しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

妊婦さんのお腹は勝手に触ってよいというアレ

「私は、機会があれば、妊婦さんのおなかに触らせてもらう。

 ゆっくりとてのひらを広げ、奥にいる生命を感じさせてもらう。元気で生まれてきてね。外で待っているからね。世界はそんなに悪いところじゃないよ。怖いことだってあるけど、いい人たちもたくさんいるよ。大変なことも時にはあるけど、人生おもしろいものだよ。今は安心しておなかの中でまどろんでいてね。そんな言葉を心の中で胎内の赤ちゃんにかける。

 同時に、母親である妊婦さんにもメッセージを送る。だいじょうぶだよ、焦って、先々のことを心配したりしなくていいんだよ。ただそのままゆったりしていれば、それが一番赤ちゃんにいいんだよ。(中略)

 ところで、妊婦さんのおなかに触らせてもらうのは、もちろん、本人の許可を得てからだ。

 私が妊娠していた頃、何も聞かずに、おなかに触ってくる知人がいた。何の悪気もないこと、ただおなかの赤ちゃんに触りたいのだということはよくわかったが、ちょっと驚いた。その人の触っているのは、私の身体でもある。動物だけでなく、人間の身体にも縄張りというものはあって、だから近づく距離というのは、親しさによって異なる。ましてや、身体に直接触れるかどうかは、その人との関係性がものをいう。なのに、妊婦になったとたん、自分の身体がないかのように、扱われてしまうことがある。どうも赤ちゃんという存在に目を向けると、お母さんのことが全く見えなくなってしまう人というのがいるようだ。もしくはただ赤ちゃんの付属物、というか、赤ちゃんのための容器としての扱いというか。」(宮地尚子『ははがうまれる』福音館書店、51-52頁)

 

 

犬の眠り

 犬の眠りは人間に比べて浅いなと思う。本当のところは犬になってみないとわからないけれど、仮にわたしが犬になっても、犬にとっては犬の眠りしか無いので、それが浅いか深いか自分では判断つかないだろう。けっきょくわからないけれど、実家で飼っている犬を外から観察する限りでは、人間よりもずっと浅い眠りであるように見える。目は眠っているけれど、耳は起きている、というような。

 野外で生活する動物にとって睡眠は無防備な状態である。だから人間のようにぐっすり深く眠るわけにはいかないのだろう。すぐ入眠して、すぐ目覚める。なるほど人間のように深くいびきをかいたり、夢を見ているように見えるときもある。しかしそれはあくまで例外で、浅い眠りを断続的に繰り返すのが犬の眠りの基本である。

 

 むしろ長時間の深い眠りを毎晩繰り返す人間のほうが特殊なのだろう。人間が深い眠りを必要とするのは、たぶん覚醒の明晰さの深さと対応している。人間の覚醒時の意識はとても複雑である。現在の世界、過去の記憶と未来への展望、反省の構造を備えている。つまりある独特の深みがある。眠りの深さは、この覚醒時の意識の深さと同等であるのかもしれない。さらに、ぐっすり寝ていても身の安全が保障される住居や社会制度や家族制度がこの生物学的要求に付随する。昼と夜、光と闇、目覚めと眠り、ソトとウチ、緊張と安心、といったペアが人間の生活の在り方を強く規定している。もちろん犬にも昼と夜はあるけれど、その対照性は人間よりもずっと曖昧なのだろう。

 人間の場合、覚醒と睡眠、昼と夜の対比に、生と死の対比が重ね合わされる。死は眠りに近い何かであり、死は夜の国への訪問である。深い眠りからの目覚めは、ときに死からの蘇生に近いものとして感じ取られる。ひどく疲れたときに偶然体験する、単にぐっすりと眠ったというのではない、根本的な深い眠りから突然めざめたときの、なにかが蘇り、再生したというあの感覚。自分ではないが自分が受け持っている、深く暗い領域から突如として意識が更世する。入眠、意識の途絶、覚醒による回復、という一連の流れは、単なる脳の状態の遷移ではなく、人間の生活にとってとても大切な断絶と再生の体験にちがいない。死への恐怖と受容も、その反復をベースにして把握されている。

