しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

Tochka Nisshi

在宅勤務を開始したときに立てた4月末までの目標を確認してみる。

 

  • 学会発表の原稿2本 ⇒◎2本とも投稿できた!
  • 内部の研究会発表(遠隔でやります)の原稿1本 ⇒◎発表できた!
  • 研究計画提出1本 ⇒◎提出できた!
  • 体重を2キロ落とす ⇒○いったん3キロ落ちて、また2キロ戻した。
  • 内部の研究プロジェクトの文献レビューに手を付ける ⇒スタートはしていないが、段取りの段取りのようなものを立てた
  • ヨナス『責任という原理』を読む ⇒△ちょっと手を付けただけ

 

けっこうできてる。

在宅勤務は平常時以上に自分の目標をこまめに建てるのが大事だなーとここ数週間おもった。短期中期の目標が無いと、やはりしんどい。

 

というわけで、5月の目標

  • 査読論文を1本投稿する
  • 次の査読論文のメモをしっかり作る(このためには『責任という原理』も読むことになる)
  • 平日はお酒飲まない(あ、GW…)
  • 分担してる科研用の文献リストをつくる
  • 内部の研究プロジェクトの文献レビューに手を付ける
  • 自宅のデスク周り環境をちょっと改善する
  • 読んだ本はブログにメモする

こんなかんじ。

 

***

 

きょう読み終わった本。

おもしろかった。この本は原子力専門家と原子力施設立地住民のあいだでのやりとりを事例としているのだけれど、自治体・防災専門家と水害で避難呼びかけられる地域住民 という組み合わせでも成立するなとおもった。

 

 

マッドメン

マッドメン

 

 よく『もののけ姫』のインスピレーション元のひとつとして言及されるけれど、読んでいて強く感じたのは、もののけ姫よりも『風の谷のナウシカ』との近さだった。

運命として閉じられた世界の輪から抜け出そうとする「もがき」や、その先にかすかに見える希望の地へと地底的な彼岸への裂かれるような憧憬。

 

***

 

茄子、小松菜、舞茸、豚肉、バター、ニンニク、塩、胡椒、ポン酢。

Tochka Nisshi

23時45分ぎりぎりぐらいまで粘って、論文を投稿した。

共著者とLINEでああでもないこうでもないと話しながら原稿をいじっているのが楽しかった。

 

「自警団」が少しずつ市中に増えているのかもしれないとおもう。

脳がそのように起動してしまうひとびとがいる。それは人間の習性のひとつなのだろう。マツノギョウレツケムシが同じところをぐるぐる回ってしまうことをファーブル先生が実験している。なんとも哀しいけれど、動物とはそういうものだ。人間もそういうものだ。

関東大震災の際の朝鮮人虐殺も、この「自警団精神」が直接の原因だったのだろうとおもう。ひどく、腑に落ちる。100年前の虐殺事件のことが、いまのパンデミックのことで納得される。悼む。100年前に殺されたあなた、あなたはどれだけ怖くて痛かったことであろうか。あなたよ。なにかそういう回路がひらかれる。

 

ひどく哀しい。最新の設備のある病院にかつぎこまれて、それでも肺が動かず息ができず死んでいったひとがおおぜいいる。病院に入ることができず、見捨てられたように命を失ったひとがおおぜいいる。どれだけ苦しかっただろうとおもう。一日に500人、1000人と。あなたよ、あなたがたよ、あなたよ。人間であった。のに。

なにかそう呼びかけてしまう回路がひらかれる。不思議なことだ。 

 

なぜこのような不正が許されているのだろうか。人間が死ぬという事実が、なぜ設定されているのだろうか。わたしがそれに引き渡されるということは、なんら疑っていないのに。

Tochka Nisshi

投稿論文を2本仕上げにかかる。

ここ最近、5,6年前からの宿題への答えをちょっとだけ提出できたということが続いて、なんとも充実感がある。

 

店舗名を公表されていた大阪のパチンコ店が一店、休業した。これは真に恐ろしいことだ。緊急時の私権の制限というギリギリの禁じ手を回避して、その代わりに政治リーダーが大衆を間接的に扇動して政治的目標を達成した。政治リーダーは、店舗名を公表することで大衆が店舗を非難することを理解していた。その効果を狙って公表に踏み切り、目標を達成した。

緊急時の私権制限は法に則られる限り、民主主義の試練ではあるが破壊ではない。しかし法に拠らずに、大衆の扇動によって目標を達成することは、民主主義と法治主義の真の破壊だ。

