しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

思い出すことなど

 「記憶」とは何なのだろうということを、あらためて考えている。

 記憶の心理学や脳科学はさまざまに研究されている。それらは「記憶」を完全には解明していないけれど、ある程度のことははっきりとしてきたし、この方面の研究では今後数十年のうちにさらに大きな進歩があるだろう。

 けれども、そうした解明によって、ひとびとが「記憶」に対して持っている、ある特別な尊重や畏敬の念が消滅するとは思えない。それは記憶が人間にときたま深い驚きを与えるためである。

 

 先日、記憶について考えていて、じぶんが初めてピアノを弾いたときのことを思い出していた。思い出そうとしていた。じきに、少し硬い鍵盤のかんじと、そのときの旋律と、初めてのことに接するふわふわ・わくわくしたような気分が、ほのかに蘇ってきた。

 ところでそれと同時に、その弾いた旋律とは別の曲の音が意識にはっきりと浮かび上がってきた。それは単純な、わかりやすい旋律ではあったけれど、初めてピアノを弾く子どもには全く不可能な曲だった。それはずっと意識のなかで繰り返した。これは何の曲だっただろうと考えていると、幼いころに通っていたマクドナルドのスイミングスクールの遊戯室の、その中央に置かれていた小さな電動メリーゴーラウンドの音楽だと気づいた。

 その瞬間、わたしは回転するメリーゴーラウンドの銀色のポールをずっと握っているとぬるくなってゆくかんじや、離れた壁に設置されていた緑色のボタン(非常停止のボタンもあった)、3つのテーブルに座っている母とK君の母親のすがたを思い出した。といっても正確には、母がそこにいるという感覚であって、そのときの母の服や表情を思い出すのではないけれど、ところが母がテーブルに頬杖を突いてこちらにほほえんでいる様子というか、すくなくともその姿勢ははっきりと思い出すのだった。わたしはメリーゴーラウンドからテーブルの母を確認する。それと同時に、遊戯室の間取り、スイミングスクールの更衣室や体操室の間取りをほぼ正確に描き直すことができた。体操室は緑色のリノリウムの床にテープで白線が引かれていて、おそらくバレーボールのネットをかけるためのポールを入れる金具が床にはめこまれていた。床はかならずしも清潔ではなくて、埃やだれかの髪の毛が落ちているとなんとなくいやなかんじがした。こうしたことひとつずつをおおむね正確に思い出して、――プールから上がって更衣室に戻ると、母がいつもの場所で待ってくれていて、頭にバスタオルをかぶせてごしごしと拭いてくれるのだった。いまこれを書いていて、服を入れておくロッカーのかたち、金属製の棚板の厚みを思い出す。すべてを完全に思い出すことができるのでもなくて、たとえば遊戯室からスイミングスクールのロビーに入ったあと、左手側の壁にどのような窓があったのかということははっきりとは思い出せないし(右手側には水着などを売るコーナーがあった)、遊戯室の奥にどのような遊具があったのかも思い出せない。とはいえ、こうして書いている間にも、スイミングスクールの受付で登校の手続きをすること、名前を言うとぼろぼろの名簿ファイルからお姉さんやお兄さんが自分の名前を探し出して小さなハンコを押してくれたことを思い出せる。

 

 こうした記憶が30年ぶりによみがえってくる。そのことに驚く。メリーゴーラウンドのメロディがよみがえってきたことについて、それを手がかりにしてスイミングスクールのことをいくつか思い出したということについて、驚く。

 こうしたことが生じるメカニズムを心理学や脳科学が解明したとしても、やはり人間はこうした体験によって深い驚きを覚え続けるだろう。そして記憶という仕組みに対して畏怖と愛情の念を持ち、さまざまな形而上学を構想する。それはどれだけ記憶の解明が進んでも止むことはないのかもしれない。

(ところでそのスイミングスクールも震災で全壊してしまった。2Fにプールがあって、その水の重みで倒壊したのだと聞いた。子どもたちが泳いでいる時間帯でなかったことは、よかったとおもう。)

