しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

鏡の無い時代に生きていたら

朝、鏡で自分の顔を見ると、あっそうかこれが自分の顔だよな、という感覚が生まれる。顔を与えられなおすというか。

次いで好悪の印象がある。なんだか下品で不健康な顔つきだなぁと感じるときもあれば、スッキリした表情をしているなと感じるときもある。

自分が感じている顔つきと鏡で見る顔つきがズレていることもある。自分ではそうと思っていなくとも意外と眉間に皺が寄っていたり、笑顔のつもりが硬かったりする。

長く見つめていても意味がないのでヒゲを剃ったり歯を磨いたりする。

 

鏡が無い時代、ひとびとは朝をどう過ごしていたのだろう。ヒゲを剃るとか顔を洗うとかの営みはあっただろう。けれどもそれは鏡無しで完了した。自分の肌をなぞるのは自分の指だけだった。各家庭、各個人が鏡を持つようになったのは、人類の長い歴史のなかで、ほんの最近の数百年のことである。鏡を得て初めて、自分が実感している表情や感情と、自分の「実際の」外見とのズレを人類は知るようになった。

それ以前は、ただ自分の実感、表情の感じだけがあった。だから眉間の皺はひたすら深くなっただろう。表情や顔つきが制御されることも無かっただろう。それはきわめて高貴な在り方というべきではないか。