しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

為してないことばを使わない

さいきんの書くことの格率。

実際に為していない行為のことばを使わないこと。

たとえば「紡ぐ」ということばがある。しばしば「ことばを紡ぐ」「物語を紡ぐ」といった表現が使われる。

しかしわたしは本当に糸を紡いだことがない。つまり、カイコの繭や、木綿のワタから糸を繰り出して太い糸にするといった行為を為したことがない。だから、比喩的に「ことばを紡ぐ」といった表現を用いないことにする。

それは、もともとの紡ぐ行為の感覚がわからないからで、わからないまま文字面だけを借りても、文の全体にうまく編み込めないと思うから。

「編み込む」も使わないようにしようとおもう。何かを編んだことがないから。「縫う」「染める」はやったことがある。というか、最近は昼休みに縫い物をしている。だから少しだけわかってきた。


「捌く」も、ほぼ経験がない。「焚きつける」はある。「実る」となると哺乳類を辞めないと不可能である。あまり厳密に考えると使えることばがどんどん減ってくる。なので、ある程度にしようと思う。


レタスや水菜の束を両手でねじってざっくり分割してゆくことは、何と呼ぶのだろう。長時間履いていた靴から足を引き抜くと不愉快な臭いが立ち上るので試しに足をその場で振って臭いを散らそうとする動作。満員電車の中で視線を他の人とぶつからせないように奇妙に目を裏返す(?)ことは。ことばは多いが少ない。