 犬の眠りにはそれが無い。たぶん、「夢うつつ」の状態と、「夢うつつというわけではない状態」の間を曖昧に行ったり来たりしているのだろう。するともしかしたら、死ぬことについても犬は人間よりずっと違ったかたちで把握しているのかもしれない。つまりじぶんの死を人間よりも幾分おだやかな仕方で理解しているのかもしれない。

長生きするということ

 わたしの祖父の兄はたしか7年前に亡くなったのだけれど、かれは明治45年生まれだった。明治最後の年ということになる。ちょうど100才だった。亡くなる2,3ヶ月前にかれと話していたとき、話の流れのなかで、「あれは震災の前やったか…」と言うのだけれど、その「震災」というのが関東大震災(大正12年)なのか阪神大震災(平成7年)なのか、わからない。関東大震災のとき、かれは11才か12才で、神戸か大阪に住んでいたはずである。祖父(と祖父の兄)の父は岡山県の出身で、大阪府警に勤めたあと、退職して神戸で旅館を始めた。その旅館がわたしの母の実家ということになるのだが(緒花ちゃんですな)、明治時代に警官を退職したあと旅館をゼロから開業するというのもなかなか不思議な人であるとおもえる。それはともかく、阪神大震災のときわたしは11才で、関東大震災のときの祖父の兄と偶然同年代である。1995年の大震災のときかれは80代で、わたしもかれもやはり神戸に住んでいた。11才ごろの祖父の兄は、帝都の大震災の報を新聞などで読んでいたはずで、「あれは震災の前やったか…」と言うとき、それが関東大震災である可能性も無くはない(幸運なことに、かれは東日本大震災原発事故は知らずに世を去った)。

 関東大震災など完全に歴史の教科書の出来事だと思っていたのだけれど、人間たまたま100年も生きてしまうと、時代を隔てて起きていた2つの震災も、ひとりの人生のなかに収まってしまう。人間の持つ時間というものは、そういう不思議さがあるなとおもう。

 (なお、祖父の兄は終戦直前に根こそぎ動員で満州に送られ、そこでソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留されるのだけれど、いま逆算してみるとそれはちょうど今のわたしと同じくらいの年齢のころのはずである。機会があれば、そのことも書く。)

英国ホロコースト記念館の「生存者3Dインタラクティブ会話アーカイブ」

英国ホロコースト記念館 The National Holocaust Centre and Museumで、10人のホロコースト生存者の3D映像を記録し、かれらの死後も、インタラクティブ・システムによって、映像が質問者と応答できるようにする、というプロジェクトが進められている。以下の記事で偶然に知った。

 


 どう考えたものかわからない。けれど直観的に、このプロジェクトは何か間違っているのではないか、とおもった。とくにインタラクティブ・システムである。プロジェクトのウェブサイト(https://www.nationalholocaustcentre.net/interactive)には次のように説明されている。

 

The Forever Project uses advanced digital technologies that enable children and adults not only to hear and see a survivor sharing his or her story, but also allow them to ask that survivor questions and hear them giving answers to hundreds of frequently asked questions.

〔雑訳〕「フォーエバー・プロジェクト」は、先進的なデジタル技術を活用しています。これにより、子供も成人も、生存者のすがたを目で見て耳で聞き、かれらの物語を共有することができます。それだけでなく、〔3D映像の〕生存者に、数百のよくある質問を問い、答えを聞くことができます。 

 

 このシステムは、なにか大切なものがごっそりとこそぎ落とされている気がする。10人の生存者の3D映像は、来る日も来る日も、同じ質問を受け続ける。数百のfrequently asked quesionsのレパートリーがデータベースに収められている。若い来館者の質問はたいていそのどれかに当てはまってしまうだろう。そして映像は答える。

 あるいは、もしデータベースに該当質問が無ければ、映像は「ううむ、それは私には答えられない」とか、「私はそのことはよく知らないんだ、体験していないからね」と答えるのかもしれない。

 これは全くの推測だけれど(つまり実装されたシステムでは別の方法が取られるかもしれないけれど)、おそらく「答えたくないな」「どうしてもそれは言えない」という答えや、沈黙は存在しない。つまりスムーズに回答できる質問と答えのペアと、「DBにありません」という返答の組み合わせしかない。それはまさにたいていのメーカーがウェブサイトに備えているFAQページと同じ発想で、そこに生存者の3D映像という”ガワ”をかぶせているだけなのではないか。