けっきょく避難勧告・指示とは何なんだろう

今般の豪雨で、しばしば「避難情報を待たずに自分で判断して避難を」というメッセージが発せられた。しかしそうすると、避難勧告や避難指示とは何なのだろう。

避難勧告の発信が高い可能性で予測されている。その勧告は受信者に避難という行為を促す。ところが実際の「勧告」に先立って、「勧告を受信するより先に避難せよ」というメッセージが送られる。

もちろんこれは実際問題としては必要で重要なメッセージであって、勧告や指示が出るまでは逃げなくていいと油断しているひとが洪水や土砂崩れに巻き込まれる可能性がわずかでも下がるなら、それにこしたことはない。

ただ、この「先立ちメッセージ」を原理的に・字義通りに受け取ると、そもそも避難情報(避難勧告・指示)とは何なのだろうという問いにぶつかってしまう。避難勧告より先に避難してくださいという勧告。この「先立ちメッセージ」が意味を持つとすると、そもそもオリジナルの勧告は(原理上の話として)成立するのだろうか。

仮定の話として、「避難情報を待たずに避難を」というメッセージを豪雨地域内の全員がきちんと受けとったとする。住民が全員、三々五々、自分で判断して各自避難する。そしてその30分後に避難指示が発令され、その30分後に地域が洪水に見舞われた、とする。

全員避難しているので、家屋被害はともかく、死者や負傷者はゼロだ。すばらしいことだ。それは良いのだけれど、避難指示が発令されたとき、住民は全員すでに安全な場所にいるので、避難指示を意味のあるメッセージとして受信するひとはゼロだということになる。実際には避難を完了したひとが受信して「ああたしかに逃げてよかったね」と事後的に、確認的に安心することになる。その点で効果はある。だがそれなら避難指示ではなく「避難完了確認警報(?)」になってしまう。避難指示そのものとしては、受け取り手のいない警報を発令したことになる。

 

「レベル5」の「すでに深刻な災害が起きている可能性が高い」というのも不思議な表現だ。もちろんこれも、現実問題としては重要なメッセージだ。被災地域だけでなく、救援を起動すべき他地域も危機感を共有できるし、まだモタモタしているひとが行動を起こす最後のチャンスとなるかもしれない。

とはいえ、そのメッセージの第一の宛先は、その災害が起きている地域の住民だろう。だがこれも字義通りに、原理的に受け取るなら、すでに深刻な災害が起きているのだからその宛先人である住民はすでに災害を受けている、ということになる。さらに単純に、あえてあからさまに言えば、死んでいる。

知人の家に巨大隕石が衝突して、その家がぺしゃんこになったとする。あなたはその家に電話する。「あなたの家に隕石落ちましたよね、ということは、あなた死んでますよね」と。レベル5の警報を字義通りに解釈すると、このようになってしまう。

レベル4の時点でちゃんと避難したひとにとっては、レベル5の警報は無意味である。まだ避難していないひと=レベル5の警報が意味を持つようなひとは、それが出た時点ですでに死んでいる。結局、純粋な意味での「警報」としては、これも宛先がすでにゼロであるような警報ということになる。

 

くりかえしておくが、現実的には「避難情報を待たずに避難を」も、「すでに起きている可能性が高い」も、さまざまな意味がある。有益である。

だが、あくまで原理的には、論理がひっくり返ってしまっているように思われる。避難行動の実効性をあげようとするあまり、もとの警報の意味を無効化するようなメッセージを送り込んでいることになる。避難情報を強化しようとしすぎて、避難情報そのものを無効化するような袋小路に入りかけているのではあるまいか。

フィールドノーツを書くのはむずかしい

研究会の発表原稿を書いていて、そのために1-2年前のフィールドノーツを読み返している。フィールドノーツとは現場調査で自分が見聞きしたことをまとめたもので、研究の基礎資料となる。その場で起きていたこと、交わした会話、発見したことなどをノートにまとめてゆくのだけれど、単なるメモ書きではなく、研究の方向性をもった記述である必要がある。

