しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「エレベーターで目上の人より先に下りてはいけない」とかいう変なマナーがこの5年で蔓延したのでは

自分は基本的に大学の中の世界しか知らない(その世界もよくわかってない)のだけれど、ここ数年、学内でエレベーターに複数人で乗り合わせると、だれが一番先に降りるのかをめぐって奇妙な心理戦が毎回毎階はじまるので非常に面倒だ。ドアが開き、「あ、ドゾ」「あ、ドゾ」が連鎖する。開いてるのに。

 

大学は基本的に「目上、目下」がわかりやすい社会である。

えらい先生、若手の穏やかな先生、おとなしい学生、目立たない職員、取引先企業の社員、そして水呑院生などから構成される。そしてこのひとびとはおしなべて腰が低く謙虚で空気読みマスターである。

 

このひとびとがエレベーターに乗り合わせると、どんなことが生じるか。だれが最後に降りるかをめぐる、熾烈なる譲り合いである。学生同士であればまだしも、学生と教員はやはり見た目でおおむね判断がつく。学生は教員を先に降ろそうとする。教員はそれに抵抗する。

もっとも緊張するのは降りる階のボタン押しフェイズだ。ここでバラけるなら戦いは起こらない。しかし、一人がある階のボタンを押したあと、他のひとが押さなかったとき、つまり点灯するボタンが乗降客より少なかったとき、独特の緊張が走る。始まってしまった。この瞬間、直方体の閉鎖空間は極限の心理バトルのリングになるのだ。

 

ここでエレベーター内での位置取りが重要な意味を帯びてくる。ドアへの空間的距離にはっきりした違いがある場合、心理戦の緊張感はやや目減りすると言える。たとえばエライ先生っぽいひとがドアの近くにいて、学生がエレベーターの奥にいる場合、これを逆転させる必要は無い。

したがって、「ドアにきわめて近い位置」および「エレベーターの一番奥」は譲り合いバトルにおいて極めて優位な戦略的位置である。「エレベーターの操作盤のすぐ近く」も価値が高い。「開」ボタンを押し続けるという役割に没頭することで、譲り合いバトルをきわめて優位に進めることができる。しかし、「開」を押し続ける必要もあまり無いのに、無理にボタンにかじりついて最後に降りようとすることも雅さに欠ける振る舞いとみなされる。

 

敵より優位な位置を敵よりすばやく占位することは、軍事戦略論において機動と呼ばれる。初期の位置取りは機動戦なのだ。戦いの8割はここで決まると言っていい。

しかし重要な点は、この位置取りが強引であったり、不自然であったりしてはならない、ということである。自分の心理的負荷を減らすために他者を押しのけてエレベーターの奥に入り込む者がいれば、それは謙虚さとは正反対の態度であろう。したがってドア近くへの機動も、エレベーター奥への機動も、エレベーターに乗り込むときの自然な流れに沿ったのでやむにやまれずその位置に入り込んでしまった、という外面を保持しつつ遂行されなければならないのである。このため、エレベーター機動戦は軍事行動のそれと異なり、自然さ、優雅さを伴なわなければならない。ある種の舞踊に近づいてゆくのだ。

 

戦いの8割は初期の位置取りで決まると書いた。数少ない逆転のチャンスがある。途中階で他の客が降りたなら、エレベーター空間内の位置取りが撹拌される。このような好機があれば、手前あるいは奥へとすっと自然に入り込みなおすことができるのである。

 

エレベーターに乗り込んでから降りるまでの数十秒感の間に、こうした恐怖の心理戦が巻き起こっている。先に下りてしまうと負けである戦い。うっかり最初に降りた者はこの謙虚心理戦からの脱落者である。以後、まともな社会生活は保障されないであろう。

 

ここでようやく本題に入るのだけれど、この「目上のひとを先に降ろさなければならない」「エレベーターの降りる順番を気にする」という奇妙な風習は、5年前には無かったんじゃないか、という印象がわたしにはある。

正確に5年前かどうかはともかく、以前はここまで「あ、ドゾ」「お先にドゾ」みたいなことはやっていなかったはずだ。

 

ここからは完全な憶測なのだけれど、もしかしたら、アホなマナー講師が就活セミナーで「エレベーターでは目上の方に先に降りていただくようにしましょう。若い学生・就活生・社員が、目上の役員や年配社員より先に降りるのはマナー違反です」みたいなことを言い出したのではないか。そのうえ「実際に大学内でも気をつけてみましょう。先生たちより先に降りていませんか?」みたいなことを言い出したのではないか。

 

なぜこのような憶測をするのかというと、個人的観察の範囲のことであるけれど、この「先に降りちゃだめだ」みたいな雰囲気は就活世代の学生が率先して醸し出し始めたという印象があるからだ。

本当に「目上」である教員たちは基本的に謙虚で頭が良いので、わざわざ自分たちを敬わせるような、なおかつ学生たちに負担を強いるような風習を作り出す必要が無い。

 

以上のようなわけで、もし「エレベーターで先に降りちゃだめ」的マナーを学生に教えてるひとがいたとしたら(本当にいるかどうかは知らないけれど…)、マジで辞めてほしい。5年前の、エレベーターに勝手に乗って勝手に降りていた世界にわたしは戻りたいのだ。

そしてわたしはどっちみち謙虚さにも空気読みにも頭脳にも欠ける人間なので、わたしが先に降りても降りなくても、あまり非難しないでください。

 

追記

エントリを書いたあと、嫌な予感がして「エレベーター マナー」で検索してみた。

ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!

マジでしょうもねえええええええええええええ!!!!!!!!!!!

どうでもええやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!