しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

災禍と理性

決断には2種類ある。

考え抜いた末に、事態に適う仕方で行う決断。

考え抜くことに耐えられなくなり、事態から逃走するために行う決断。

 

太平洋戦争の開戦は後者の「決断」だったのだろうとわたしは思っている。漠然とした不安のなかで合理的思考を積み重ねることは独特の心身の負荷を強いる。それに耐えきれなくなったとき、ひとは「決断」する。

こうした決断の心理的帰結は直後に「すっきり」することだ。太平洋戦争の開戦の報を聞いた日本国民の多くがそうした感想を持ったことは諸研究が明らかにしている。この感覚は軍事や外交の意思決定の場面に触れ得ない庶民だけでなく、当の軍部や政府首脳にも通底する感覚だったように思われる。真珠湾奇襲は日中戦争と対米交渉の重苦しさを一挙に「打開」してくれるものだった。現状認識と最善手の解析を停止し、直接行動に切り替えることで精神の平衡を回復するのである。同時に現実が曖昧になる。

 

ここ数日の、堰が切れたかのような「自粛」「中止」「休校」のラッシュは、どうも上記の「決断」に近いような印象を受ける。人間の理性は脆弱である。とりわけ集団現象としては数週間続く負荷には耐えられない。それでも理性が現実を支配していることを確認するために、理性が機能していることを自己確認するために、「決断」をする。決断に頼る。そういう習性があるように思われる。