当時のフィールドノーツをいま読み返すと、内容があまりに稚拙で驚いた。衝撃と言っていい。記述の密度があまりに低く、考察も方向性もなく、基礎資料としての役割をほとんど果たしていない。こんなものを書いて悦に入っていたのか、と恥ずかしくなる。

 

調査と研究の真っ最中は、自分が書いているフィールドノーツなり考察なりのレベルになかなか気づくことができない。いったん区切りをつけて振り返ると、粗が目立つ。それはもうそういう構造なのだろう。真っ最中に自分のレベルを客観視できるひとも世界にはいるのかもしれないけれど、わたしはそうではない。

そういうわけで、教科書を改めて読み返している。 

フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる

フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる

 

 この本の「はじめに」には次のように書かれている。

第4章で解説しているフィールドノーツの書き方に関しては、とりあえず164ページまで読んだらいったんこの本をどこかにしまっておいて、残りの部分については、実際にフィールドノーツを書く実習をしてみてから読み進めることを強くおすすめします。

わたしはちょうどこの例にはまっている。フィールドノーツを書いて失敗する経験をしてから再トライしている。みんな同じ道を通ってきてるのだなという気もする。

おじいちゃんは人を撃ったのか

 わたしには母方の「おじいちゃん」が二人いる。祖父と、祖父の兄である。後者の「大きいおじいちゃん」は徴兵されて兵隊に行っていた。そのことを生前に当人に直接聞くことはなかったが、わたしは、おばあちゃん(かれの奥さん)と、母(かれの姪)からよくその話を聞いていた。

 それは整理すると以下のような流れである。

 おじいちゃんは長男だったのに、終戦間際の根こそぎ動員で徴兵され、満州に送られた。そのうちソビエトが侵攻してきて捕虜になり、シベリアに送られた。ただしシベリアと言ってもモスクワ寄りの、比較的暖かい地域だったので生き延びることができた。おじいちゃんを載せたシベリア鉄道の列車はバイカル湖のほとりを丸3日間走った。さすがロシアは大きな国だ、三日月型のバイカル湖の縦の岸を走っているのだと思っていたら、三日月型の南端の短辺の部分を走るのに3日かかったと後で教えられてさらにびっくりした。捕虜収容所では炭鉱で働かされた。おじいちゃんは計算ができたので、その収容所の女医さんに可愛がられて(どういう意味だろう…)、体調が悪いとかなんとか理屈を付けてもらって早く帰国させてもらった(おそらく炭鉱内部の重労働は堪えられないと判断され、経理関連の役務を割り当てられたのだろう)。もっと寒いところに送られていたら死んでいただろう。帰りのシベリア鉄道の中で、手作りの麻雀を上官に教えてお金を巻き上げた。そしてようやくおじいちゃんは帰国した。ちっちゃいおじいちゃん(=わたしの祖父)は、大きいおじいちゃんと年が離れているうえに、数年ぶりに兄が帰国したので、はじめは知らないおじさんが来たのだとおもった。

 

 以上が、我が家のファミリーストーリーのひとつである。くりかえし語られ、補足され、おばあちゃんのストーリーが接合されて、家庭内のドミナント・ストーリーとなっている。この話自体に嘘や隠蔽や捏造は無いだろう。

 なにより、わたしはこの話が好きだった。30代にもなって迷惑なことに徴兵されたが、幸運とちょっとした技能で生き延びてきたおじいちゃん。たいへんだっただろうけれど、飄々と歴史の荒波を受け流した。この物語のなかでは、満州もシベリアもバイカル湖も、どことなくロマンティックな響きをもっていた。

 

 ところがきょう、この本を読み始めて、急にいろいろなことを考え始めた。

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

 

