しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「大和です」

2chモノのコピペの一つに、海自隊員の結婚式に参席していた新郎のお爺さんが旧海軍出身だったというものがある。十数行のコピペ文章だが語り方が上手い。海軍時代に乗っていた船をお爺さんに聞くと「大和です」と答えが帰ってきて、出席していた海自関係者全員が姿勢を正したとかなんとかの短いストーリーになっている。

この「大和です」というコピペを以前見かけたとき、違和感を覚えた。元は「武蔵です」ではなかったか。

自分の記憶だけのことなので確証できないのだが、最初にこのコピペを見たとき(20年近く前のはずだ)、お爺さんは自分が乗っていた船を「武蔵です」と答えていたように記憶している。その前後は全て同じだが、乗っていた船の名前だけが武蔵から大和に変わっている。

説明を付け加えておくと、「大和」「武蔵」は同型の旧日本海軍の戦艦である。一般的な知名度で言えば「大和」の方が高いだろう。

最初からコピペは「大和です」だったのかもしれない。武蔵はわたしの単純な思い違いかもしれない。その可能性は排除できないけれど、やはりシンプルな違和感がある。

 

コピペが繰り返されるうち、武蔵ではわかりづらいと考えた誰かが「大和です」に書き換えたのではないかと想像している。

古典文献学にlectio difficiliorという原則がある。印刷術が発達するまで文献の制作は写本が基本だった。細部が異なる写本が2冊あって、いずれがよりオリジナルに近いのかがわからないとき、読みづらい方がよりオリジナルに近い方だと判断するという原則である。写本を書き写してゆくとき、内容が読み取りづらかったり、文法的に間違いと思われる箇所があると、複製者は意図的に、あるいは気づかぬままに「読みやすい」「正しい」文に変えてしまう。つまり複製が重ねられるほど読みづらさが減ってゆく。だから読みづらい方がより古い、よりオリジナルに近い写本である。

lectio difficiliorに従うならば、「武蔵です」「大和です」という2バージョンのコピペ(が存在すると仮定して)のうち、より「わかりやすい」大和の方が新しく、相対的に知名度の低い「武蔵です」がオリジナルだということになる。

 

2chコピペというものはたいていがどことなく嘘くさいものだが、とはいえ全くのゼロからの創作・捏造でもなかろうと感じさせる側面もあって、ほのかな生臭さを含んだ味わい深さがある。しかし武蔵を大和に書き換えるということが仮にもしあったとすれば、オリジナルの嘘くささとは別次元の嫌な感じがする。