稲津秀樹「被災地はどこへ消えたのか? 「ポスト震災20年における震災映画の想像力」『新社会学研究』2, 2017, 46-56.
つまり、「ポスト震災○○年」という言葉でもって震災の時空間が方向付けられる限り、私たちの想像力に1995年1月17日に現出した被災地のリアリティから常に遠ざけられていく感覚がもたらされるのは否めない。それは、私たちが「震災○○年」を迎える度に思い出される震災像に繋留されることすら許されず、常にそれ以降(「ポスト」)へと向かう時空間に生きることを強いられる意味においてである。このように、「ポスト震災20年」という公的な問題認識それ自体に、「復興」過程を通じて不可視化された被災地の時空間を想像することの困難を指摘できるだろう。(47頁)
『男は辛いよ』シリーズ最終作、『寅次郎紅の花』(1995年)における、映像作品中の被災地・被災者の描き方。同作は元の脚本が急遽書き換えられ、「寅さん」が被災地・神戸長田を作品冒頭と終盤に訪れることになる。重要なのは映画の終盤、在日コリアンの若者たちが「マダンの踊り」を踊るシーンでしめくくられていること。このシーンは改訂された脚本にもなく、撮影隊と現場との関わりにおいて実現した。このシーンは、一様な「被災者」のすがたを、多様な文化的・民族的背景を持つ人々へ再構成してゆく。「「被災地」に立ち現れた風景をもってして「被災者」の認識を多様化させる記憶へと開かれていく場面」(53頁)である。