しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

何か別のものが

夜警たち。夜、部屋の電灯を消してゆくとき、暗くなった部屋にだれが責任をもつのだろうと思う。子供のころはよくそのことを考えた。この暗さという特権、夜の聖なる無音の享受、始原も終末もない闇の王権を、だれが引き受けているのだろうと。概念上の無はまだなかった。そこに夜が厳然として存在する以上、それを監視し、そこに浸り、それを支えるものがまた存在するはずだった。たったひとりで、あるいは一匹で、夜の部屋を独占する者がいるはずだった。それはぬいぐるみとか、虫とか、絵本の世界からの出向者とかだった。わたし自身の視界はすでに曖昧にしか届かない。ところがその存在は全く別の器官によって部屋のすみずみにまで責任を行き渡らせる。そこは汎神論とは真逆の空間であり、無と夜と物質がそれぞれ配置されている。子供のころそのような存在をたしかに知っていた。最近また、その存在に気づきつつある。灯りが消えた部屋で、わたしに代わって空間と時間を宰領するもの。それを想像できるようになって寝つきがよくなった。なにか別のものがいる。わたしから全く離れていて、全くわたしとは他のもので、それひとりで自らの孤独に充溢しているものが。