しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

Tochka Nisshi

この72時間で外出1回15分の新記録を達成して、ちょっとテンションが高まっている。

 

そして外出すると何をどう感じたらいいのかわからず、とりあえず歩いているという事実に新鮮さを感じる。

 

この2週間ほど、街をゆきかう人々の「構成」が変わっているように感じている。労働の形態(場所と時間)が強制的にリセットされ、おそらくそれぞれのひとが以前は出歩かない時間帯に歩いているのだろう。シャッフルされている、とでもいうのか。

他人からすればわたしも「普段見かけないようなやつ」が出歩いていると見えるのだろう。

 

そうしてスーパーに行って帰ったわずか15分。「行こう。ここもじき、腐海に沈む…」「肺にすこし入った…!」とか一人ナウシカごっこをした。

 

研究会の発表スライドを仕上げた。

 

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この状況で洪水・地震、そのほか災害が起きたらどうなるか。

確実なこととして覚悟せねばならないのは、災害関連死として亡くなるひとの数が非常に増えてしまうということだ。

もともと日本の避難所環境は良好と言えない。関連死の発生数が抑えられているのは、基本的に物量作戦で無理やりQOLを保っているからだ。ここでの物量とは物と人である。「物」は後方の備蓄と物流によって、「人」は他自治体や県の応援職員・ボランティア・NPO・医療関係者等の動員によって成り立たせている。「普通に過ごしているかぎりそうそう死なない仮宿舎」に避難者を収容するのではなく、「何もしなければ高リスク者がバタバタ亡くなってしまう劣悪な体育館的環境」に物と人を大量に注ぎ込むことで、なんとか死なせずに保っている状態。

新型コロナウイルスの感染予防および災害以前からのボディーブローのような物流蚕食のために、この物量作戦がかなり困難になるとかんがえている。物は来ない、人も来ない。とりわけ他自治体からの応援職員の数が減る可能性がある(それは誰にも責められないことだ)。結果、避難所の運営機能がガタガタになり、その分、関連死が増える。

また、避難所の体調不良者は地域内・周縁の病院に移送することになるが、その病院もコロナウイルス対応で能力払底しているため、やはり関連死が増える。

 

そのうえで、コロナウイルスそのものの感染拡大と発症が来る。運営機能が落ちた避難所で衛生環境が悪化し、避難者・避難所運営者・関係者でコロナウイルスが感染拡大し、発症者のケアができず、避難所運営機能がさらに落ち、他に移送もできず……という「避難所崩壊」が生じる可能性がある。

 

個人や自治体として抗戦することはできる。個人や自治体や地域レベルでは、できることはたくさんある。けれども、社会的には根本的な解決策が無い。戦略的には負け戦がほぼ確定している。あきらめてはならないけれど、動かせない部分がある。