しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

論文を書く前に、調査に取り掛かる前に「予備分析」をする

これは自分のやり方なのだけれど、新しい研究課題に取り掛かり始めたり、論文の構想を作り始めたり、調査計画を立てたりするとき、問題の「予備分析」をすることにしている。

日本語で「予備」というと「スペアパーツ」みたいなニュアンスが強いけれど、ここでは「本番の前に、あらかじめ」というような意味合いである。準備分析、と言ったほうが近いかもしれない。

なお、自分は人文学畑の雑草であるので、以下に書くことは理工系のひとびとにはそのまま適用できないかもしれない。しかし類似のことはやっているのではないかともおもう。機会があったら知りたい。

 

予備分析は、本番の調査や分析に先立って、問題圏全体をおおざっぱに整理することである。

正式な技法が定められているわけではないが、おおまかには以下のような作業に分割できる。

  • リサーチクエスチョンの前提となる概念の分析
  • 対象となる領域のおおまかな切り分け
  • キーパーソンは誰か
  • どんなキーワードであればCiniiや論文検索サイトで良いかんじに結果が出てくるか
  • どのアーカイブを使うべきか
  • 研究の社会的・学術的・じぶん的意義は何か
  • 今回はどの分析をしない
  • (論文投稿や学会発表に直接むすびつくのであれば)〆切や分量やフォーマットはわかっているか
  • 実は過去にじぶんが溜め込んだ論文データや雑ノートが既にあったりしないか

だいたい以上のようなことを、ざーっとノートに書き出してゆく。

広い意味で言えば「下調べ」に含まれるのだけれど、下調べと言うと関係する情報を具体的にチェックしてゆくという作業に入ってしまうイメージがある。必要ならそうした作業をしても良いのだけれど、予備分析はもうちょっと頭をフリーにする度合いが高い。

また、「先行文献の調査」もここには含めていない。実際には予備分析の段階で少しずつ先行文献を整理してゆくことになるのだけれど、それにやや先立って自分の頭のなかを棚卸しするようなイメージ。先行文献を読まなければ意味のある予備分析はできないのだけれど、先行文献をいきなり読む前に予備分析をしておく必要はやはりある。解釈学的循環に丁寧に入り込みましょう、ということ。予備分析が曖昧であると、先行文献をまとめてゆく方向性が定まらず、関連する文献を全部読んで全部論文に使おうとしてしまう。

 

上記の作業項目のなかでは一番上の「概念の分析」がもっとも大事だとおもっている。この単語はどういった意味合いで使おうとしてるんだっけ、ということを分解してゆく。その際に辞書を使ってもよいし、自分の体験を反省・分析してもよい。この作業は問題圏に対して自分が持っていた前提や思い込みをひとつずつ解体してゆくことでもある。

 

予備分析の役割は本論部分の分析を守ることである。研究を進めてゆくとき、それ以前から自分が考えていたことがやはりだーっと流れ込んでくる。それは悪いことではないのだけれど、以前から積み重ねて考えていたことが本論部分の分析にそのまま流れ込んでしまうと、ある種の混濁や汚染が生じる。自分の経験上、混濁を再分離しながら本論部分を書いてゆくのはとても骨が折れる*1。予備分析をやっておくと、本論部分を書き進めるとき・調査するとき、核心にわりと素直に接近してゆけるという感覚が最近ある。

 

「論文を書くときにはまず先行文献をしっかり調べましょう」という指南は多いけれども、先行文献調査の前に予備分析をするのがよいのではないだろうか。そこらへんのことを書いている指南はあまり見ない気がするので、以上のように書いてみました。

 

*1:こうした骨折りを経た文章を後から読み返すと、それはそれで面白いのだけれど。