避難所開設での感染を防ぐための事前準備チェックリスト

人と防災未来センター主任研究員の高原耕平です。

このたびセンターの臨時レポートとして、「避難所開設での感染を防ぐための事前準備チェックリスト(簡易版、手引き版)」が公表されました。

 

感染拡大下で従来型の避難所を立ち上げるとクラスター化する危険があります。

それを防ぐために自治体が今からしておくべき準備業務をひとつずつ案内したものです。運営担当職員への事前説明や、長期化に伴う避難所内レイアウト変更や、感染疑い避難者への誘導案など、避難所開設の事前準備から閉鎖までの業務全体をカバーしていることが特徴です。

 

基本的に自治体の実務職員の視点に立った資料となります。関係各位にご参照いただければ幸いです。

Tochka Nisshi

一日中WordとSlackをぽちゃかりぽちゃかりと打っていた。


同僚とLINEで相談しながら字を入力していると、めっちゃキーボードの音聞こえてくるねと笑われた。


パンデミックは自然災害か。そうではないと答えるひとが多いだろう。ではウイルスは「自然」に入ると思うか。こう聞かれると、半分くらいのひとは「入る」と答えるのではなかろうか。


市民と根本的な信頼関係を築くことを怠ってきた政治リーダーは危機管理に失敗する。危機においてはことばの上滑りが糊塗できなくなるから。


わたしも肺炎で死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。


感染者数の増加が日々報道されているが、増加はおそらく感染拡大の実態を反映したものというより、PCR検査能力の拡充を反映しているのだろう。




Tochka Nisshi

この72時間で外出1回15分の新記録を達成して、ちょっとテンションが高まっている。

 

そして外出すると何をどう感じたらいいのかわからず、とりあえず歩いているという事実に新鮮さを感じる。

 

この2週間ほど、街をゆきかう人々の「構成」が変わっているように感じている。労働の形態(場所と時間)が強制的にリセットされ、おそらくそれぞれのひとが以前は出歩かない時間帯に歩いているのだろう。シャッフルされている、とでもいうのか。

他人からすればわたしも「普段見かけないようなやつ」が出歩いていると見えるのだろう。

 

そうしてスーパーに行って帰ったわずか15分。「行こう。ここもじき、腐海に沈む…」「肺にすこし入った…!」とか一人ナウシカごっこをした。

 

研究会の発表スライドを仕上げた。

 

***

 

この状況で洪水・地震、そのほか災害が起きたらどうなるか。

確実なこととして覚悟せねばならないのは、災害関連死として亡くなるひとの数が非常に増えてしまうということだ。

もともと日本の避難所環境は良好と言えない。関連死の発生数が抑えられているのは、基本的に物量作戦で無理やりQOLを保っているからだ。ここでの物量とは物と人である。「物」は後方の備蓄と物流によって、「人」は他自治体や県の応援職員・ボランティア・NPO・医療関係者等の動員によって成り立たせている。「普通に過ごしているかぎりそうそう死なない仮宿舎」に避難者を収容するのではなく、「何もしなければ高リスク者がバタバタ亡くなってしまう劣悪な体育館的環境」に物と人を大量に注ぎ込むことで、なんとか死なせずに保っている状態。

新型コロナウイルスの感染予防および災害以前からのボディーブローのような物流蚕食のために、この物量作戦がかなり困難になるとかんがえている。物は来ない、人も来ない。とりわけ他自治体からの応援職員の数が減る可能性がある(それは誰にも責められないことだ)。結果、避難所の運営機能がガタガタになり、その分、関連死が増える。

また、避難所の体調不良者は地域内・周縁の病院に移送することになるが、その病院もコロナウイルス対応で能力払底しているため、やはり関連死が増える。

 

そのうえで、コロナウイルスそのものの感染拡大と発症が来る。運営機能が落ちた避難所で衛生環境が悪化し、避難者・避難所運営者・関係者でコロナウイルスが感染拡大し、発症者のケアができず、避難所運営機能がさらに落ち、他に移送もできず……という「避難所崩壊」が生じる可能性がある。

 

個人や自治体として抗戦することはできる。個人や自治体や地域レベルでは、できることはたくさんある。けれども、社会的には根本的な解決策が無い。戦略的には負け戦がほぼ確定している。あきらめてはならないけれど、動かせない部分がある。