しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

だっこリアル

さいきん神戸市はちょっと正気ですか?というくらいハーバーランドらへんで花火をぼかぼか上げていて、今週はずっとメリケンパークで6時半から15分くらい打ち上げるらしいです。それで先日、奥さんと子供の3人でメリケンパーク近くまで歩いてって、わりと近くから花火を見せた。

打ち上げ花火なんで、弾がひゅーっと風を切る音とか、光の広がりから半拍遅れてドンって音が聞こえるのがなんかリアルやなーって見てた。こどもは後半飽きてきたんだけども、なんかいろいろしゃべったり感嘆の声を上げたりしておった。遠くから光だけ見るのとはまた違って、特に音がリアルなかんじが良くて、連れてきてよかったなぁと思ってスマホで写真しゃこしゃこ撮ってた。

そんで、なにが「リアル」なんかなぁとぼんやり考えてたのですが、戦争映画っぽいなぁ、こういう「音」がするよなぁと気づいた。戦争映画っていうか戦争ってたぶんこういう音もするんやろなぁ、と。弾が風を切る音、半拍遅れる「ドン!」って音とか。地球の別の場所で2箇所で同時にリアルというか本物の戦争やってて、爆弾落としたり打ち上げたり機関砲撃ったり、そういうことをしているのに花火を楽しんでる自分は何なんだろう……とわざわざ意識高いっぽく考えるのも難しくて、まぁ花火も楽しんでこどもも嬉しそうで良かったなという感想と、本物の戦争してるよなというこれもぼんやりした意識が混じり合うことも区分されることもなく漂ってて、戦争してるよなぁ、戦争…という感想にしかならなかった。

そのこどもが昨日、下痢になったんで病院に連れていって、待合室にいるときはあまり考えなかったのだけれど帰宅してから(仕事はほぼできてない)病院に爆弾が落ちて500人死んだとかいうニュースを思い出した。どうもニュースの信憑性が怪しいようだという続報が入り始めたのは今朝方のことで、そのときは病院になぁ、ぼくらも病院行ってたけどなぁ……と、これまたリアルでも妄想でもない感想にしかならなかった。私とこどもが両方巻き込まれてもキルカウント「2」にしかならず、あと250組必要である。

薬局に寄るのを忘れたので、こどもが昼寝から醒めたら商店街を歩いて薬局に行った。半分ほどはこどもが歩いて、半分は抱っこして移動した。さいきん、抱っこ中もこどもの腰が座って両手両足でこちらの体を掴んでくれるので抱っこしやすい。

いま空襲警報鳴ったら、ハマスの浸透兵が銃を乱射してきたら、ロシア軍の機甲部隊が乗り込んできたら、この抱っこの姿勢のままだーっと逃げるんやろなぁとおもう。テレビのニュースに映る避難民もだいたいそういう抱っこをしている。だーっと抱っこしながら逃げるとき、なんかリアルやなぁってぼんやり思うのかもしれない。思わないかもしれない。いまも何にしろぼんやり思ってるだけなんで。津波とか大規模火災とかでも自分はそんなふうに逃げるんかな。そのあとコメダに寄ってアイスコーヒーと小倉食パンを食べた。こどもは食パンを半分みしゃみしゃ食べた。

いやいやの主体

1歳半が近づき、こどもの「いやいや」が増えてきた。

増えてきたというより、キレが増してきたというほうが正確だろうか。首の振り方に俊敏さと力強さがこもっている。首をぎゅぎゅんと振り、握ったものを渡すまいと両手を左右に振り、軟体動物と化して床にへばりつく。こちらの両手でこどもの両脇を抱えているのに持ち上げられない。重心の移動や体軸の回転といったボディコントロールに感心する。普通に「だっこ」されるときは相当に抱き上げやすいようにコントロールしてくれていたのだとも気づく。感心している場合ではないのだが。

「いやいや」が目立ってきたのは、こども自身の身体能力や認知能力の発達と関係があるのだろう。いろいろなものに手が届くようになり、登れるようになり、気づくようになる。それだけ危険なものへのアクセスが増える。すると親の介入が増える。こどもにとっては、せっかくできるようになったことが増えたのに、それ以上に禁止されることが増える。その反動としての「いやいや」。

しかしこどもの様子を見ていると、何か特定の意図やモノを守りたくて「いやいや」することはむしろ珍しいようでもある。むしろ「いやいや」が先にある。「自分」の意志や意図や目的があり、その表現や帰結や手段として「いやいや」をするのではない。「いやいや」が先で、言ってしまえばいやいやをする「自分」もいない。

