しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

R. J. リフトンから見たエリー・ヴィーゼル

 エリー・ヴィーゼルが死んだ。わたしが修論で扱い、いまも折にふれて思考のベースにしているリフトンが、エリー・ヴィーゼルについて自伝で少し触れている。その箇所をざっと訳してみた。

 

 わたしの心のなかで、かれは全てのホロコースト研究と結びついている。わたしが見た夢がそのことを明らかにしてくれた。わたしがエリと会ったのは1960年代後半のことだ。そのころ、かれはアッパー・ウェスト・サイドで一人暮らしをしていた。当時、かれが自身のアウシュヴィッツ体験を描いた傑作である『夜』を、わたしはDeath in Life(邦題『ヒロシマを生き抜く』)の中の、サバイバーの心理学を扱った章で引用した。エリはこの『夜』で自身の収容所体験を記録している。かれは当時15歳だった。かれは自分の父をなんとか生き延びさせようと、絶望的な努力をしていた。かれは自分のことを、これでもかというぐらいに責め立てていた。というのも、父親が死んだとき、かれは「自分の衰弱していた良心がついに一休みしてしまう」という経験をしたからだった。すなわち、「これで自由になった」というかんじに近いものを彼は経験してしまったのである。かれは、収容所から解放されたあと、鏡で自分のすがたを見るたびにどのように感じたかを説明してくれた。「死体が自分を見返している。その死体の眼に映っているものは、けっして自分の脳裏から離れない」と。エリとわたしは、かれの「死の罪責感」のかたちについて語り合った。そしてまた、サバイバーが苦しむ、独特の逆説的な本質についても。

 1969年、かれはあるアウシュヴィッツ生存者のグループに参加していた。そのグループは、当時その真相が暴露されたミライ村虐殺事件について討論することを目的とした、痛々しいグループだった。わたしはこの討論に招待され、この事件がかれらにとってどれほど苦痛をもたらすものであるかを知ってショックを受けた。かれらは、ミライ村事件を厳しく批判したいと思っていた。かれら自身がナチスから受けた苦痛にきわめて近いものを感じ取っていたからだ。しかしまた、米兵たちの行為をあまりに厳しく批判することを躊躇してもいた。このアメリカこそ、かれらに新しい命をもたらした国だからだ。

 エリとわたしは良い友人となり、じぶんたちの相違をお互いに理解しあうことができた。かれは「Bob〔リフトンの奥さんのこと?〕をもっとユダヤ人っぽくする」計画の開始について話した。一方でわたしは、自分と妻は10日間ほど旅行をして、メキシコにリチャード・フォルク夫妻を尋ねるつもりだが、それに同行するつもりはないかと聞いてみた。旅行中、ラム酒をしこたま飲めるよ、と。かれは微笑んだが、しかしこの申し出を真剣に考え込み、本当に残念だけれど罪責感にとても苛まれるからやめておくよと答えた。(略)

 

 1976年の12月に、わたしはアウシュヴィッツ研究の計画についてかれに話した。かれはそのころすでにホロコーストに関してよく知られた立場にあったけれど、この問題についての代表的論客というわけではまだなかった。かれはわたしの研究におおいに惹きつけられ、わたしたちは本書が完成するまでずっと議論を続けた。「きみがしていることは、わたしがしてきたことよりずっと難しい――きみは加害者の精神状況にまで踏み込もうとしているのだからね」とかれは言った。かれは、わたしを他のアウシュヴィッツ生存者に会わせることや、わたしに読んでほしいと思った本を紹介することや、各種の財団の援助をわたしが獲得できるようにすることに全力を注いでくれた。「これ以上に重要なプロジェクトは無いんだ」とかれは宣言した。それから次のように付け加えたが、これはわたしを全く面食らわせた。「これは偉大な旅になるだろう」とかれは言ったのだ。それが意味していたのは、奇怪だけれど必要とされている、智慧を開くような領域にわたしが慣れてゆくべきだ、ということだったのだとおもう。かれはあるとき、いっしょにアウシュヴィッツに行こうとさえ言った。わたしがこの旅に参加し、かれが自分自身の経験をなんらかの意味で取り戻そうとすることができるはずだ、とでもいうかのように(かれはこの死の収容所を再訪していなかった)。けれど、かれは警告した。「一歩たりとも踏み間違えてはいけないよ」と。

 わたしは動揺した。だれもできないような、完璧な仕事をせよと求められているかのように感じたからだ。このことはまた、のちに私たちの間に生まれたある種の緊張関係を先触れするものでもあったかもしれない。この緊張関係は、わたしがアウシュヴィッツ生存者の複雑な心理について書いたことに関連がある。あるいはまた、わたしたちの政治的見解の相違や、イスラエル国家に対するわたしの批判的な立場も影響していたかもしれない。そしてエリが著名人となってしまって、他人との交流がさらに難しくなってしまった。けれど、エリは取り憑かれたサバイバーであることを決してやめなかった。そして、わたしは自分のこの研究に立ち戻るたび、この困難な問題についてのかれとの対話から、そしてまた、かれの惜しみない、想像力あふれる援助から、わたしがどれほどたくさんのものを受け取ったのか、思い起こさざるをえないのである。

(R. J. Rifton, Witness to an Extreme Century, pp.246-7)