しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

2行目は聞いてもらえない

社会人になって気づいたことに、世の中のひとは必ずしもわたしの発話の「2行目」を聞いてはくれない、ということがある。

聞いてくれるひとと、そうでないひとがいる。


2行目というか、2文目というか、たとえば「一般的にはAです、ただしこの場合は特殊例としてBです」というように文が続く場合に、「一般的にはAです」と言った時点で「AだというならXが必要ですね」と切り返されることが、たまによくある。いやそうではなくて、肝心の結論部分は「この場合はBです」なのだが、そこまでたどり着かせてもらえない。

前半の文と後半の文が順接で続くなら問題はあまりないのだけれど、逆接、限定、留保で続く場合は文意がサカサマになってしまうため面倒である。後半部があるのを示すために「一般的には」「まずは」といった後半文が続きますよサインを入れて話しているつもりなのだが、それをキャッチしてもらえてないなと感じる。

「2行目」を聞いてくれるひとも普通にいるので、わたしの話し方の悪さとは別に、相性があるのだろう。結論をまず先に話す癖を付けるべきかもしれない。(たどってみると、ドイツ語のsondernという接続詞の影響な気がする)


周囲のひとを観察してみると、「ただ」「でも」「とはいえ」などの逆接の接続詞に独特のアクセントというか、間髪入れず後半文につなげる話し方をしていることがある。これなら誤解はないが、「押し」がだいぶ強い印象がある。語調を強めるのはできるが、間髪入れずというところが自分には難しい。相手の確認を待って、一呼吸置いて、というかんじの話し方をしてしまう。