しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

妊婦さんのお腹は勝手に触ってよいというアレ

「私は、機会があれば、妊婦さんのおなかに触らせてもらう。

 ゆっくりとてのひらを広げ、奥にいる生命を感じさせてもらう。元気で生まれてきてね。外で待っているからね。世界はそんなに悪いところじゃないよ。怖いことだってあるけど、いい人たちもたくさんいるよ。大変なことも時にはあるけど、人生おもしろいものだよ。今は安心しておなかの中でまどろんでいてね。そんな言葉を心の中で胎内の赤ちゃんにかける。

 同時に、母親である妊婦さんにもメッセージを送る。だいじょうぶだよ、焦って、先々のことを心配したりしなくていいんだよ。ただそのままゆったりしていれば、それが一番赤ちゃんにいいんだよ。(中略)

 ところで、妊婦さんのおなかに触らせてもらうのは、もちろん、本人の許可を得てからだ。

 私が妊娠していた頃、何も聞かずに、おなかに触ってくる知人がいた。何の悪気もないこと、ただおなかの赤ちゃんに触りたいのだということはよくわかったが、ちょっと驚いた。その人の触っているのは、私の身体でもある。動物だけでなく、人間の身体にも縄張りというものはあって、だから近づく距離というのは、親しさによって異なる。ましてや、身体に直接触れるかどうかは、その人との関係性がものをいう。なのに、妊婦になったとたん、自分の身体がないかのように、扱われてしまうことがある。どうも赤ちゃんという存在に目を向けると、お母さんのことが全く見えなくなってしまう人というのがいるようだ。もしくはただ赤ちゃんの付属物、というか、赤ちゃんのための容器としての扱いというか。」(宮地尚子『ははがうまれる』福音館書店、51-52頁)