専門学校を卒業してがんばって働いているひとの労働市場も消えてしまう。教育制度の整備や、奨学金・授業料減免制度の設計は、こうした意味での「バランス」に対する投資であるはずだ。若いときから頑張ってる人もいるから的な、お小遣いの公平さ的な「バランス」をとるのは少なくとも文科省の仕事ではない。文科省はむしろ、これは不公平ではなく全員に利得が返ってくる投資なのだと説得する立場のはずだ。(そもそも短大・専門学校で教える教員がいなくなるではないか…)

 

お金が無いから止めます、とだけ言えばいいのに。むちゃくちゃだ。

絶句とタイトルに付けつつ、長く書いてしまった。怒りしかない。

伊勢湾台風記録映画を観なおしてみる

 

現代の視点から見ていると、いろいろな発見があっておもしろい。

いくつか挙げてみる。

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服もけっこうラフ

名古屋市災害対策本部の記者会見の様子。ロウソクが使われている。

 

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遺体安置所の様子。安置所というか、露天にそのまま並べられている。生存者が家族や知り合いを探している。ムシロや毛布がかぶせられただけの遺体、顔に布が掛けられただけの遺体も映る。幼児用のサイズの棺も多い。まだ気温は高い時期。身元確認がきちんとできたのか、気になる。

 

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小包で名古屋市に送られてくる個人からの救援物資。映像には「心温まる 贈り物の数々」というナレーションが重ねられている。3枚めはおそらく物資の仕分けの様子。市職員か地元のボランティアか、女性たちが衣服らしきものを整理していることがうかがえる。この状況は阪神淡路大震災でもほぼ同様に繰り返された。現在では、個人からの支援「物資」は、物流を圧迫する・仕分けが大変・被災地の必要と合わないといった理由で推奨されない。

 

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庄内川の堤防決壊箇所の締切工事。自衛隊・消防・名古屋市職員に加えて「勤労奉仕の学生」も「打って一丸と」「昼夜分かたず」作業を続けたと語られる。勤労奉仕の学生という表現に、戦争の記憶との近さを感じる。驚くのはほぼ手作業であるということ。ブルドーザーやショベルカーやトラックといった重機が使われていない(一応、別のシーンではダンプカーが1台映っている)。映像でも「人海作戦」という言葉が使われている。文革期の中国のダム工事の映像を見ているかのようだ。

(なお、20分ごろのヘドロ撤去作業にはブルドーザーが登場する。)

 

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陸自のヘリによる消毒剤散布。効果あったんだろうか…

 

 

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仮設住宅の建設・引っ越し。プレハブではなく木造。「20日足らずの日数で完成、11月12日には喜びの入居が始まりました」とナレーション。台風襲来が9月26日であるから、被災46日後くらい。現代の感覚からしても、あまり遅くはないかんじ。

 

 

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住居修理用の物資の配布。ナレーションでは「実費」と言っていたので、無料配布ではなく安価での販売なのかもしれない。ベニヤ板や畳やトタン板を物色する住民の様子が映る。物資そのものを配布するのは、災害救助法の「現物支給」の方針によるものなのだろう。現在の支援制度では、被災家屋の修繕は現金による支給となる。

 

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区役所の様子。「ここでも学生たちが甲斐甲斐しい奉仕を続けています」と言う。ナレーションと映像の様子から推測すると、罹災証明書の発行手続きも学生ボランティアが一部担当していたようにも見える。窓口には正規の市職員も詰めているのだろうけれども、現代ではちょっとできない感覚。

防空と防災

古い国会議事録をネットで漁っていたら面白い表現が出てきたのでメモしておく。

 

