「この時ゼーバルト氏が朗読したのがどの作品だったのかは正直言って覚えていない。今「アウステルリッツ」を開いて読み返すと、一瞬ゼーバルト氏の声がメランコリーをともなって耳の中に蘇ってくるが、黙読しているとその声はいつの間にか遠ざかっていき、あの図書館の静寂が訪れる。つまり、声に宿っていたメランコリーが活字にはほとんど感じられない。むしろテキストの中に何重にも演出された距離感がはっきり伝わってきて気分や雰囲気は遠慮する。ドイツ語文法では、人から聞いた話を伝える時に使う動詞の独特の時制がある。口語ではほとんど使われないこの時制が目に入るとすぐに心理的に距離ができる。〔…〕「とアウステルリッツは語った」というフレーズが聞こえてくると、わたしたちは彼の物語を自分のものとしてむさぼることをやめ、一歩下がって過去への敬意を示したくなるのである」(多和田葉子「異言語のメランコリー」、ゼーバルト『アウステルリッツ』286頁)