 もうひとつ違和感を持つのは、生存者にとって、同じ質問を繰り返し聞かれること自体がしばしば苦痛である、ということが、このインタラクティブFAQシステムからはすっぽりと抜け落ちているのではないか、ということである。ホロコースト生存者で後に自殺したイタリアの化学者/作家プリーモ・レーヴィは、若い学生からしばしば「なぜ収容所から逃げなかったのか」「なぜ収容所で反乱を起こさなかったのか」「なぜユダヤ人の大量移送が始まる前に、あるいはファシストが政権を取る前に、反抗しなかったのか」と質問を受ける。かれは一時期までそうした質問に粘り強く答えていたが、ある時期から倦んでしまう。『休戦』の学生版に付された詳細で初歩的な脚注を読んでいると、レーヴィの嘆息がほのかに聞こえてくる気がする。あるいは似た事例として、アメリカのベトナム戦争帰還兵はしばしば「戦場で敵を殺したの?」と子供から聞かれる。

 これらの紋切り型質問は生存者に健全な世界と自分との深い断絶を再確認させる。インタラクティブFAQシステムはそうした断絶や絶望とは無縁である。そこに、危うさや不安を覚える。あるいはもしかしたら、録画に同意した10人の生存者は、そうした絶望を既に何度となく体験したうえで、なお3D映像というかたちでそれを永遠に引き受けるつもりなのかもしれない。

79歳でポメラを買う

 アマゾンでポメラの新作を見ていたら、「もうすぐ79歳」という人がレビューを投稿していた。

 

 

 投稿は2016年末。79歳になっても最新のデジタル製品を買うのがスゴイ。それ以上に、物書き専用ツールとして有名なポメラを使いこなすのが素敵だなと思う。何を書いていらっしゃるのだろうか。プロの作家や研究者だろうか、あるいは趣味の書き物だろうか。懐からサッとポメラ最新機種を取り出すおじいさん/おばあさん、かっこよい。 

 今年10月DM200の発売を知り、もうすぐ79歳の年齢を考え、買い換えに悩みましたが、余命の少ないことを考え、買ってしまいました。
 ではDM100とDM200の使いかっての長短を私の主観ですが書いてみます。

  「余命が少ないから買った」というパワーフレーズ。アマゾンのレビューでも初めて見た。私なら、「十分使わないうちに自分が先に死んでしまうから買わない」と考えてしまいそうな気がする。逆だ。余命が少ないから買う。使う。書く。書けるまで書き続ける。素敵。

 

認知症のかけら

 じぶんは認知症になる才能を持っているな、とごく最近きづいた。才能や素質というのは変な言い方だけれど。

 先日、起床してすぐ、朝食の用意を始めた。「フルグラ」と紅茶を作ろうと思った。フルグラ用のお皿を机に置き、台所で電気ケトルに水を入れた。ところがその直後、なにか全く別のことが頭に浮かんで、数秒そのことを考えた(たぶん、その日の予定について思い出していた)。その後、再び意識を台所に戻す。水が入った電気ケトルが目の前にある。ああそうだ、お湯を沸かすのだった。電気ケトルを台座にセットしてスイッチを入れる。机を見ると、なぜかお皿が置かれていて、わたしは数秒固まった。なんでお皿が出ているのだろう。

 この瞬間の、ふしぎな、ぽわんとしたかんじ。白い霧が環境世界の適所性Bewandtnisをほとんど脱臼させてしまい、それまで全てが噛み合っていた知覚の歯車のいくつかがスポンと抜けている。フルグラを作るという目的のもとで、皿を用意する→フルグラの袋を手に持って中身を皿に移し入れる→冷蔵庫から牛乳を出して皿に注ぐ、という一連の行為が成立するはずだったのだけれど、流れそのものがいつのまにか消えてしまっている。これは、求めていたことが上手く進まなくて打開策を探しているのではない。ただお皿だけが机の上にあって、ぽかんとしてしまうのだ。

 その後、わたしはさらに数秒間、自分の記憶と行為の連鎖を巻き戻してみた。するとフルグラを作るのだったという目的がやっと回復され、一連の行為の流れが回復した。

 専門家ではないので当てずっぽうだけれど、この巻き戻しと回復ができなくなったとき、本格的な認知症が始まるのかもしれない。なぜだか、お皿が机の上にある。そのお皿と、自分自身の目的や生活を関連づけることができない。そのままオロオロするという事態である。

