大阪拘置所に接見禁止のまま長期間拘留されている籠池夫妻に対し、差し入れの書籍で間接的にコミュニケーション?をはかっているノンフィクション作家さんの記事。面白い。
大阪拘置所は、夫妻に対する面会や、手紙や写真のやりとりを禁じている。そのため支援者は彼らと直接ことばをやりとりすることができない。そこでこの作家は、夫妻に書籍を差し入れ、そこに書き込まれた傍線から彼らの意思を汲み取ろうとする。
旦那さんの方はわりとわかりやすい。
泰典氏は社会的な書物に食指が動くようだ。なぜなら熱心に読んだものは線を引きまくってあり、興味の在りかがわかるからである。
拘置所から戻ってきた本の傍線部を見てみると、泰典氏の気持ちがなんとなく伝わってくることもある。別冊宝島編集部「日本の『黒幕』100の明言」というオムニバス本の中では「詐欺という不名誉な罪で裁かれることは自らの矜持が許さない(許永中)」というところに太々と線が引かれていた。三島由紀夫「若きサムライのために」では「人間の自尊心や誇りを破壊することは、絶対に許せない」という文に、八田隆「勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか」では「国家権力は人ひとりを踏み潰すことなど造作ない」「検察は、公判で被告人を有罪にする調書を作成するためだけに取り調べをする」といった部分にチェックがあることを鑑みると、今回の逮捕勾留が不当なものであると感じているようだ。
一方、奥さんに対しては本の好みが絞り込みづらいらしい。差し入れる側が苦慮しているさまが(外野がこんな表現を使うのはアレだけど)面白い。
泰典氏へ届ける本はすぐに決まるのだが、諄子さんに入れる書物を選ぶ際の悩みは深い。
どんな本を差し入れても、「面白くない」「チョイスがいまいち」と本音の感想が戻ってくるからである。
当初は田辺聖子「孤独な夜のココア」、高田郁「八朔の雪―みをつくし料理帖」、向田邦子「思い出トランプ」といった小説類を持って行っていたのだが、読んだ形跡なく戻ってくる。しばらく経ってから、「小説は要りません。感動できるノンフィクションが読みたい」とのメッセージが届いた。
泣けるノンフィクションというと「病気で死んじゃう系」なのかと思ったのだが、そういうのもダメらしい。
他人の性格を勝手に推測することの良し悪しは別として、彼女の性格や人となりが間接的に立ち現れてくる気がする。
わたしはいま「質的研究」についてぼそぼそ勉強しているのだけれど、書籍に書き込まれた傍線や、差し入れの反応といったことも、その人のあり方を推し量るための手掛かりになるのだなと知った。
接見禁止措置は面会も手紙や写真のやりとりも禁じる。あまりに酷い。閉鎖環境に閉じ込められ、他者とのコミュニケーションを絶たれると、人間の感受性や判断能力はみるみる衰弱する。それは人間が人間性をこそぎとられるということ。古くは中国共産党が思想改造キャンプで開発し、現代のカルト教団が常用する方法でもある。理由の乏しい長期拘留はれっきとした拷問だ。無くすべきだ。