しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

柔らかい現実と硬い現実

自然災害と戦災を同列に扱うことができるか否か、ということを先週書いた。このときわたしは、復興という観点では同列視できない部分があるという立場をとった。

 

しかし、個々人の体験という観点においては、自然災害と戦災は共通する部分があるとおもっている。個人の生身の知覚や体験や記憶という次元では決して別のものとして切り分けることができない。たとえば阪神・淡路大震災では、避難所で防空壕などの戦災体験を思い出していたという証言がいくつもある。1995年の災害であるから、当時60歳であれば終戦時は10歳だったことになる。

 

共通する部分についてもうすこし掘り下げて考えてみると、自然災害でも戦災でも、極限的な状況では「現実」の位相が切り替わってしまうということがある。

わたしの考えでは、「現実」には2つのモードがある。ひとつは日常生活や長い人生全体での「現実」である。そこには日々の出来事、知覚や感情、良いことや悪いこと、嬉しいことや悲しいこと、慢性の病や疲労、人生の意味の模索といったことが含まれる。日々の生活と人生全体は、独特の厚みと苦味を伴っている。労苦の方が多いけれども、それですぐ潰れるわけではない。そのときどきで対応策を見出してサバイブしてゆく。これはふだん私達が「現実を見なくちゃ」「これが社会の現実なんだよな」「現実は厳しい」などと言うときの〈現実〉である。区別のために、これを〈柔らかい現実〉と名付けておこう。

柔らかいといっても、甘いとか容易とかいったことではない。〈現実〉は容赦なくわたしたちの人生に突き刺さってくる。ただ、この心身に破城槌のように突っ込んでくる諸々の事件に対して、わたしたちはある程度の身構えや「バリア」を張ることができる。現実と自己の間に緩衝部をつくることができる。たいへん疲れる仕事をこなしたあと、じっくり休むといった対応策を講じることができる。とくに、時間を味方に付けることができる。時間の流れを織り込んだ心身の保持システムが与えるアクチュアリティが〈柔らかい現実〉の根幹であるとおもう。

 

これに対して、緩衝部を設けることもゆるされずに、物理的な暴力が身体に直接めりこんでくるような状況がある。これを〈硬い現実〉と名付けてみる。

翔鶴が沈没するとき、傾いた飛行甲板を水兵が滑り落ちてゆき、燃え盛るエレベーターのなかに次々と飲み込まれていったという証言がある(瑞鶴だったかも…)。火の中に落ちてゆく水兵は対応や身構えを取る余裕を与えられない。どうすればよいかとじっくり考えたり、すこし逃げてみたりすることもできない。それを目撃している水兵も同様で、目の前で起きている出来事をじっくり咀嚼し、意味を身体に染み込ませてゆく余裕を持てない。

別の言い方をすると、〈硬い現実〉にひとが飲み込まれると、その身体は平時のさまざまな保持システムの焦点部であることができなくなり、単なる物理的な点・サイズ・位置になってしまう。ひとがモノになる。そのひと自身はそれを受け入れず、抗おうとするけれども、状況がかれの身体をただのモノとして動かしてゆく。知覚や意味や行動や時間や環境といった、心身を取り巻き構成していたさまざまな存在の次元が一挙に突破され、ただ落ち、燃え、潰される。

 

自然災害と戦災に共通する部分は、この〈硬い現実〉にひとが破砕されるということである。

 

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さらに単純に言えば、人間の死が尊厳と準備をもって扱うことができないことが、〈硬い現実〉の特徴となる。もっともっと単純に言えば、お葬式がきちんとできないこと、それなりに穏やかな臨終を用意できないこと、眼前の死者が「ご遺体」というより「死体」として現れてしまうことが、特徴となる。

先日、昨年の西日本豪雨災害の被災地のひとつを訪問したとき、地元の行政職員の方に「土石流であのあたりが崩れて、ご遺体はほとんどこのへんに集まっていた」と案内していただいた。

「普通」の臨終では、遺体の「場所」や「位置」や「形状」は周囲の人間の認識にさほど現れてこない。たいてい、死を迎えつつある生者は病院や自宅のベッドの上にいて、生命機能が途絶した後もしばらくは変わらずベッドの上にいる。急激な、しかしおだやかな変化がひとりの人間において生じ、周囲の人間はそれを見守る。しかし土石流の死者の場合、遺体はそこで「発見」される。発見されることによってそのご遺体がご遺体として現れる。あらかじめ遺体が存在して、それがたまたま今回は発見という仕方で認識されたのではない。発見という志向性とご遺体という在り方が不可分である。そして、その発見に至るまでに、容赦無い外力が身体にぶつかり続けたことが、発見と同時に開示される。


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自然災害も戦災も、それを生きのびることは2つの現実のもとで生きることである。