しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

大きな蜘蛛は大きいのか

 下宿の部屋に大きなクモが現れた。驚いた。

 

 小さなクモはわりと好きだ。指先に載るようなクモが部屋の壁をそろそろと歩いているのを見ると、なぜということもなく嬉しくなる。

 

 けれども、さっき現れたクモは、子どもの手のひらくらい大きかったので、ちょっとぎょっとした。じっと見ようとすると、耳の奥がびりびり震えた。クモは気づかれたことに気づいたのか、脚を静かに折りたたみながら陰に隠れていった。あの滑るような、なめらかな脚の動きはわれわれほ乳類風情には真似できない。なめらかなというか、なまめかしささえ感じる。

 

 ところで、なぜわたしはあのクモを大きいと言うのか。ネコや犬よりずっと小さいのに。そしてまた、わたしの身体よりずっとずっと小さいのに。

 普段みるクモと比較して大きかったから、大きなクモだと言うのだろうか。たしかにそうだ。けれども、わたしは小さなクモをさほど見慣れているわけではない。小さなクモの小ささを心底知っているわけではない。おおざっぱに、小さいとか大きいとか言っているだけだ。まず始めに「大きい!」と感じてしまうにしても、その大きさや小ささといった感覚があまりに大雑把なら、その感覚にどれほどの意味があるだろうか。