 本書はポーランドにおけるユダヤ人狩りに従事した、ドイツの第101警察予備大隊を扱った歴史書である。ホロコーストといえばナチスの親衛隊がまずイメージされるが、本書の対象である警察予備大隊は基本的に「おまわりさん」の部隊である。当時、警察に入れば徴兵されないという仕組みがドイツにあり(実際はだいぶ軍隊に組み込まれるのだが)、いわば戦争に行きたくない、地元にとどまっていたい妻子持ちの男性が警官になっていた。その警察官がまとめられて部隊となり、東方の占領地域の警備にあたっていた。隊員の多くはナチ党員だったが、どちらかというと筋金入りのナチスではなかったらしい。平均年齢は33歳。本書のタイトルにあるとおり、「普通の人びと」の部隊だった。

 その警察予備大隊の「普通の人びと」が、ポーランドユダヤ人を絶滅収容所に移送する任務に従事してゆく。あるいはユダヤ人を街で、駅で銃殺してゆく。

 

 途中まで読んで、うちのおじいちゃんはどうだったんだろう、とおもった。そのことに突然気づいて動揺した。おじいちゃんが戦地で具体的に何かをしていたという事実や疑念に直面して動揺したのではなく、上述の「おじいちゃんの物語」のほのぼのとしたやわらかさの内側だけにわたしとわたしの家族がいたことに気づいて動揺した。

 おじいちゃんが所属した部隊は、おそらく第125師団だろう。かれの本籍地が岡山と推測されるためである。

第125師団 (日本軍) - Wikipedia

 上記Wikipediaでは1945年1月20日に師団創設とされている。もしこの師団の兵員として満州に送られたなら、約7ヶ月は日本陸軍の兵卒として現地にいたはずである。もう一つの可能性としては第39師団の補充兵として送られたかもしれない。これ以上は厚生省に問い合わせてみなければわからない。

 正確なところはまだわからないけれど、最長で7ヶ月は現地にいた。その間、かれはだれかに銃口を向けることがあっただろうか。引き金を引くことがあっただろうか。あるいは向けられただろうか。捕虜になる以前、満州の中国人やソ連兵となんらかの接触はあっただろうか。

 「徴兵された」「満州へ送られた」「シベリアへ送られた」「帰国させてもらった」というように、「おじいちゃんの物語」の短い叙述の大部分が受動態で述べられている。これはわたしがいま文章上の工夫としてそのように書いたのではなくて、実際におばあちゃんや母がわたしに語った語り口をそのまま転写しただけだ。この受動態はおじいちゃんやおばあちゃんの実感として事実であろうし、実際にそのようにしか語ることができないだろう。かれは望んで戦地に行ったのではないし、すすんで捕虜になったのでもない。歴史の荒波に翻弄され、どうしようもなかった。とはいえ、数ヶ月の兵営生活や、その後の捕虜生活では、ミクロの領域では能動の部分もあったはずである。そこにはさまざまな可能性がひそんでしまう。それはほとんど語られなかった。そのことに自分が20年以上気づいてこなかったということに動揺している。

 

最高瞬間視聴率

「最高瞬間視聴率」というものは、不思議な数字だとおもう。とくに放映の展開が予測できないスポーツの生中継の場合、もっとも劇的なシーンに視聴率が最も高くなるというのは、不思議なことだ。

 

放映の展開が予測される番組の場合は、ここでは除外する。たとえば『ラピュタ』の視聴率が一番高くなるのは、最終盤の「バルス」のシーンだろう。バルスが出てくるのが放映終盤の時間であることはたいていのひとは知っているので、そのときに合わせて多くのひとがテレビを見る、そのために視聴率が上がるという因果関係は理解しやすい。

 

しかしスポーツ中継の場合、そのように事前に予測できない。

たとえばサッカーの日本代表戦で、有名選手が見事な逆転シュートを決めたとする。その瞬間が最高視聴率になったとする。

そのシュートがその瞬間に入ることは事前には誰も予測できない。そのシュートを中継で見ることができる(=視聴率に入る)視聴者は、それ以前から中継を見ていたひとである。偶然そのときチャンネルを実況中継に合わせたらたまたまシュートが決まったという幸運なひとも一定数いるはずだが、大多数ではない。

