しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

インテリ誌の巻頭対談はなんであんなに喋れるのか

 『現代思想』とか『理想』みたいな、トップレベルの研究者が競って投稿したり、寄稿依頼が来るとすごく嬉しくなるような文系カッコイイ系雑誌があって、そういう雑誌ではたいてい特集に関連した対談録が、雑誌巻頭(あるいは2つめくらい)に掲載されている。

 そういう対談はなるほどそのテーマに関する権威や気鋭の若手みたいなひとが選ばれるので、知識の幅や深さがおそろしくおおきいし、自分に関心があることならすごく勉強になる。

 

 のだけれど、いつもこういう対談録を眺めていて思うのは、とにかく、対談に臨む両者がだーっと喋っているのだけれど、あれ大丈夫なのか、ということである。

 ほんとうに、よくわからない。たいてい「わたしがこのテーマに問題意識を持ってきたのはそもそも…」という一方の説明が始まって、それが三段組みで2頁ぐらい続いたりする。そのあと他方が鷹揚に「なるほどそれは…」と話し始めて、やはり1頁半くらい自説を語り切る。そうして対談が次第に盛り上がってゆく、というスタイルが多いようにおもう。

 

 すごく不思議なのは、ほんとうにこんな喋り方をしているのだろうか、ということである。いきなりそんなにまくしたてられてもわかんねーよ、みたいなことにはならないのだろうか。頭イイ人たちだから大丈夫なのだろうか。ただ自分の周囲には頭イイ人多いけれど、ああいう喋り方で会話しているところは一度も見たことがないので、やはりふしぎである(わたしがいるところでは短く区切って話してくれているのかもしれない……)。

 あれは実際にあのように喋っているのだろうか。それとも、実際にはもっとざっくりした話し方をしていて、文章に書き起こしたあとみっちりと加筆するのだろうか。

 

 読む側としては対談の後から加筆されるのは別にかまわないけれど、当人達は「あいつ、話してたときはそんなことまで言ってなかったのに、都合よく最初からこんな論点も理解してましたよ、みたいな話を書き加えやがって」みたいなケンカは起こらないのだろうか。

 

 とてもどうでもよいことだけれど、「巻頭対談」を読むたびにこういうことを不思議に思うのです。そんだけ。