しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

山澤学「自然災害の記録と社会 『信州浅間山焼記』を事例に」(2016)

山澤学「自然災害の記録と社会 『信州浅間山焼記』を事例に」、伊藤純郎・山澤学編著『破壊と再生の歴史・人類学 自然・災害・戦争の記憶から学ぶ』筑波大学出版会、2016年、27-47頁。

 

(内容のごく大まかなまとめ)

『信州浅間山焼記』は、天明3年(1783年)の浅間山噴火の記録集である。しかし本書は噴火から約50年後の天保年間に編まれた。なぜ、そのように時代を隔ててから編集されたのか。

 『焼記』の著者である「真木の屋志げき(まきのやしげき)」なる人物の意図は、第一に浅間山噴火と噴火当時の老中・田沼意次の悪政を結びつけることにあった。著者「真木の屋志げき」は同書の附言で、浅間山の噴火は同地の山の神が禁じていた硫黄の掘削を進めたことによるという説話を紹介している。この掘削を認可したのが田沼である。過剰な資源開発を進める田沼の悪政を戒めるために浅間山が噴火したというのが真木の屋志げきが参照した説話の論理である。

 『焼記』が編まれた天保年間には、天保飢饉が生じていた。著者真木の屋志げきが半世紀前の噴火災害の記録を集めたのは、編纂当時の天保飢饉を同様のロジック(「規範を失った政策が神の怒りに触れて災害が起きたのだ」)で解釈するためだったと推測される。真木の屋志げきが記録を編纂したのは過去の自然災害を回顧するためではなく、現在の社会状況を再生させる実践だったと言える。