○林田正治君 只今上程になりました特別都市計畫法案委員會の審議の經過竝に結果に付て御報告申上げます、尚ほ其の詳細は速記録に讓ることに致したいと存じます、本案の委員會は質疑應答を重ねますること六囘、此の間極めて熱心なる質疑が行はれました、今其の主なるものに付て申上げます
 第一は全國に亙り百二十有餘、燒失面積一億六千萬坪に及びまする所の戰災都市の復興は、實に國家百年の大計を樹てることを意味するものであつて、本計畫は先づ國土計畫の線に沿うて樹立されねばならぬ、從來の無計畫的な、單なる横廣がり的な過大人口都市の復興は斷じてやめなければならない、且つ過去の禍ひを轉じて、此の際防空防災に十分意を用ひ、幸福なる文化的な都會を作らねばならぬが、政府の之に對する意見は如何と云ふ所の質問に對しましては、勿論政府は此の質問の趣旨に副うて、國家百年の大計を目途と致して、本年一月政府が定めました所の戰災地復興計畫基本方針に則ると共に、内務省國土局とも十分に連絡を圖り、防空防災にも十二分に意を用ひて、廣幅員の道路及び緑地帶と云ふやうなものを思ひ切つて設けまして、さうして此の計畫を立て、從來の都市の單なる平面的なる所の都會より、立體的な、而も防空防災の上に於て十分意を用ひ、工場、學校等の地方分散をも織り込んで、文化的な住み心地の良い都會の復興に努めると云ふ答辯がありました(昭和21年7月30日、衆院本会議)

 

林田正治衆院議員が、「特別都市計画法」案の委員会審議の経過報告をする場面。

委員会質疑では、戦災で焼失した全国120余りの都市の復興について、「従来の無計画的な、単なる横広がり的な過大人口都市の復興は断じてやめなければならない」という意見が出された。復興は「防空防災に十分意を用い、幸福なる文化的な都会を作らねばならぬ」と言う。これに対する政府の答弁も「内務省国土局とも十分に連絡を図り、防空防災にも十二分に意を用いて、廣幅員の道路及び緑地帯と云うようなものを思い切って設けまして、さうして此の計画を立て、從來の都市の單なる平面的なる所の都会より、立体的な、しかも防空防災の上に於て十分意を用い、工場、学校等の地方分散をも織り込んで、文化的な住み心地の良い都会の復興に努める」というものだった。

太字で現したように、質問でも答弁でも、「防災」に「防空」すなわち空襲被害の低減が併記されている。昭和21年7月末、戦争が終わってまだ1年経っていない。たとえば共産圏からの爆撃機が再度都市を空襲するという想像力がはたらいていたのかもしれない。

その後の世論というか日本語用法では、「防災」と「防空(国防)」はおおむね分離されてゆくように思われる。ここらへんの語感の微妙な遷移が日本の防災対策にも響いているという仮説は立つだろうか。

三宮の事故のことを思い出す

京都の放火事件の翌日、鳥取に出張に行った。行きの列車が予定より遅れたりして、同僚とわちゃわちゃしながら行った。楽しかった。そうして帰りの「スーパーはくと」の車内で、放火事件のことをすこしだけいろいろ考えていた。そのスタジオの作品はほとんど観たことないし、具体的な知り合いがいるわけではないけれども、わずかな衝撃は受ける。一人が亡くなる火事が一年のうちに30件起きていてもスルーしているのに、30名以上が一度に亡くなると大事件になる。そうはいっても、「せいぜいそんなものにすぎない」と片付けることもできない。ひどいな、悲しいな、とおもう。『SHIROBAKO』が好きで、疲れたときに何度も見返してきたのだけれど、なんとなくもうSHIROBAKOは見れないなと思ってしまう。劇中の「ムサニ」は実在の京アニではないし、関係ないのだけれど。劇中の宮守や太郎や興津さんは架空のキャラだけれど、かれらとは全然違った、けれども同じように自分のしごとをしていた「そのひと」が、とつぜん亡くなった。描いたり消したりできるキャラではなくて、現実の、体重と体温と声をもったひとが。

それにしても、うーん、33名…34名…重態が10名…などと数字を見ていると、なんなのだろう、どうしたことなのだろう、それはいったいどういうことなのだろう、取り消せないかな、と頭がぐるぐるする。

 

そうして「スーパーはくと」が三宮駅のホームにすべりこむとき、そういや春先にこの真下で市バスが暴走して若いひとが2名亡くなったよな、と思い出してびっくりした。忘れていた。今回の事件も来週や再来週には忘れてしまっているだろうか。