 

ところが最大瞬間視聴率がそのシュートの瞬間だったと発表されると、あたかも、ひとびとが事前にシュートが決まる時間帯を知っていて、そのときにテレビを見始めたと理解されてしまう。

実際には、シュートが決まったことで、多くのひとがそこで中継を見なくなることで視聴率の頂点がつくられている、ということのはずだ。だから最高視聴率の瞬間とは、視聴率が上がり切った瞬間ではなく、視聴率がそこから下がり始める瞬間なのではないか。

座学はきつい

6月、「人と防災未来センター」は研修シーズンに入ります。

危機管理室や防災関連部局で働く自治体職員の方が日本中からセンターに来られ、3~4日間、集中講義形式で災害対応に関する最新の知識やノウハウや事例を習得します。わたしのような1年生研究員も同席して、自治体職員の受講生みなさまといっしょに災害対応のエッセンスを学びます。

 

集中講義の1/3ほどはグループワーク形式ですが、残りは一般的な座学です。講師陣はとても豪華です。自分にとっては贅沢な機会で、とても楽しい。これは社交辞令ではなくて、本当に新しい知識や考え方が頭にドカドカインストールされてゆく気分です。

 

ただ、楽しいのだけれど、一日ずっと座学というのは、どうにもしんどい。講師からこちらの頭に運び込まれる知識そのものは、とても貴重で面白いけれども、それがひたすら一方的に「運び込まれてゆく」というプロセスそのものは実はかなり負荷がかかる。そのことに今更気づきました。

 

座学は楽しいがしんどい。受け身であるのがしんどい。ずっと知識が頭に送り込まれ続けられ、こちらは身動きできない。ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅうと重たくなってゆく。押し込まれてゆく。ずうっと話を聞いているのだから無理もない。そのまま自分がへしゃげてしまう気がする。ずいぶん非人道的な方式ではなかろうか、とさえ思うようになる。

 

ここまで考えたところで、この座学という方式を小中高12年間受け続けてきたのだなと気づきました。よく12年間生き延びたなぁとおもいます。

都道府県のスケール感

いまの職場に入って、自治体職員の方と関わることが少しずつ増えている。

そこで気づいたのが、「都道府県」という組織の圧倒的な巨大さ、スケール感だ。

 

市町村は基礎自治体である。住民にとって、日々の行政サービスのなかで出会うのは基本的に市町村という行政機構であり、その職員である。だから市町村という自治体が何をやっているところなのか、それなりにイメージしやすい。

スケール感も把握しやすい。数千人の村もあれば、100万人を超える政令指定市もあるが、おおむね人口なりの行政機構がイメージできる。

 

都道府県はそうではない。普段の市民生活では関わることが少なく、イメージしづらい。なので私はよくわかっていなかったのだけれど、実は都道府県という単位は、きわめて「巨大」なのである。

都道府県は、市町村と国の中間結節点なのではない。市町村の「親玉」と言うと語弊があるが、市町村と比較すると恐るべきパワーを持っている。そして災害対応などにおいては、都道府県は最終防衛ラインである。もちろん東日本大震災レベルの大災害では県も半ば麻痺状態となり、他の都道府県の対口支援を必要とする。しかし市町村が災害を受けて行動不能になるとき、都道府県のサイズの巨大さはきわめて特異である。市町村が猟犬なら、都道府県は象くらいのパワーがある(大阪市大阪府、神戸市と兵庫県となるとまたこの比較が微妙になるが)。そして都道府県の責任を負うのは都道府県であって、国が肩代わりしてくれることはない(国庫から予算措置はされるけれども)。

 

その巨大な都道府県が、日本に47ある。図体のデカイ国であるのだな、という感想がある。