しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

400年生きる深海ザメ

 ある種のサメは深海で400年生きる、というニュース記事を読んで衝撃をうけている。全ての個体がそのように長生きなのではなく、捕獲されたある幸運な個体が400歳だった、ということなのだろう。

 

 400年前、日本では徳川家康が江戸に幕府を開き、ヨーロッパではデカルトが暖炉の前で蜜蝋を見つめていた。地上のあちこちで人間が戦争をしたり科学を発展させたりしているあいだ、深海でサメがひっそり生き続けていた。いまもそのように生き続けているヤツがいるのかもしれない。

 

 400年間深海で過ごすとは、どういうことだろう。

 まず、サメが人間のような年代記法でものごとを覚えているとは思えない。つまり、「2001年にNYで同時多発テロが起きた」とか、「祖父が死んだのは確か自分が9歳のとき」といった時間と歴史の把握の仕方である。

 そもそも、「年」という感覚があるのかどうか。おそらく多くの地上生物は3年前と4年前を区別していない(人間も普段はそこまで意識しない)。ただし多くの場所では四季があり、繁殖や冬眠や毛の抜け替わりなどのリズムがある。他方、深海の四季は地上ほど激しく遷移しないだろう。わずかな水温の変化や、匂いや水圧の変化があるのかもしれない。深海ザメは1年ずつ、そうしたかすかなささやきのようなリズムを積み重ねてゆく。「年」という感覚があるような無いような、不思議な、ぼんやりした過去の積層。

 深海だから、「日」の感覚もほとんど無い。昼間と夜の区別がほぼ無い。どよめきの無い白夜をのたりのたり、ずうっと泳いでいる。じぶんの時間を明確に刻んでくれるものが無く、思い起こせばずうっと切れ目の無い時間が自分の孵化の瞬間まで続いている。とはいえ「思い起こす」とはかなり擬人化した表現で、実際のところ深海ザメが「やんちゃな学生時代」や「貧乏だったあのころ」や「世界と視野がぐんと広がった時期」などという想起をすることはないだろう。人間が「ものごころ付いたころ」という奇妙な表現で指し示しているあの意識の始原と、その後の年代記的な自分史をセットにして双方を把握しているのとは反対に、深海ザメはずっと「ものごころ」付いていないまま、それでいて400年間を生きている。

 人間は老いると一年が速くなると俗に言う。5才児にとっての1年は、それまでの人生の1/5に匹敵するのだから、当然波乱にとんでいて、あまりに長い。50歳にとっての1年は、これまで過ごしてきた人生の1/50の時間を繰り返すだけだから、すぐに過ぎてしまう。これをそのまま深海ザメに移し替えると、かれにとっての新たな一年とは、これまでの人生(鮫生)の1/400にすぎない。すごく速く過ぎるだろう。しかし、人間が「もう1年経ったの?速いなあ」と言うとき、体感時間とカレンダー(および過去の自分の体感)とを比較して、そのズレに驚いているわけであって、深海ザメは自分の体感時間を比較する他の対象を持たない。ただ過ぎてゆくが、それは速くも遅くもない。