 

 ここで興味深いのは、認知症では、この場面で「誰かが置いた」という別次元の認知の連鎖が導入されることが多いらしい、ということである。人間にとって、根本的に、目的や知覚の連鎖から外れた余計なことを挿入してくるのはいつも「他人」だからなのだろう。要するに「ひとのせいにする」。客観的には認知症のわたし自身が目的と流れをとり逃がしたのであり、その結果としてお皿のみが浮き上がってきているにすぎない。しかし認知症のわたしは、目的と流れを取り戻すのではなく、「だれがこんなところに勝手にお皿を置いたんだ、なぜなのだ」という認知システムに移行する。不愉快な感情が同時に生じる。そこで「いやいや、おじいちゃんが自分で置いたんでしょ」などと言われれば、怒りはブレーキなくクライマックスに到達するだろう。あるいはまた、「だれか知らんが空の皿を置くとは、ワシに朝食を食べるなということか」と考えるかもしれない。

 以上は推測にすぎないけれども、「認知症のかけら」のような出来事が、意外と日々の生活に散りばめられているなとおもった。認知症は脳や能力の決定的な変化・劣化というより、通常の日常生活自体が「認知症で無いだけの認知システム」にすぎないのかもしれない。客観的には両者の境界線は明瞭だけれど、体験においては、曖昧な境界上をけっこうふらふら行ったり来たりしているのかもしれない。

ハンセン病療養所入所者への全国アンケートのこと。

 雑誌『WEBRONZA』に、ハンセン病療養所入所者へのアンケートという記事が掲載されていた。

 


 この21年間で、全国のハンセン病療養所施設の入所者は約5500名から約1500名へ減少している。この間、4000名が亡くなったということになる。著者は全国の療養所にハガキでアンケートを依頼する。50名でも返事があればよいと思っていたところ、約500枚もの返信があった。

 

 面白い、という表現は適切ではないと思うのだけれど、そのアンケートの問いかけが独特で、紹介したいなと思った。

ここにまとめるのは、3つの質問のうちの2番目で、「あなたの今の気持ちは?」と尋ねたもの。10項目の下記の気持ちを並べ、〇印をしてもらった。

 ① 差別、許せない
 ② 赦します
 ③ お母さーん
 ④ 故郷に帰りたい
 ⑤ あきらめている
 ⑥ ありがとう(感謝)
 ⑦ さようなら
 ⑧ 呆けたくないな
 ⑨ この病気のおかげ、もあります
 ⑩ 年取って、何が何だか、わからない

 「お母さーん」や「呆けたくないな」や「この病気のおかげ、もあります」やら、フレーズがぶつ切りに並べられていて、およそ一般の研究調査やアンケートのスタイルからはかけ離れている。もし学生が量的調査の実習授業でこんな質問用紙を出してきたら、教員は作り直しを命じるだろう。

 けれど、とても高い割合(入所者のおよそ三分の一)でアンケートの返信があったということは、この項目のフレーズが入所者にとって「しっくり来る」ものだったことを意味しているのかもしれない。たぶん、これらのフレーズは著者のこれまでの経験によるものなのだろう。経験というか、実際に療養所の入所者からしばしば聞いたことばなのだろう。

 

 単なる研究調査として見た場合、上記の項目に答えたアンケート結果は、とても使いにくいと思う。研究者は調査結果を解釈しなくてはならない。しかし「お母さーん」はどのように解釈したらいいのか。そもそも普通は解釈することを前提として質問項目を作るのだから、通常の研究調査なら、最初から「お母さーん」は発想として出てこない。

 一般の研究調査なら、「家族のことを懐かしくおもいますか? はい/いいえ」という質問文になるかもしれない。しかしこれでは、「お母さーん」の代わりには到底ならない。

 

 たぶん、アンケートをとった著者の目的は、精密に統計を取ったり解釈を施したりすることではなく、死を前にした1500名の入所者たちの声を、できるだけそのまま遺すことにあるのだろう。それは狭義の「研究」から少しズレる試みとなる。そういう素直な試みのほうが、ごみゃごみゃした「研究」より、ずっといいなとおもう。