しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

応用哲学会第14回大会の印象

久しぶりに応用哲学会の大会に参加した。参加といっても発表はせず、完全オンライン大会の聴講のみだったけれども、久しぶりの哲学系の大会でのびのびした。以下、印象というか雑感のメモ。

 

  • 発表者がみんなぼそぼそ喋っている。司会もぼそぼそ。質問者もぼそぼそ。全員ぼそぼそぼそぼそと、しかし楽しく明るく議論している。そうそう、これだよこれ、このかんじ。実家的安心感。ここ数年、災害関係の学会ばかり出ていたけれども、こういうぼそぼそタイプはほとんどいない。みんなハキハキ話す。
  • オンライン発表が一般化して2年以上が経ったが、発表ツールの使い方に差があるのが興味深い。シンプルに編集されたわかりやすいPPTを出すひと、論文形式のレジュメの文章をほぼそのままコピペしたようなPPTを出すひと、PDF化した論文形式レジュメをずりずりーっと見せるひと。いちばん印象的だったのは丁寧に編集されたnotionを画面共有して、そのnotionのアドレスもZoomのチャットで共有するという発表者がおられた。
    • 引用文の英語原文はブラウザ上でクリックしてhidden/openできたりする。
    • これは日常の研究ノートもnotionで蓄積しているのだろうと想像した。もしそうなら、研究資料の作成と発表資料の作成がシームレスできるのだろう。とてもかっこよい。
  • 防災研究や復興研究に接続するのではという概念や研究がいくつもあり、この双領域を行ったり来たりつなげたりするのは自分の仕事だろうとおもう。
  • 大会全体の印象として、そうかこれが(これも)応用哲学なんだなぁと感じる発表が少なかった。分析哲学系の発表は自分の基礎知識が足りなすぎるので余計にそう感じてしまうのかもしれないけれど。かなり高度な議論をしている一方で社会の現実との接点がすぐには見出しづらく、専門分野の学会で発表してもそのまま議論が成立するのだろうなと感じる発表がわりと多かったような。
    • 応用哲学会でなくてもよいのだから専門の学会に行け!みたいな主張になりかねないので、そこは全く本意ではないです。
    • 異領域・専門の人間がそれを聴講していろいろな発見や学びをもらうという機会でもあるし、そもそもどこで何を発表しようがそのひとの自由である。
    • ただ、この発表はけっきょくどのように「応用哲学」なのだろうかと感じることがときどきあった。それを言いすぎると、不毛な定義論争・本質論争に陥ってしまうのかもしれない。しかし「じぶんのこれが応用哲学なのだ」というある意味青臭い文脈が不要とされると、学会の創設時の衝迫や使命感みたいなものが限りなく希薄化してしまうような気もする。
    • 「~~学とはなにか、どうあるべきか」みたいな、学際的分野の定義論争・本質論争は、定期的には必要なはずだがやりすぎると疲弊しちゃうものでもあり、むずかしいところですね。