先日、「いやいや」をした直後にこどもがふっと不思議そうな表情を見せた。あまり激しい「いやいや」ではなく、わたしが勧めたスプーンにふるふるっと首を振って口に入れることを拒んだだけである。ただその直後、わずかに宙を眺めて静止していた。それは「いやいや」をした自分の存在に内側から気づいたというような顔に見えた。「いやいや」はこどもから私への意思表示だが、そのすぐ後、どこに向けたら良いのか容易に把捉できないなにかにこどもは向かい合わされていた。

「いやいや」は周囲を拒絶する。拒絶して世界から切り離されたとき、そこに残っている何か。大人はそれを「自分」や「主体」と名付けて飼い慣らしているつもりになっている。けれどこどもはそうではない。初めてそれに出会っている。それはまさに「いやいや」を為したところのものである。しかしそのそれは「いやいや」の前にはいなかった。「いやいや」を通じて、その主体としか呼びようがないものが存在することが自分に示された。示されたものはまさにその自分自身で、指差すことができない。いつも興味を向いたものを指さして「これ」「これこれ?」「これー」と言っていたこどもが、そのときだけは主体のやわらかさの分だけ沈黙していた。

いやいやが達成される直前まで、いやいやの主体は存在せず、いやいやそれ自体がこども自身だった。だがいやいやが達成されると、いやいやは突然こどもに主体をひきわたす。いやいやをしていたのはきみ自身だったのだよ、とこどもは告げられる。そして「いやいや」自身はあたかも最初からこどもの道具であったかのように身を引いている。だがこどもはどこを探しても「いやいや」それ自体がどこから与えられたのか突き止めることができない。その代わりに「いやいや」を握りしめたじぶんに出会わされる。不敵な自信と、戸惑いと、世界から切り離されたさびしさといった感情がすぐにこどもに追いついて穏やかにまもる。

そのような場面に居合わせていた。自分ができることは特になかった。夜、お風呂にいれたら湯船から出るまいとイヤイヤして、浴室から出されたときは顔をおもいっきりくしゃくしゃにして泣いていた。そして穏やかに寝た。

 

グレーゾーンの身体――遠くて近い保育所のこと

4月初日から保育所通園(1歳児クラス)が始まった。当初は「慣らし保育」ということで、一日に数時間ずつ、だんだん伸びてGW明けごろからフルに登園という流れ。

そうして、おおむね5ヶ月が経った。この間に気づいたことを書いておくことにする。

 

保育所に通う前までは、「日中はこどもは保育所=両親はそれぞれ仕事などでフル活動」と単純に捉えていた。しかし違った。単純すぎた。

たしかに、こどもが保育所にいる間はわたしと奥さんは仕事に打ち込める。だがこの命題が成立するのは「こどもが保育所に登園できる」という前提をクリアしているときのみである。

こどもが登園する。これは偉大な事業である。この事業が成立するためには、こどもが健康で、両親の送り迎えの都合がつく、という条件が必須である。この条件がなかなか揃わない。よく知られているように、保育所に通うとこどもは病気をもらってくる。登園すると登園できなくなるという不条理。免疫をつけてゆくとはそもそもそういうことだと頭ではわかっているが、二週間ごとに発熱と回復をくりかえすのはストレスではある。

問題は、こどもが熱を出したりして登園できなくなることそれ自体ではない。本当のしんどさは、「こども=保育所、親=仕事」という切り分けが実際には非常にグレーゾーンになってしまうということだ。

月曜日から金曜日まで、わたしと奥さんはそれぞれ仕事の予定が入っている、としよう。お互いのスケジュールを共有して、送り迎えの分担も決まっている。この予定帳のうえでは、見た目のうえでは、「こども=保育所、親=仕事」という切り分けがすっきりできている。送り迎えの時刻に挟まれているので、独身時代のようにフル活動はできないけれども、保育所に預けている間はぎちぎちとがんばれる、というように。

しかし現実は、そう白黒はっきりと進まない。すべてのスケジュールが「実行できるかもしれないし、こどもの発熱で潰れるかもしれない」グレーゾーンのもとにある。今朝の体温は36.8℃だったぜOK、でも午後には38.℃まで上がったので引き取ってと保育所から電話がかかってくる!

