しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

靴に靴紐を通す

インタビュー調査の相手に手渡すための菓子折りを買いに出ようとした。出ようとした玄関で、右の靴紐が足首にもっとも近い穴からふつっと切れた。左手に20センチほどの切れ端が現れた。靴に残った靴紐の切れ端を適当に結びつけて、そのまま外出した。菓子折りを買う前に靴紐を買いにいくことになった。

車に乗ると、昨日、郵便局の駐車場の天井から垂れ落ちたらしい何かの滴の跡がフロントガラスに残っている。ガラスを拭くシートをついでに100均で買うことにする。しかし靴紐はどうだろう。100均で買うと、またいつ靴紐が切れるかもしれないとぼんやり不安を感じ続けるかもしれないと思った。実際に切れるかどうかは知らない。そこでショッピングモールの靴屋で求めることにした。奥さんから、のど飴とカットねぎも買ってきてとLINEが来た。マツキヨの割引QRコード画像が合わせて送られてきたが、レジで出すのを忘れた(これを書きながら気付いた)。

帰宅して玄関で靴紐を靴に通す。切れなかった左の靴も、同じように劣化しているだろうから取り替えた。何度か紐の通し方を間違えながら靴に通していると、座り込んでいるわたしの背にこどもが片方の肩を押し付けるようにして座った。玄関のベビーカーに入れている砂遊びセットの袋から、シャボン玉の入れ物を出してごそごそしている。わたしも靴紐をごそごそしている。背中に、こどもの肩や背が当たったり離れたりする。

いったん靴紐を通し終えて、左右の長さを調節する。「ハル、シャボン玉液こぼしてへん?」と聞くと、「こぼしたのじぶんでふいた」と答えが返ってきた。自分で拭くということがあるだろうか? 何で拭いたのか? シャボン玉液ならそう簡単に拭き取れるものではないはずだ。いったいどうやったのかと思って振り返ると、特に床は濡れていないようだった。「そうかー拭いたんかー」と答えつつ、そもそもこぼしていないのか、だとしたら「自分で拭いた」というのは嘘なのだろうかとも思ったが、まぁどっちでもよいかと思った。それより、靴紐が切れたのが平日の朝でなくてよかったと考えた。