しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

あなたの町は安全です

先日、「人と防災未来センター」に神戸市内の小学生が来てくれました。「防災セミナー」と題して、30分ほどのレクチャーをさせていただきました。

これまで兵庫県には緊急事態宣言や蔓延防止措置が発令されていて、こうした校外学習の来館者は少なかったのですが、最近はすこしずつ増えてきています。ちょっとずつちょっとずつ日常に戻っているような、次の新しい「波」までの束の間の凪なのか。

 

自然災害と「防災」についてのレクチャーでは、ついつい「こんな危険があります、こんなリスクがあります、こんな災害が想定されます」といった話をしがちです。少なくとも自分は入職1年目のころはそういった話し方でした。

ただ、どこか違和感がありました。たしかに自宅でも街なかでも「危険」はすぐそばにあります。家具は固定しているに越したことはありませんし、大阪北部地震では学校の古いブロック塀の倒壊で登校中の小学生が亡くなるという出来事がありました。また、自然災害だけでなく人為的な加害行為や交通事故の危険性も常にあります。

 

でも、じゃあ、子どもに「危険だ、危険だ、危険だ」とだけ言って、神経をぴりぴりと張り詰めさせるのが良いのか。子どもや市民全員を「防災マニア」「安全安心マニア」にするのが良いのか。そのような違和感です。

 

先日のセミナーでは、小学校の近くのハザードマップを見せて、黄色いゾーンや赤いゾーンがけっこうあるね、という話をしました。グーグルのストリートビューでレッドゾーン付近の光景を見せると、みなさん「ここ知ってる!」と応えてくれました。

そのとき、わたしが言ったのは「普段は大丈夫ですよ、いつもどおり遊んだりしてくださいね。でもすごく雨が降ってるときとか、その後は危ないかもしれないから、そういうときはスイッチを切り替えて気をつけてください」ということです。

 

危険性を教えることは大切ですが、「あなたの街は安全なのです」ときちんと言うこと、そして実際に安全な状況を保障することもまた大人の役割ではないか、とおもうのです。

完全な100%の安全を達成することは現実的ではありません。その意味で、雑に「安全」と言うことはできない。ただ、基本的な安心感のようなものがまずベースにないと、個別のリスクに対する健全な感受性がかえって育ちづらいのではないか、と考えています。