しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

江戸時代の「見試し」

「見試し」という方法があることを知った。現代的にいえば、フィードバックを重視した柔軟なエンジニアリング/プロジェクト管理手法、ということになるだろうか。

直接知ったのは、藤垣裕子氏の『専門知と公共性』という書籍から。少し長くなってしまうが、該当箇所を引用する。

 

江戸時代には、たとえば河川の管理に「見試し」という方法があった。河川のまわりの地域住民間でも、かかわりのありかたによって利害が異なる場合がある。たとえば、川のすぐそばのひとにとっては洪水による被害は甚大であるのに、少し離れたひとにとっては、洪水のあとの土地の肥沃化のほうがうまみがある。このような場合、利害の不一致によって方針が決まらない。このとき、「見試し」といって、数年様子を見ながら治水(水門調節、放水路管理、など)を行う方法を取る。農民間で選ばれた地元の名主などを中心に行ってよく話し合って、折り合いがつけられていく。明示の近代化以降、治水事業の拡大、治水の中央集権化、およびその中央集権された所轄官庁における専門主義(「硬い」科学モデル信仰)によって、この伝統は廃れていった。しかし、このような見試しが上の順応管理と酷似していることは注目に値する。地域のローカルノレッジに密着した解決法の一つである。現代では、次々と更新される最新の科学的知見だけに限らず、加えてこのような民主的経過観察による微調整の方法をもっと採用してもいいのではないだろうか。(藤垣裕子『専門知と公共性 科学技術社会論の構築へ向けて』214頁)

 

 「見試し」の反対の例として藤垣が挙げるのが、諫早湾の干拓事業である。水門を締め切った場合の生態系の挙動は科学的にも読みきれない。そこで「順応管理」という方法で、赤潮やアオコの発生を観察して、水門を緩めたり計画を進めたりするべきだった。フィードバックで政策を微調整するのである。しかし一回閉じたら動かさないという硬直的な政策によって、地域の対立をより深めてしまった可能性がある。

 「見試し」で検索すると河川管理に関する文章がいくつか引っかかる。江戸時代の方法を現代の河川管理にも運用しようという考えが世の中にあるらしい。しかし「見試し」は河川管理に限らず、もっといろいろなところで応用されてよい感覚だろうとおもう。

 

専門知と公共性―科学技術社会論の構築へ向けて

専門知と公共性―科学技術社会論の構築へ向けて

  • 作者:藤垣 裕子
  • 発売日: 2003/05/31
  • メディア: 単行本