しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

人生のセーブポイント

 さいきん周囲のひとを見ていて、すこし気づいたこと。人間は人生のいくつかの節目で、自分のこれまでの生き方や、どこか引っかかっていたことを整理して、可能なら肯定することが必要なのだなとおもう。

 いわば人生のセーブポイントのようなタイミング。これまでの旅路をふりかえって、それなりに都合の良いストーリーにしたてて、それなりに整形したファイルを上書き保存する。そこから先うまくいかないことがあってもゲームのように「リセット」することはできないけれど、セーブポイントを設定しておけば、困ったときにいったんそこに戻って考えと生き方をクリアにしなおすことができる。

 上書きセーブに必要なのは、たぶん、謙虚さと強引さ。自身の過去をひとりで吟味するとき、ひとは謙虚になれる。けれどそれだけではなく、「あれはあれでよかったんだ、しょうがなかったんだ」という強引な納得で乗り切るということもある。なぜかこの2つが共存する。どちらか片方では「保たない」のだろう。自分の過去を強引に肯定することは身勝手なようだけれど、そのように踏み切れず、自分の過去に登場した他人を攻撃することでセーブを行なうひともいる。それはそれでひとつの方法だけれど、ややしんどくもある。

 

 セーブのタイミングがいつ訪れるかは、なかなか自分の自由にはならない。就職や退職、結婚や離婚といったイベントがそのタイミングとなることもある。これらはある程度じぶんのコントロール下にある。しかし肉親の突然の死別や失業や失恋といった事件が自身の過去の暫定決算を強いるようなときもある。これは準備がしっかりできないので、かなり辛い作業になることが多い。じっくり時間を確保できればよいのだけれど、セーブを疲れて中断してしまうと、ファイルがあやふやになって、立ち往生する。