しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

役に立ちたい、の危うさ

現在の職場に研究員として就職してから、2回、災害対応の現地派遣に参加した。

1度目は工場の重油流出があった佐賀県、2度目は今回の台風19号の被災地。

 

現地派遣に実際に組み込まれて、ほんとうにいろいろなことを考えた。

ここまで真剣にものを考えたのは、東日本大震災の直後以来だとおもう。

 

考えたことのひとつは、「役に立ちたい」という気持ちは、それ自体はピュアで善意のものだとしても、きわめて危険だということだ。役に立って、もしかしたら現地の誰かから感謝されたりする。それはもちろん悪いことではない。けれども役に立ちたいという気持ちは、それ自体が一種の薬物や酩酊状態のようなもので、目を曇らせる。つまり自分が主人公になってしまって、被災地の相手のことを無視するということになりかねない。役に立ちたいという気持ちを否定して除去する必要はないけれども、いったん「カッコに入れる」必要がある。その気持のその正体をよくよく見極めておく必要がある。突き詰めて言えば、自分がヒーローとなって問題を一挙解決して、そして全ての問題を消失させて楽になりたいという欲求があるのだろう。この衝動こそが危うい。

 

もうひとつは、税金で動いている、ということ。

勤め先の機関は兵庫県内閣府が半々ずつお金を出し合って運営されている。だから自分の給料も、また現地派遣の交通費や宿泊費も、兵庫県に住むひとが収めた税金と、政府に収められた税金からの支出である。それが何を意味するのか、何度考えても多すぎることはないとおもう。妙に背負い込む必要はないし、そのつもりもない。ただ、自分が使っている経費を他の分野に使ったらどれだけ効果があるのか、それは意識しておこうとおもう。たいへん恐ろしい。