保育所に通い始めるまで、わたしはこの「グレーゾーン事態」の存在を全くといって良いほど理解できていなかった。おそらく同様のことを書いた文章はネット上に大量にあるのだろう。わたしはそれをいくつも読んだはずだけれど、けっきょく理解していなかったのだろう。このグレーゾーンの感覚はなかなか頭で捉えられない。むしろ身体がだんだんと慣れてゆくもののようだ。これまで生きてきた身体そのものが白黒つけることに特化してきたが、突然に曖昧な身体に引き戻されている。

しんどいのは、身体がグレーゾーンに慣れても、予定や仕事自体は従来どおりの白黒の世界で進んでゆくということだ。高原さん水曜日の午後は空いてますよね、予定を入れて良いですか?と聞かれたら、ハッキリOKと答えるほかない。論文などの〆切も当然明確に定まっている。

だから、身体のなかに二つのゾーンが同居するはめになる。グレーゾーンの身体と白黒に切り分けてゆく頭。どちらかに寄せることは不可能である。「白黒」と「グレーゾーン」の中間のゾーンという都合のよいものは存在しない。だから、そのつど使い分けたり、強制されたりする。二つのモードの並行、これがとにかくしんどい。数ヶ月かけてやっとそのことに気づいた。

(もうひとつの問題は、学会や動かせない出張などではけっきょく白黒の維持を断行することになるが、その際は奥さんにワンオペを強いることになる、ということである。わたしがワンオペを引き受けることもあるが、割合でいえばずっと少ない。グレーゾーンのしんどさを押し付けているわけである。)

 

関西弁で『ぐりとぐら』

きのうの朝、こどもが絵本を掴んで渡してきた。保育所に出るまでまだ時間があったのでその『ぐりとぐら』を読むことにした。こどもがわたしのあぐらのなかにすぽんと座り込んだ。

いつもは書いてある文章をそのまま読むのだけれど、そうしなくてもいいかと思って、絵を見ながら即興でこどもに話すことにした。

特殊なことをするのではなく、めくったページに出てくるものをひとつずつこどもと確認するだけである。

「お、ぐりとぐらが出てきたな~」

「ぐりとぐらは2人でおでかけすんねやて」

「あら!たまごがでてきたなぁ~ おっきぃなあ~」

「つるつるすべるんやって。たまごもってかえれへんなぁ~」

「お! ぐりとぐら2人とも一回いえに帰ったで」

「ボールとか、フライパンとか、ふたも持ったなぁ~ バターもあるなぁー」

「たまごわるねんて。ぐーでたたいてみよか。いた! いたいなぁー われへんかってんて~」

「いしでわろかー」

「こっちで火おこしたんやって」

「お、いろんな動物やってきたなぁ~」

「ワニもトカゲもおるなぁ~ これうさぎさんやなぁ」

「お! カステラできたなぁ~ おいしそーやなぁ~」

「みんなたべとーなー ハルもちょっともらおかー はいどうぞ、もぐもぐして」

「あ、くるまつくって帰ったんやなー」

意外と自分がこてこての関西弁を話していることに気づく。

ゼンマイを巻く

風呂場にゼンマイ仕掛けのカメのおもちゃがある。プラスチックのウミガメの腹に大人の親指の先ぐらいのツマミがあり、それをじりり、じりと回してウミガメを水面に置くと、両腕をぐるぐる回転させて水面を進んでゆく。

このツマミのゼンマイを回すのは、1才2ヶ月のこどもには少々硬くて難しい。一方の手でウミガメ本体を掴み、もう一方の親指と人差し指の先で浅いツマミをぎゅっと掴んで確実に回さなければならない。だから入浴中にウミガメのゼンマイを回すのはもっぱら私の仕事だったが、こどもはそれを見ると自分でツマミを回そうとする。こどもにはまだまだ無理だと思っていたが、ひそかに上達して最近自分ひとりで回せるようになってしまった。おどろいた。

ところがゼンマイであるから、ある程度回すと硬く締まってそれ以上は回せなくなる。硬く締まるのはゼンマイに力が十分溜まった証拠だからあとはウミガメを水面に置いて泳がせればよいものを、こどもはそのように理解していない。そのうち、回したいのに回せないと怒って泣き始めてしまう。そうなるとかれの両手からウミガメを取り上げて水面に置いてやらねばならない。

ゼンマイを巻くのはウミガメを泳がせるためである。しかしこどもはそう理解しない。ただゼンマイを巻くのが楽しくて、それ自体が目的になっている。

同じことは部屋の電灯のスイッチにも起きている。壁に電灯のスイッチがあり、親が抱き上げるとこどもは手をうんと伸ばしてスイッチを切り替えようとする。これもウミガメほどではないがやはりコツが要る。スイッチの角ばったところに指先の力を集中させて、パチンと切り替えねばならない。それに応じて部屋の電灯が点いたり消えたりするのだけれど、こどもはずっと照明には興味を示さなかった。スイッチを押す、パチンという音と感触が生じることだけが大切で、抱っこしているとずっとパチンパチンやっている。外からは、照明の明滅でモールス信号を送っている部屋のように見えていたかもしれない。