思い出すことなど

 「記憶」とは何なのだろうということを、あらためて考えている。

 記憶の心理学や脳科学はさまざまに研究されている。それらは「記憶」を完全には解明していないけれど、ある程度のことははっきりとしてきたし、この方面の研究では今後数十年のうちにさらに大きな進歩があるだろう。

 けれども、そうした解明によって、ひとびとが「記憶」に対して持っている、ある特別な尊重や畏敬の念が消滅するとは思えない。それは記憶が人間にときたま深い驚きを与えるためである。

 

 先日、記憶について考えていて、じぶんが初めてピアノを弾いたときのことを思い出していた。思い出そうとしていた。じきに、少し硬い鍵盤のかんじと、そのときの旋律と、初めてのことに接するふわふわ・わくわくしたような気分が、ほのかに蘇ってきた。

 ところでそれと同時に、その弾いた旋律とは別の曲の音が意識にはっきりと浮かび上がってきた。それは単純な、わかりやすい旋律ではあったけれど、初めてピアノを弾く子どもには全く不可能な曲だった。それはずっと意識のなかで繰り返した。これは何の曲だっただろうと考えていると、幼いころに通っていたマクドナルドのスイミングスクールの遊戯室の、その中央に置かれていた小さな電動メリーゴーラウンドの音楽だと気づいた。

 その瞬間、わたしは回転するメリーゴーラウンドの銀色のポールをずっと握っているとぬるくなってゆくかんじや、離れた壁に設置されていた緑色のボタン(非常停止のボタンもあった)、3つのテーブルに座っている母とK君の母親のすがたを思い出した。といっても正確には、母がそこにいるという感覚であって、そのときの母の服や表情を思い出すのではないけれど、ところが母がテーブルに頬杖を突いてこちらにほほえんでいる様子というか、すくなくともその姿勢ははっきりと思い出すのだった。わたしはメリーゴーラウンドからテーブルの母を確認する。それと同時に、遊戯室の間取り、スイミングスクールの更衣室や体操室の間取りをほぼ正確に描き直すことができた。体操室は緑色のリノリウムの床にテープで白線が引かれていて、おそらくバレーボールのネットをかけるためのポールを入れる金具が床にはめこまれていた。床はかならずしも清潔ではなくて、埃やだれかの髪の毛が落ちているとなんとなくいやなかんじがした。こうしたことひとつずつをおおむね正確に思い出して、――プールから上がって更衣室に戻ると、母がいつもの場所で待ってくれていて、頭にバスタオルをかぶせてごしごしと拭いてくれるのだった。いまこれを書いていて、服を入れておくロッカーのかたち、金属製の棚板の厚みを思い出す。すべてを完全に思い出すことができるのでもなくて、たとえば遊戯室からスイミングスクールのロビーに入ったあと、左手側の壁にどのような窓があったのかということははっきりとは思い出せないし(右手側には水着などを売るコーナーがあった)、遊戯室の奥にどのような遊具があったのかも思い出せない。とはいえ、こうして書いている間にも、スイミングスクールの受付で登校の手続きをすること、名前を言うとぼろぼろの名簿ファイルからお姉さんやお兄さんが自分の名前を探し出して小さなハンコを押してくれたことを思い出せる。

 

 こうした記憶が30年ぶりによみがえってくる。そのことに驚く。メリーゴーラウンドのメロディがよみがえってきたことについて、それを手がかりにしてスイミングスクールのことをいくつか思い出したということについて、驚く。

 こうしたことが生じるメカニズムを心理学や脳科学が解明したとしても、やはり人間はこうした体験によって深い驚きを覚え続けるだろう。そして記憶という仕組みに対して畏怖と愛情の念を持ち、さまざまな形而上学を構想する。それはどれだけ記憶の解明が進んでも止むことはないのかもしれない。

(ところでそのスイミングスクールも震災で全壊してしまった。2Fにプールがあって、その水の重みで倒壊したのだと聞いた。子どもたちが泳いでいる時間帯でなかったことは、よかったとおもう。)