スイッチと電灯がつながっているということをかれが理解したのはごく最近のことで、スイッチに従って廊下の電灯が点いたときかれの表情がぱっと開き、満足そうに笑った。ちょうど顔が天井の電灯の方を向いていたのだった。このときかれは因果関係という大人の世界の厄介なものに出会った。スイッチを押す自分が「因」で、LED電球が光を発することが「果」である。自分の行為が自分のパチンという指先の実感からさらに拡大して波及している。その波及の知覚と「パチン」の知覚とが一体化しており、その一体化が自分の能力の拡大として感じられるのだろう。

これに比べると、ゼンマイを回すこととウミガメの腕の回転は「一体化」がしづらいのかもしれない。自分がゼンマイを巻く。それを因として、次第にそれが硬くなり回せなくなるという果が生じる。さらにウミガメを水面に置くと腕を勢いよく回転させて走り、ゼンマイが戻る。ゼンマイが硬く締まったことが因となり、水面を泳ぐという果が生じる。それがまた因となってゼンマイがゆるみ、自分がまたゼンマイを回せるという果が生じる。自分の動作、道具の状態推移、道具の挙動のこうした連続を大人はふんわりと一体のものとして理解するが、こどもはまずゼンマイを回すこと自体の楽しさに集中していて、因果は二の次である。

…というような文章を書こうとしていたら、昨晩、こどもはゼンマイを巻ききったらウミガメを水面に置くようになっていた。これまでかれの喜びの中心だったゼンマイを巻く指先の感覚は、ウミガメのおもちゃの遊び方の一部に格下げされてしまった、とも言えるかもしれない。しかしまた、かれの知覚が時間においても器官においても広がったということでもある。この拡大のペースに、わたしの記録が追いつかない。

 

 

眠れ、刻み海苔を抱いて

昼食のあと、お昼寝のためにこどもを抱えてベッドまで運んだ。食卓には「有明産 刻み海苔」のパックがあって、手に持って振ったり叩いたりするとシャカシャカバンバン音がするのでこどもが気に入っていた。こどもは運ばれるときにその「刻み海苔」パックを手に持っていた。無理に取り上げると泣くのでそのまま持たせていた。

ベッドで奥さんと二人がかりで寝かしつけに入ったけれど、眠ければ眠いほどぐずってハイテンションになり寝ない。けたけた笑って、大時化の甲板のうえにいる水兵みたいにぐらんぐらん揺れて泣いている。その手には「刻み海苔」パックが握られており、こどもがベッド上でばたんどたんひっくり返る音と泣き声と笑い声と「刻み海苔」パックのガシャガシャする音と食器洗い機の落ち着いた作動音が混じって、だんだんよくわからなくなってくる。よくわかる育児というものもあまり無いのだけれど。このままガシャガシャしてたら刻み海苔が粉末海苔になるね、と奥さんと話す。

あまりにガシャガシャがうるさいので、こどもがひっくり返ってわたしの足の指をぐにぐに触り始めたタイミングでそっと刻み海苔パックをわたしが掴み、眠たいのでそのままじぶんの胸に抱いて仮眠を試みた。わたしも奥さんもこどもも眠たかった。それでもすんなり眠りに入らず、有明海の波間にまどろみがぷちゃぷちゃ浮いているような気持ち。

こどもが1歳になった

きょうこどもが1歳になった。こども自身は気づいていないようだ。

わたし自身は、誕生日の今日よりも昨日のほうが不思議な感慨があった。

ああ、きょうが0歳最後の日なんだ、とおもった。当たり前すぎるのだけれど、かれは生まれてからずっと0歳だった。でもそれはこの日かぎりのことで、もう0歳が終わってしまう。0歳最後の日も、その前の日も、その1ヶ月前も、1日ずつの大切さは変わらないはずなのだけれど、最後の日だと思うとなんだか惜しい気持ちがずっとあった。

1年間も生きたのか、すごいな、とおもう。仕事帰りにスーパーでチューリップの花束を買って、1年間ありがとうございました、と言って奥さんにわたした。奥さんは洗面所でチューリップの束を花瓶にぎゅっぎゅと詰めた。こどもが眠たさでハイテンションになりつつきゅっきゅぐわぐわと言いながら見上げていた。風呂に入れて寝かせた。